誰よりも君が好き(同人誌「DESTINY」掲載)
「あんで、さんぞーは俺の言う事信じてくれないのかなぁ」
三蔵が公務に追われてペットの世話まで手がまわらないという理由から、2、3日の予定で悟浄宅(実権は、八戒が握っているが)に預けられた悟空は、八戒お手製のほかほかの蒸しパンに齧りつきながら、悲しげに呟いた。向かいのソファでは、この家の「元」主の悟浄がだらしなく寝そべったまま、悟空の独り言に耳を傾けている。
五行山から三蔵に救い出されて早や、7年。飼い主が『三蔵法師』という立場故に、悟空もそのペットとして長安随一の大寺院をその住処としていたが。身元の知れない妖怪の子である悟空に、寺院内の風当たりは予想以上に厳しかった。
寺院で何か問題が起きると、まず第一に悟空が犯人と決め付けられる。たしかに、寺院に身を寄せたばかりの頃は遊び盛りの小猿が、お供え物をくすねたり、祭壇の法具を壊したりと様々な悪戯を重ねてきたが。
最近はハリセンをフルに活用した三蔵の教育の賜物か、少なくとも『盗み』『破壊』の類いはしなくなったのだが、それでも何かトラブルが起きると、決まって悟空が一番に尋問を受ける。例え悟空が「シロ」だと判っても、それでも坊主達の目は「たまたま、今回はあの妖怪が犯人ではなかったが」と、あからさまに悟空を悪者扱いしている。
幼い頃、三蔵が任務で寺院を留守にした間に新入りの小坊主が、修行の辛さ故か、ホームシックなのか、家に逃げ帰ろうとした事があったが、その逃走費にと寺院の金に手をつけた。その時も真っ先に疑われたのが、悟空だった。
三蔵が戻ってくるまでの間、問答無用で折檻を受けた。罪悪感に苛まれた小坊主の自首により悟空は放免されたが。「坊主達が信じてくんなくたって、別にいいもん。さんぞーさえ、俺の事信じてくれればさ」
あの時、三蔵は「猿はンな事しねえよ」と言ってくれた。悟空には堪らなくそれが嬉しかった。寺院にいる何百人の僧侶が、誰一人として信じてくれなくれも。それでも、この黄金の髪を持つ最愛の飼い主さえ、悟空の言う事を信じてさえくれれば、それで充分なのだ。それなのに・・・。
「あんで、俺が盗みをしてねえって言葉は信じてくれるのに、『三蔵の事、愛してる』って言うのは、信じてくんねーんだろう?」
肝心の、誰より三蔵に信じてもらいたい悟空の真実を、小猿の愛する飼い主はちっとも本気にしてくれないと、悟空は大きな金色の瞳をじわりと潤ませる。
「三蔵サマ、照れてんじゃない?」
ぷわぁぁと、紫煙を吐き出しながら、悟浄は面白そうに悟空の顔を眺めた。不真面目なように見えて、案外悟浄は悟空の恋の行方を、彼なりに心配しているようでもある。
「・・・わかんねーけど。『お前の言う事は、信じらんねぇ』って」
拾ってもらったその日から、心奪われた。大好きだ、と。愛している、と。数え切れないほど、自分の気持ちを日々告げてきた。その身体に触れる事を許されてからは、言葉だけでは言い表す事でできない程の溢れる愛情を、三蔵の白い肌を辿る指先に、唇に、精一杯の想いを込めて伝えたいとそれだけを願って三蔵を抱いてきたのに。
ある日、三蔵から聞かされた言葉は、
『てめーのは刷り込みと、性欲処理だろ』。
その瞬間、悟空の目の前は真っ暗になった。
俺に惚れてるって、思い込んでいるだけなんだろーが。
そう言った時の三蔵の冷ややかな紫暗の瞳が忘れられない。初めて、三蔵の瞳を心から「冷たい」と感じてしまった位だ。
「俺、そんなつもりで三蔵抱いてんじゃ、ねーのに」
小猿は蒸しパンを片手に握り締めたまま、すんっと鼻をすする。たしかに好きだから、身体を重ねたい。全てを奪いたい。それを否定はしないけれど。
「それじゃ、俺を拾ってくれた相手なら、誰でもいいみてぇじゃん」
三蔵だから、欲しい。抱きたい。でもそれは身体だけじゃなくて、心だって欲しいのに。自分の事を愛して欲しいのに。だから、日々呆れられる程愛の誓いを囁いている、この自分の切ない想いがどうして三蔵にはわからないのだろう?
