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追憶の破片(かけら)

 

「さんぞ、さんぞぉ」

「大丈夫ですよ、孫悟空。しっかりしなさい」

「で、でも・・・」

宥めすかすような医者の言葉も、今の悟空には気休めにすらならない。悟空は三蔵の寝台の横にへばりついて、ベッドの住人と化した最愛の人の白い手をぎゅっつと握り締める。

「・・・俺、守れなかった」

悟空は掠れた声を絞り出すように、呟いた。

守れなかった。大切な人を。何があっても、絶対守り抜くと誓ったのに。幼い日から、そう心に決めていたのに。あんな近くにいながら、三蔵を敵の手から守る事ができなかった。慢心していたのかもしれない。自分の力を過信して、自惚れて。だから、これはその罰なのかもしれない。

「ごめん、さんぞ・・・。ごめんね」

幾筋もの涙の跡を残したまあるい頬に、悟空は愛する人の手を導く。触れたその手は、いつもの冷たさが嘘のように燃えるような熱を持っている。それが三蔵の病状を物語っているようで、悟空は堪えきれずに愛する人の、枕に散らばる乱れた金糸の髪に顔を埋めて嗚咽した。

三仏神の命で村を荒らす法力僧崩れを退治する任務に赴いたのは、10日程前の事だった。強いとは言っても、所詮最高僧の三蔵に敵う筈もなく。肉弾戦においては、並の妖怪では歯がたたない程の力をその小さな身体に秘めた悟空がいる。呆気ない程簡単に、その男は三蔵と悟空に倒されたが。

ふたりとも相手の力を見くびり、油断し過ぎていたと言われても、反論できないかもしれない。敵が完全に事切れているか、確かめもせずに彼に背を向けた。期待外れな程に弱い敵を倒して、緊張感に欠けていたのだろう。じゃれつく悟空と、その猿頭をハリセンでどつく三蔵。その三蔵の長めの金髪に隠れた細いうなじに、男は最後の力を振り絞り、懐に隠していた針の狙いを定めた。毒薬を先端に仕込んだ、その針を。

 

「致死量ではなかった事が幸いしましたし、とにかく峠は越えましたから」

悟空とも馴染みの三蔵の侍医が、その深く皺の刻まれた手を悟空の肩に置く。妖怪の子である悟空を忌み嫌わずにいてくれるこの老医師は、接触嫌悪で気難しい三蔵が診察を許す唯一の医師だった。今も、ともすれば「三蔵様をお守りする事もできなかった役立たず。傍にいると、三蔵様の身体に障る」と坊主達に三蔵の寝室から追い出されそうになる悟空を、「三蔵様の看護には、孫悟空が最適」と彼を庇い、愛する飼い主の傍にいさせてくれた恩人でもあるのだが。

「さんぞ、さんぞぉ」

高熱に魘され意識のない三蔵を前に、この老医師に対して感謝の意を表すだけのゆとりが、今の悟空にはない。

このまま目覚めなかったら、どうしよう。2度と、あの美しい紫暗の瞳が開かれなかったら。2度と、あの唇が自分の名を呼んでくれなくなったら。そう思った瞬間、ぞくり、と背中を冷たいものが走り、込みあげてくる恐怖感に吐き気を覚える。『喪うかもしれない』その考えは、悟空の足元をぐらつかせ、底無しの暗闇の世界へと突き落とす。

いつか、どこかで一度味わった恐怖。喪失感。それがいつの事なのか、誰を喪ったのかすら、覚えていないけれど。

(ダメだ。さんぞは、ぜってー喪えない)

