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ワンナイト・オンリー(同人誌「DESTINY」掲載)

 

三蔵、どこ行ったんだよっ!! 俺に黙って、こんな夜中に、寺抜け出すなんてっ!

悟空は心の中で愛する人を責めながら、新月の闇の中、飼い主を求めて長安の町をひたすら走る。

時刻はすでに零時を過ぎ、人々は寝静まり町は閑散としていた。通りを照らす灯りもなく足元も怪しいが、夜目の利く悟空にはさしたる危険もない。それよりも、今悟空にとって一番の気がかりは三蔵の安否だ。

(なんか、すっげーイヤな予感・・・)

事三蔵に関する限り、その『イヤな予感』というのが外れた事がないだけに、悟空の不安は否が応にも増すばかりだ。きっと三蔵の身に、何か起きているに違いない。そう思うだけで、悟空の心臓はぎゅっと素手で握り込まれるような、痛みを覚えた。

異変に気がついたのは、もうすぐ日付が変わる頃だった。普段は一度寝付いたら殺しても起きないであろう自分が、夜中にぽっかり目が開いてしまったのだ。

(さんぞ・・・?)

常にない違和感を感じ、悟空はもそり、と三蔵のベッドの横に敷かれた万年床から起き上がると、隣りの執務室の様子を窺った。このところ公務に追われている三蔵は、夜遅くまで仕事をしている。この時間ならば、また執務室にいる筈なのに。

じっと扉を挟んで様子を窺ってみるが、あるべき筈の三蔵の気配がない。勿論、隣りのベッドはもぬけの空。これだ、夜中に自分が目を覚ました原因は。

悟空は、不安にぶるり、と身体を振るわせた。こんな夜中に、どこに行ったんだ?大僧正か誰かに用事でもあって、部屋を空けているのだろうか?

悟空は精神を集中して、寺院内に三蔵の気配を求める。しかし、愛する人の馴染んだ気配は、寺院内のどこにも見当たらない。そっと扉を開けて、薄暗い室内をその金瞳をこらして見つめると、目に映る白いモノ。それは、椅子の背に掛けられた三蔵の法衣。何か厭なものを感じた悟空は、慌てて部屋の中に飛び込むと、三蔵の机の一番下の引き出しに手をかける。しかしそこには鍵がかかっていて、開ける事は叶わない。

(三蔵、経文を置いていってる・・・?)

滅多にある事ではないが、何かの事情で経文を身につけない時は、三蔵はこの引き出しに経文を仕舞って鍵をかける習慣がある。今この引き出しに鍵がかかっているという事は、経文はこの中にあり、その持ち主が身につけていないという事になる。

(さんぞ、どこ行っちゃったんだよ。こんな夜中、経文も置いてっ!)

居ても立ってもいられず、悟空は手早く着替えを済ませると窓を開けると、そこが地上3階だという事に頓着もせず、勢いよく闇の中にジャンプした。

 

 

(近いな。三蔵、この辺にいる)

悟空は愛する人の馴染んだ気配と匂いを先程よりも身近に感じて、思わず眉を顰める。

悟空が三蔵を求めて入り込んだ場所は、長安でも有数の歓楽街だ。無論悟空は立ち入った事はないが、馴染みの悟浄に連れられて1、2度近くまで来た事はある。

(こんなトコに、三蔵なんの用だよ? ひとりでこんなトコ来たら、危ねーのにっ!)

居酒屋や売春宿。その陰に隠れて阿片の売買や、果ては人身売買まで行われているというそんな危険な場所に。たったひとりで、経文も持たずに来るなんて。

確かに三蔵の強さは、並の妖怪をも凌ぐ程だ。常日頃「守ってもらう必要なんて、ねえ」と豪語しているだけあって、あの痩身からは想像もできない位の鬼神のような強さだが。しかしどこかうっかり屋で、ちょっとしたミスが命取り、の見本のようなところがあるし、何よりもあの容姿だ、目立つ事この上ない。酔っ払いや、そのテの嗜好の輩が目をつけない筈がなし、ヘタをすれば薬などヤバイ事に巻き込まれないとも限らない。今彼を守るものは、愛用のS&Wだけなのだ。

そして先程から、治まる事を知らない胸騒ぎ。絶対、三蔵の身に危険が降りかかっているに違いない。悟空は激しい動悸で破れそうな心臓の痛みに、唇を噛む。

痛いのは、三蔵の身が案じられるからだ。はやく、この角を曲がればきっと・・・。

 