身体だけのカンケーなんて、自分にはとても我慢できやしない。
じゃあ、なんで三蔵は俺が触れるのを許してくれるんだよ! と噛み付いたら
『うるせえな。・・・気まぐれだよ。』
と、嫌そうな顔をして吐き捨てるように言われた。それを聞いた日は流石の悟空もショックのあまり、夕飯が喉を通らない程だった。
悲しくて、泣いて、泣いて、泣き続けたら『やかましいっ!!』という怒声と共にハリセン三往復ビンタを喰らったあげく、三蔵の寝室から蹴り出されてしまった。
「猿が三蔵サマに惚れてるなんて、一目見りゃすぐわかんだろーが。俺が三蔵だったら、すぐ信じてやるぜ」
ニヤニヤと薄笑いを浮かべた悟浄を、悟空は心底嫌そうに眉を顰めて見遣る。
「エロ河童に信じてもらっても、嬉しかねーよ」
言ってんじゃねーかよ。信じて欲しいのは、さんぞーだけだって。
「どうすれば、さんぞーを愛しているって俺の気持ち、信じてもらえるんだろう」
親を慕う子供の気持ちなんかじゃ、ないのに。身体だけが目当てじゃないのに。
三蔵がいつも言うように、自分は決して頭がいい方じゃないと自覚はしている。語彙も少なく、八戒みたいに上手に自分の想いを伝える『言葉』も持っていない。
「心って、目には見えねぇもんな・・・」
悟空がぽつんと、呟く。
例えば胸を切り裂いて中を見せたら、三蔵への愛情が一杯詰まっていて、それを肉眼で見る事が出来るというなら。躊躇いなくそれを実行してみせるのに。
手の中で冷めてきた蒸しパンをじっと見つめながら、悟空は決して他人を信じようとはしない、人嫌いの飼い主を思い浮かべて、そっとため息をついた。
「ストレートというのは、悟空の美点ですけれど」
少し早めの昼食を終えて、懐かしい我が家(?)へと帰っていった悟空を送り出した八戒は、食後のお茶を用意しながら、相変わらずソファに踏ん反り返って煙草をふかしている悟浄に言った。
「今回ばかりは、裏目に出てるねぇ」
「というか、あまりにストレート過ぎて、恥ずかしいんでしょう。三蔵も」
そう言いながら八戒は、寝煙草状態の悟浄の口から「灰がこぼれるから、止めてくださいね」と、まだ火を点けたばかりの煙草を抜き取って、近くにあった灰皿に擦りつけてしまう。「あぁぁ」と、情けない声を上げて愛するハイライトの残骸を眺めた悟浄は、それでも八戒には文句を言えず、渋々とソファの上にきちんと座り直した。
「・・・恥ずかしいねぇ。あの生臭ぼーずに、ンな感情が、あったなんてなぁ」
やっぱ、三蔵も人の子だったんだなぁと、悟浄は感慨深げに呟いた。恋とはそこまで人間を変えてしまうものなのか。まぁ、そうでもなかったら、あの接触嫌悪で高慢ちきで人嫌いの三蔵が、同性で、しかも年下の悟空に抱かれるなんて事ありえないだろうが。
「でも、あの真っ直ぐな悟空の愛情だからこそ、三蔵に届いたんだと思いますよ。三蔵だって、本当はわかっているんでようね。悟空の気持ち」
「あんな風に悟空の言う事を信じない振りをしているのは、本気にならない為の予防線ってか?」
「それもあるでしょうね。あの人、案外そういう所は臆病ですから。あ、これオフレコですよ」
三蔵の事臆病呼ばわりした事がバレたら、僕、魔戒天浄されちゃいますから。と、八戒は冗談にしても物騒な事をさらりと言ってのける。
「僕達が言うのではなく、悟空が三蔵の気持ちに気づかないといけないんでしょうね」
失う事が怖くて、信じる事ができない三蔵の孤独。もしも悟空が自分から離れていった時、「あんな奴の戯言なんか、信じちゃいなかったさ」と自分に言い聞かせるための予防線がなければ、壊れてしまうかもしれない程悟空を必要としている事を。そして、そんな自分の本心にさえ目を背けている三蔵の弱さを。
「あの猿も三蔵の事となると、おっそろしいくらい、勘が働くってのに。色恋い事になるまだまだガキだな」
だいたいあの三蔵が、ただの気まぐれで男に抱かれる筈がない。それを考えただけでも、三蔵が悟空を受けれている証だと判りそうなものを。当事者には、それが理解できないのだろうか?