もし三蔵を喪ったら、自分はきっとこの世界を壊してしまう。狂って、暴走して、何もかもを呪って、全てを粉々にしてしまう。

「さんぞ・・・」

目を覚まして。そしてもう一度、不機嫌そうな声でいいから、『馬鹿猿』って俺を呼んで・・・。それだけでいい、それしか今は望まないから。ただ生きて、傍にいて。

熱で紅潮した頬をそっと指でなぞる。そのまま苦しげに熱い息を吐く肉厚の唇に触れると、熱でカサカサに乾いて、少しひび割れしていた。その痛々しさに、悟空はサイドテーブルに置かれた水差しを取ると、それを己の口に含んで、そっと三蔵の熱を持った唇に重ねる。そして上手に気道を確保しながら、含んだ水を三蔵の口腔に注ぎ込む。喉が渇いていたのであろう。三蔵は大人しくそれを飲み干す。そして無意識に、更に水を求めて微かに唇が動くのを見た悟空は、求められるままに何度も何度も、母鳥が雛に餌を与えるかのように、口移しで愛する人に水を与えていく。

そんな様子を、ふたりの関係を薄々気づいていた老医師は、ただ黙ってじっと見つめていたが・・・。

「・・・孫悟空っ!」

医師の窪んだ目が、布団からはみ出ていた三蔵の白い指が、微かにぴくり、と動いたのを目ざとくとらえた。慌てて白いその手首で脈をとり、額に手を当て美しい患者の様子を見守る。その医師の動きに、悟空もただ黙って息を詰め、食い入るように愛しい人の白い面を見入る。

「・・・ぅ」

ぴくっと、瞼が小さく痙攣したかと思うと、悟空に与えられた水で濡れた唇から、微かに声が漏れる。

「さんぞっ!!」

詰め寄る悟空を無言で戒めて、老医師は三蔵の覚醒をじっと見守る。悟空も、きゅんと項垂れたが、それでもまたおずおずとベッドの脇にしゃがみ込むと、三蔵の枕もとに自分の顎を置く様にして大きな金色の瞳を愛する飼い主に注ぐ。

再び、瞼がぴくりと動いて、やがてゆっくりと熱で潤んだ紫暗の瞳が姿を見せる。悟空が愛してやまない、この世でふたつしかない美しい宝石。

「さんぞっ!」

「三蔵様、お気がつかれましたか?」

長い眠りから覚めたばかりの三蔵は、ぼんやりとその焦点を結ばず、暫く黙って天井を見上げたままでいたが、やがて掠れた小さな声で誰にともなく問い掛ける。

「・・・ここは?」

「長安だよ! さんぞの部屋っ! さんぞ、全然目ぇ覚まさねーから、俺、俺・・・」

そこまで言うと、悟空は顔をくちゃっと歪めてその望月の瞳からぽろぽろ大粒の涙を零して三蔵の枕に顔を埋める。

助かったんだ。三蔵を喪わずにすんだ。喜びと安堵感で、悟空の頭も心も飽和状態だ。何か三蔵に言葉をかけたいと思っても、それが唇にのぼる前に嗚咽に代わって悟空の口から溢れ出る。今はただ、愛する人が死の淵から戻ってきた幸せを、世界中のあらゆるものに感謝したい。

しかし、そんな悟空の心を打ち砕いたのは、思ってもいない三蔵の冷たい乾いた声だった。

「てめー、誰だ」

 

 

 

「・・・で、医者は何て言ってんだ」

「高熱か、毒による記憶障害じゃねーかって」

悟空は差し出された温かいココアの入ったマグカップを両手で包み込み、俯いたままぼそり、と呟く。

「しっかし、まあ。昏睡からやっと覚めたかと思えば、三蔵様ボケで物忘れとは。やっぱ年かねぇ」

「悟浄」

自身の分の紅茶の入ったカップを片手に、八戒がキッチンから戻ってくる。

三蔵が意識を取り戻して2週間。悟空は久し振りに、悟浄宅を訪れた。出会って2年になるこの友人達は、悟空にとって気のおける数少ない友人であると同時に、また悩み事を聞いてくれる貴重な存在でもある。

三蔵が倒れたと知らせを受けて、すぐさま寺院を訪れたが『面会謝絶』と慇懃無礼に坊主に追い返された2人は、今日やっと悟空の訪問によって三蔵が一命を取り留めた事を知ったが。それも、手放しで喜べる状態ではないらしい。

―――記憶喪失―――

目覚めた三蔵は、悟空の顔を見て『てめー、誰だ』と言った。

生きてさえいてくれれば、それでいい。そう思いはしたけれど。三蔵が、あんな目で自分を見たのは拾われて以来初めてだ。

冷たい声、冷たい瞳。それは冗談でも何でもなく、悟空の存在を己の中で三蔵が全く認めていない証拠だった。

「それで、三蔵はどこまで記憶が残っているんですか? まさか全部・・・?」

「ううん、寺院に来たばかりの頃の事までは、覚えているみてえ。自分が『三蔵法師』だって、理解してるし」

そう、三蔵の記憶は、悟空と五行山で出会う直前で途切れていた。寺院に着院した時からの侍医である老医師も、古参の僧侶達もきちんと認識でいるのに(とは、言ってももともと他人に関心のない三蔵故、僧侶達に関しては「そーいえば、こんな顔もいたっけな」程度のものではあるが)。

悟空の事はまったく覚えていない。悟空を拾った日からの記憶が、三蔵にはないのだ。

「・・・あんで、俺の事は覚えてねーんだろ」

「それを言ったら、俺や八戒の事だってキレイさっぱり忘れてんだろーが。あの生臭坊主は」

しかしそんな悟浄の慰めを含んだ軽口も、今は悟空の耳には届かない。

何で自分と出会う前の事は覚えていて、その後の事は忘れてしまったのだろう。

「どうして、俺のこと、忘ちゃったんだろ・・・」

「悟空」

「俺が、さんぞ、守れなかったからかな。だから、俺の事、嫌いになったのかな」

だから俺の事、忘れてしまったんだろうか?

「バカ言ってんじゃねーよ、この猿」

「そうですよ。大体いつも三蔵は『守られるのなんか、まっぴらだ』って言ってたじゃありませんか。それに、今回の事だって、三蔵がうっかり屋さんだったのも原因のひとつでしょ? 悟空だけに責任があるのでは、ありませんよ」

「でも・・・俺、約束したんだもん」

三蔵を守るって。

拾われたばかりの頃、拭いきれない岩牢での孤独感を思い出しては、泣いて三蔵の手を求めた悟空を、嫌な顔をしながらも彼は握り締めてくる小さな小猿の手を振り解こうとはしなかった。暗闇に怯えては三蔵の布団に潜り込む悟空を、三蔵はハリセンでぶっ叩き、蹴り飛ばしながらも、それでも最後にはぬくもりを求めて、縋りつくように擦りよってくる小さな身体を三蔵は黙って受け入れた。

坊主達が、身元のわからぬ妖怪の子供を寺院から追い出せとどんなに迫っても、三蔵は決して悟空を追い出したりはせず、何だかんだと言いながらも、結局は傍に置いてくれた。

そうやって三蔵はいつも、悟空を『守って』くれた。例え三蔵は意識していなかったにせよ、三蔵が差し伸べてくれる手が、ぬくもりが、いつも幼い自分の心を守り、安らぎを与えてくれた。

だから、いつかもっともっと強くなって、三蔵を守るのだと。三蔵が自分を守ってくれたように、強くなって今度は自分が三蔵を守るのだと。そう約束したのに。

「俺が約束守れなかったから・・・さんぞ、俺の事嫌いになったのかもしれねぇ」

さんぞ、約束破るのでーきれーだから。

そうぽつり、と呟いた悟空の望月の瞳からは、大粒の涙が止めどなくぽろぽろとそのまあるい頬を伝って零れ落ちた。

 

悟浄宅で八戒のお手製の夕飯を食べると、悟空は愛する飼い主のいる寺院へと帰る。

三蔵が記憶を失い悟空の事を覚えていない今、寺院の僧侶達の悟空に対する風当たりは以前にも増して厳しくなった。前々から決して待遇がよかった訳ではないが、それでも三蔵の手前表立っての嫌がらせは近年少なくなってはいたのだが。