本当に恋に不器用な奴らだ。悟空も、三蔵も。
「でも悟空なら、きっと三蔵を包み込めると思いますよ。なんと言っても『大地が産んだ子』ですからね」
包容力は並じゃないですよ、と八戒は可愛い『弟』を思い浮かべながら、嬉しそうに微笑んだ。
てくてくと徒歩で帰路についた悟空が、寺院近くまで辿り着いたのはもう夕餉の時刻に近かった。
2、3日会えないだけでこんなに三蔵に餓えている。早く会いたい。声を聞きたい。そして抱きしめたい。柔らかい金糸の髪を優しく梳いて『大好きだ』って、『愛してる』って一杯一杯耳元で囁きたい。
「でもきっと、さんぞー『うるせえ。てめえは、ヤりたいだけなんだろーが』って言うんだよな」
と、悟空は一人ごちると、がっくりと肩を落とした。三蔵の言葉は恋する少年には、かなりデリカシーが無さ過ぎる気がする。いや、三蔵にデリカシーを求める方が無理というものなのか。
たしかに三蔵は人に触れられるのを極端に嫌うから、自分との行為ももしかしたら嫌々なのかもしれないけれど。あんまり悟空が煩く求めるから、ペットを静かにさせる手段として仕方なく自分に付き合っているのかもしれない。
冷静になって考えてみれば、あの三蔵がそんな事で自分を安売りするなどとは絶対ありえない話だが、延々悩むあまり悟空の思考はかなり狭くなってしまっている。考えがドツボに嵌って、否定したい考えばかりが真実のように思えてしまう。
三蔵を抱くのをガマンすれば、信じてくれるだろうか? 自分の気持ちが肉欲だけでは、ないという事を。本当に、心から三蔵を愛しているという事を。
とりとめもない事ばかり考えてしまう。
どうして、あんな鬼畜生臭坊主なんか、好きになっちゃったんだろう。いっつも暴力ばっかふるうし。『死ね』とか『コロス』とか物騒な事ばっかり口にするし。ちっとも俺の気持ち、信じてくれないし。横暴だし。それから、それから・・・。
「でも・・・好きなんだもん」
理屈じゃなく、三蔵が好き。諦められない。
「誰よりも、さんぞーが好きなんだもん」
くすん、と小さくしゃくり上げると、それでも愛する人のいる我が家へと自然と歩みは早くなっていく。やはり自分が帰る事を望む場所は、三蔵の傍しかないのだから。
そうやって悶々と悩みながら寺院の門を潜った悟空は、普段この場所からは嗅ぎ取る事の出来ない筈の不吉な匂いを敏感に察知した。
「・・・これって、血の匂い・・・?」
それも誰かが掠り傷を負ったとか、そんな生易しいものじゃない。かなり大量の血がこの寺院の敷地内で流されている。盗賊か? それとも・・・。
「さんぞっ!!」
飼い主の身を案じた小猿は、そのまま猛然と血の匂いの源へと駆け出して行った。辿り着いた本堂には、数十人の男達が床に蹲って呻き声を上げていた。どれも見たことのない、男達。手には、なにやら飛び道具のようなものが握り締められているが、やはり盗賊の類いだろう。
ぐるりと辺りを見回して愛する人の姿が確認できないと、悟空は本堂の片隅で腰を抜かして震えている数人の坊主達のもとに駆け寄り、その胸倉を掴み上げた。
「おい、三蔵はどこだよっ!」
]ぐいぐいと、締め殺しかねない程の悟空の勢いに、一層蒼白になった年若い坊主は、かくかくと顎を揺らしながら、引き攣った声を絞り出して答えた。
「あ・・・、宝物殿に向かった、賊の、後を追われて・・・・」
最後まで聞かず悟空は坊主を放り出すと、そのまま近くにある全ての物を破壊しかねない勢いで、本堂を飛び出していった。
男達は皆、銃弾に倒れていた。三蔵のS&Wだろう。ここで、あんなモノを使うのは三蔵しかいない。それでも、トドメをさしていなかったのは、いくら盗賊といえど、流石に寺院内での殺しはマズイと判断したのだろうか。それにしても、まさか1人で賊を追ったのだろうか? 寺院内の法力僧達は、いったい何してんだよっ!
悟空は、普段口ばかり達者で肝心の時に腰抜けな坊主達を罵りながら、愛する人の安否を確認する為宝物殿へと急いだ。