ここ数日「三蔵様が覚えていらっしゃらないというのに、どうしてあんな下賎な妖怪をいつまでもこの寺院に置いておくのか」と所構わず喚く輩が後を絶たない。一度は本当に首根っこを捕まえられて、寺院から放り出されそうになった悟空ではあったが。意外にもそんな悟空を寺院に留めておくよう命じたのは、他でもない三蔵であった。

尤も彼の言い分は『例え覚えていなくても、俺が拾ったってモンを勝手にどうこうすんじゃねえよ』というもので、自分に断りもなく悟空を追い出そうとした坊主達に対する嫌がらせに過ぎないらしいが。

それでも、嬉しかった。三蔵が出て行け、と言わなかったから。自分を傍に置いてくれるから。

だから・・・耐えられる筈だ。いつかきっと、三蔵は思い出してくれるから。きっといつもの、悟空にしか向けられない、あの独特の声音で『バカ猿』と呼んでくれる日が来るから。

今はどんなに辛くても・・・、きっと耐えられる筈だと。

 

「あ、さんぞ・・・」

寝室と続き部屋になっている執務室に足を踏み入れると、そこには執務用の椅子に腰掛けて新聞を読む三蔵の姿があった。確か昼頃に一度熱が上がり、侍医が呼ばれ安静を言い渡されていた筈なのに。

「起きてても、大丈夫なの?」

大きな金色の瞳に心配の色を浮かべて寄ってくる悟空に、だが三蔵は応えを返さない。悟空の言葉に三蔵が無返答なのは毎度の事だが、それでもいつもとは確実に違う。それは、今までは例え無視してはいても、三蔵は悟空の存在を受け入れていた。言葉は返さなくても、やかましく纏わりつく悟空という存在を拒絶してはいなかった。

だが、今感じるのは。今まで三蔵が寺院の坊主達に向けていた、同じような空気。三蔵の中で悟空を、ひとりの存在として認めてはいない。三蔵にとってはどうでもいい「その他大勢」扱いだ。

いや、それ以上に凍りつくような眼差しを向けられているのは、気のせいだろうか?

悟空は、心臓がぎゅっと握り潰されるような痛みを感じながらも、あえて平静を装って三蔵に語りかける。このまま三蔵と距離を置いたら、どんどん三蔵が遠く離れていきそうで。自分の事を欠片も、その記憶に留めてはくれなくなりそうで。それが堪らなく恐ろしかったから。

「メシ、食ったの?」

敢えて平静を装い幼げな顔に笑顔を浮べると、悟空は三蔵の顔を覗き込む。そんな悟空に三蔵はぴくり、と眉を顰めるがそのまま無視を決め込んで視線を活字から逸らそうとはしない。

「・・・」

「あれ、ここ傷になってるよ、さんぞ」

悟空の金色の瞳が、目ざとく三蔵の頬に、小さな赤い線があるのを認める。紙か何かで切ったような、小さいが痛々しい傷だ。思わず悟空は、いつものクセでその小さな傷をぺろり、と舐めようとした。が・・・。

「触るなっ!」

ぱしっ、と硬質な音が室内に響く。それは肩に置かれた悟空の手を、三蔵が己の手で叩き落した音だっだ。

「さんぞ・・・」

嫌悪の色を浮べた紫暗の瞳が、悟空を真っ直ぐに射る。

「あ、ほっぺたに切り傷出来てっから・・・俺」

おずおずと叩かれた手をもう片方の手で包みながら、悟空が顔を強張らせて言う。こんな風に、あからさまに嫌悪感を示して拒絶されたのは、初めての事だった。ハリセンで叩かれたのではない。素手で叩かれた。こんな事今まで一度もなかったのに。

接触嫌悪の重症患者の如き三蔵ではあるが、不思議と悟空に触れられる事に関してはさほど抵抗感がない、という事を悟空は知っていた。流石にべたべた触ると鬱陶しがられて、ハリセンで張り倒された上、ご丁寧に足蹴りのオマケが付く事もしばしばだったが。それでも、こんな風に、まるで他の連中が三蔵に触れようとした時のような、激しい蔑みと怒りと嫌悪を向けられるなんて・・・。

「てめーには、カンケーねえだろうが。鬱陶しいんだよ」

三蔵の反応に激しいショックを受けている悟空の、青褪めてふるふると肩を震わせる姿を怒りと誤解したのか、三蔵は殊更低い声で吐き捨てるように言い放つ。

「気に入らねーんなら、出て行け。例え記憶が無いにしろ、てめーを拾ったっていう責任上、ここに置いているだけなんだ。居なけりゃ、その方が清々する」

「責任って何だよっ! 俺、さんぞに責任取ってもらう事なんて、何にもねぇよ?」

「だったら、出て行け。てめーと俺とは、何の関係もねえ」

思いがけない三蔵の言葉に、悟空の瞳が、これ以上ない程大きく見開かれた。

「目障りなんだよ」

「さん・・・」

「朝から晩まで、纏わりつきやがって。うざくて仕方ねぇ。ベタベタ触りやがって、虫唾が走るんだよっ!」

「でも、でも、さんぞ、許してくれてたよ? そりゃ、触るたびにハリセンでどつかれたりしたけど、でも、さんぞ、俺が触れるのだけは、許してくれたよ? だから、俺の事受け入れて・・・」

「うるせえっ!!」

ぱんっ、という乾いた音と共に、悟空は頬に鋭い熱を感じる。三蔵に頬を叩かれたと気がついたのは、その熱がじわじわと痛みに変わってからだった。

呆然と三蔵を見上げると、金色の瞳に映ったのは怒りに顔を紅潮し、鋭く自分をねめつける愛しい人の姿。

「ベラベラ、人が覚えてねぇからって、勝手な事抜かしてんじゃねえよっ!」

「嘘じゃねえもん! 俺、さんぞの事愛してるし、さんぞだって、俺の事受け入れてくれたもんっ! だから、俺に抱かれてくれたんじゃ・・・っ!」

カッとなり、そこまで叫んで、思わず涙で声が詰まる。

悔しい。堪らなく悔しい。記憶がないから、仕方がないのかもしれないけれど。それでも、これまでふたりで築き上げた関係を。お互いの愛情を。他でもない三蔵自身にこんな風に否定されるなんて。

三蔵が記憶を失ってからの、この2週間。悟空には、不安と後悔と自責の毎日だった。もしかしたら、三蔵の記憶がもう戻らないのではないかという不安。この事態を招いたのは、自分の力不足で三蔵を守る事が出来なかったからだ、という深い自責の念。

それでも悟空は、三蔵の前では平静でいるよう心がけていた。誰よりも一番記憶を失い不安であろう三蔵の、少しでも支えになるようにと。彼が安心できる場になるようにと。押し潰されそうな程のマイナスの感情を、悟空はそれでも歯を食いしばって耐えようとしてきた。愛する人の為に。

しかし三蔵の口から零れた言葉は、そんな悟空の心を無残にも傷つけるものだった。

「だったら、ンな記憶思い出す必要ねぇな」

「さ・・・」

凍えるように冷たい光を放つ紫暗の瞳が、真っ直ぐに悟空を射る。

「てめーなんか、いらねぇんだよっ!」

「・・・っ!」

悟空の顔から、さっと血の気が引く。

『てめーなんか、いらねぇんだよっ!』

悟空が三蔵の口から聞く事を何よりも恐れていた、その言葉。それを、今聞かなくてはならないなんて。こんな時に、聞かなくてはならないなんて。

感情が制御できない。不安、後悔、自責。悔しくて、憎らしくて、それでも、こんなに愛しくて―――。

ぐるぐると渦巻く感情に理性が飲み込まれて、悟空の中で何かが音をたてて切れた。

「てめっ! 何しやがるっ!」

三蔵の細い手首をぐっと掴むと、悟空はそのまま隣りの寝室に三蔵を力任せに引きずって行く。小柄な身体からは想像もできない程の強い力に、三蔵はほんの一瞬だけ怯んだが、すぐに猛然と抵抗を示す。

しかし悟空にとって三蔵の抵抗など、あって無きが如しだ。真っ直ぐにベッドに向かうと、手加減なしに三蔵を突き飛ばす。

「く・・・っ!」

スプリングのきいたベッドに叩きつけられて、三蔵は軽い眩暈を起こす。その隙を逃さず悟空はベッドの上に放り出された三蔵の上に乗り上げると、さっと三蔵の腰紐を解き彼の両手首をそれで縛り上げ、ベッドヘッドに括り付ける。

「てめっ、何をっ!」

両腕を拘束された三蔵は、そこで初めて自分の置かれた立場に気付き、さっと顔色を変えた。

「ざけんなっ! 解きやがれ、殺されてえのかっ!」

そのまま法衣の前を暴いてアンダーシャツに手をかけようとする悟空から逃れようと、三蔵は身を捩って抵抗する。そんな三蔵を己の身体で押さえつけた悟空が、低い声で呟いた。

「殺せば?」

それは、今まで聞いた事がない程冷めた悟空の声だった。

「さんぞが、俺の事捨てるって言うんなら。さんぞがそんなに俺の事嫌うんなら。生きてたって意味ねーもん」

三蔵の形のよい耳にそっと唇を寄せると、今度は一層優しい程の声音でこう囁いた。

「殺してよ」

 

 

 

 

「ああっ! あぁぁ――っ!」

身体をふたつに裂かれ内臓をえぐるような痛みに、三蔵の喉からは悲痛な叫びが溢れ出た。あまりの激痛に白い喉元を綺麗に仰け反らせるが、その姿勢が頭上に拘束された腕に負担をかけ、三蔵は肩から腕に走る鈍い痛みを、眉をきゅっと寄せて耐える。

優しい愛撫などなく、殆んど潤いもないまま悟空を受け入れた三蔵の蕾から内股にかけて、赤く細い筋が幾つも流れている。その流れ出る血に助けられ、悟空はきつい三蔵の最奥へと侵入を果たす。

「あぁぁ・・・」

掠れた声で苦しげに喘ぐ三蔵を一瞥すると、お互いの息も整わないまま悟空は三蔵の細い腰を掴むと、一気に三蔵の身の内に収めた自身を引き抜き、そのまま力任せに身体の奥の奥まで貫く。

「ひっ、あぁぁっ!!」

身体をふたつに折り曲げられた不自然な体勢で悟空を受け入れて、三蔵の身体中が痛みに悲鳴を上げる。透明な涙が三蔵の意志とは関係なく、ぽろぽろと白い頬を伝って零れていった。

「い、や・・・あぁっ!」

容赦なくその欲望で突き上げられ、力任せに己の身体を貪られる。

他人の肌が触れられるだけでも虫唾が走るというのに、今自分にはまったく記憶のないこの少年をその身に受け入れている、という事実に三蔵は身震いする。

その稀に見る美貌が災いして、幼い頃からそのテの趣向の者達に言い寄られたのも、正直1度や2度ではない。しかし、今まで誰一人こうして三蔵に触れた者はいなかった。それなのに。

(油断、してたのか・・・?)

悟空の外見の幼さと、飼い主に忠実なペットのような悟空の日常の姿に。まさか自分に襲いかかるようなマネはしないと。

「さんぞ、何考えてんの? 俺を見てよ」

悟空はそう三蔵の耳元で囁きながら、衝撃に萎縮してしまった三蔵自身をぐっと握り込む。

「ああっ!」

鋭い痛みに、掠れた悲鳴が三蔵の喉から漏れた。

「俺の事以外、考えないで。今、さんぞを抱いてんのは、俺だよ?」

「あぁぁ・・・」

自分自身でも殆んど欲望の処理をした事のない三蔵は、他人の手があらぬ所に触れた事に堪らない嫌悪感を覚える。熱を持っている筈の薄紅に染まった肌に、鳥肌が立つ。ガチガチと歯の根が噛みあわぬ三蔵の姿に、悟空は黄金色の瞳を細めて三蔵自身に触れていた手をそっとずらして、血に染まった白い柔らかな内股をそっと撫でる。

「や・・・っ」

ぶるり、と身体を震わせて更に嫌悪を示す三蔵に、悟空は耳朶を甘噛みしながら、低い声で小さく呟く。

「俺に触られるの、そんなに嫌?」

その声はどこか悲しげだったが、今の三蔵にはそんな事に気付く余裕はどこにもない。

「覚えてねぇの? こうやって、いつも抱き締めてたじゃん」

「ん・・・っ」

そろそろと、内股を擦っていた手が再び三蔵自身に絡み、今度はゆるゆると優しく愛撫する。

「俺がこうすると、さんぞ、とっても気持ちよさそうに目ぇ閉じたんだよ?」

「知らね・・・、そんな、事・・・ああっ!」

嫌がるように頭を振ると、ぱさぱさと乾いた音をたてて、三蔵の金糸の髪が枕に散る。何とか悟空の手から逃れようともがいてはみるものの、所詮力で悟空に敵う筈もなく、三蔵は己を組み敷く少年の身体の下から動く事ができない。そうしている間にも、悟空の愛撫は確実に三蔵の肢体に火を点ける。それはじわじわと三蔵の身体を侵食し、下肢を馴染みがない筈の・・・だがしかし、身体の奥深くが記憶している甘い疼きが駆け抜ける。

その事実に三蔵が戸惑う間もなく、悟空は徐ろに自身を三蔵から引き抜くとそのまま真上から三蔵に覆い被さるようにして、一気呵成に彼の秘所を刺し貫いた。

「ああぁぁっ!!」

流れ出た血液が潤滑剤代わりとなり、今度はさしたる抵抗もなく三蔵の蕾は悟空を受け入れた。

「さんぞ、口ではヤダって言っても、いつも俺を受け入れてくれたじゃんっ! なのに、今は俺に触られんの、気持ち悪ぃのっ!?」

「ひっ、あぁぁっ!」

「さんぞ、どんなに覚えてねーって言ったって、身体は覚えてるじゃんっ! こうして俺の事受け入れてくれてるじゃんっ! それなのに・・・っ!」

悟空は悲痛な声でそう叫ぶと、狂ったように腰を動かし三蔵を穿つ。

「あああっ!」

濡れた音が三蔵の聴覚を刺激する。肌を打つ乾いた音が、闇に閉ざされた部屋中に響く。

悟空との行為に慣れた身体は、痛みの奥にある快楽に縋りつき、それを貪欲に引き出そうとするが、心がそれについていかない。快楽の渦に巻き込まれていく身体と、今の状況を受け止めきれない混乱した心がふたつに引き裂かれる。

「さんぞ、さんぞぉっ!」

悟空はきつく三蔵の細い顎をつかむと、そのまま無理に唇を重ねる。痛い程きつく舌を吸い、三蔵の悲鳴すらも飲み込もうとする。

「ンっ」

忘れられて、拒まれて、そうして今、触れる事さえ厭われて。

自分に与えられた特権だったのに。接触嫌悪の三蔵が悟空の手だけは拒まないという事が、例えどんなに鬱陶しがって、ハリセンでボコボコにしたって、三蔵にとって悟空の手のぬくもりは、他人とは違うのだという事が。自分を受け入れてくれる、証の筈だったのに。

こうして肢体は慣れた行為を覚えているのに、どうして俺の手のぬくもりは覚えてないの? 何でそんなに俺の手の感触に、綺麗な眉を嫌そうに顰めるの?

もう、何がなんだか自分でも判らない。悔しさと、愛しさと。無力さと、凶暴な想いと。悟空はただ感情に突き動かされるままに、愛しい人の身体に終わりのない責め苦を与え続ける。

苦しげにすすり泣くような三蔵の喘ぎさえも、悟空を止める事はできなくて。三蔵が意識を手放してからも、悟空はその愛しい身体を貪る事を止めようとはしなかった。

 

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