「さんぞうっ!!」

悟空の大きな金色の瞳に飛び込んできたのは、数人の男達に囲まれている黄金に輝く人の姿。いつもの法衣姿では勿論なく、白いシャツにジーンズという軽装だ。

男達は5、6人だろうか。一様に図体がでかく、人相悪い事この上ない。足元には、更に数人の男達が転がっているが、これは三蔵にのされた連中だろう。頬に傷を持つ、頭を反り上げた男が、三蔵を羽交い絞めにしている。

丸太のような太い腕に拘束され、流石の三蔵も身動きができない。男達の中にあって、三蔵の華奢さが一際目立った。捕らえられても尚その紫暗の瞳に力を失わない彼を、男達は獲物をどういたぶろうかと好色な卑しい笑みを浮かべて、その全身を舐めるように見回している。

愛する人を汚すようなその視線に、悟空の理性が音を立ててぶち切れた。

「てめーら、三蔵に触んじゃねぇぇ―――っ!」

「な、なんだ、てめーはっ?」

突然飛び込んできた小さな塊に驚いた男達は、一瞬の隙を作る。それが彼らにとっては、命取りだった。

目にも止まらぬスピードで、あっという間に悟空は男共を叩き潰す。いつもの、売られた喧嘩を楽しんでいるような、そんな雰囲気ではない。殺気だち憎悪に満ちた眼差しで、悟空は問答無用に容赦無く男達を半殺しの目に合わせる。三蔵を羽交い絞めにした男の腕が、嫌な音を立てて不自然な曲がり方をしたのは、間違いなく骨を砕かれたせいだろう。

「・・・もう、いい」

まるで金鈷が外れたのでは、と疑いたくなるような悟空の弄り方に、三蔵が掠れた声で小さく制止する。もっとも止めるまでもなく、すでに男達は虫の息で地べたに転がり無様な呻き声を上げて、もう悟空の相手になる者などいやしなかったが。

「止めろ、猿」

「・・・さんぞ」

僅かに弾む息を整えて、悟空は愛する人を振り返った。その金色の瞳には、先程までの強烈な殺意は見えない。いつもの見慣れた、ただ三蔵にだけ注がれる愛しさがあるだけ。

三蔵はそんな悟空に視線を合わせようとはせず、黙って足元に転がる男のひとりに近づき、その懐におもむろに手を入れる。

「さんぞ、危ねーよ!」

しかしそんな悟空の言葉には耳も貸さず、三蔵が男の懐から取り出したものは愛用のS&W。小競り合いの最中にうっかり病が出て、隙を見せてしまったのだろうか?愛用の小銃を奪われて、さしもの三蔵もあれだけの数の大男を全員倒す事は、不可能であったのだろう。むしろ、よく善戦したと言ってもいいところだろうが。

三蔵が俯いたまま、唇をぎゅっと噛み締めたのを、悟空は見逃さなかった。しかしあえて、三蔵には何も言わない。こんな時、へたに慰めの声などかけようものなら、この天にそびえる程プライドの高い最高僧を、余計傷つける事になると、小猿は嫌という程判っていたから。

自分のミスで下賎な男達の手に落ちそうになった事も。そんな自分を、ペットの猿に助けられた事も。三蔵にとっては、たまらない程の屈辱だろうから。

自分を死ぬ程心配させた事に関しては、文句を山のように言いたいけれど。でもとりあえず、三蔵が無事だったから、今はいい。とにかく今は、三蔵をゆっくり休ませてあげたいから。そう思い悟空は、無言のまま背を向けて歩き出した、愛しい人の後ろ姿に小さくため息をつくと、急いでそのあとを追ったのだった。

 

 

「さんぞ、風呂沸いたから入れよ。今なんか食うモン探してくっから」

寺院に帰り着いても一言も口を開こうとはしない三蔵をベッドに座らせると、悟空はてきぱきと愛する人をゆっくり休ませる為に奔走する。

「あれ、さんぞ・・・」

男共との乱闘と時に、袖のボタンが外れてしまったのだろうか。微かに覗く三蔵の手首に、小猿が眉を顰めた。

「手首、怪我してんじゃん!」

大きな金色の瞳が、目ざとくその白く細い手首についた鬱血の痕を見つけて、大声を上げる。馬鹿力が自慢の男に、力任せに捕まれたせいだろう。青黒い指の跡がくっきり浮かび上がっているのが、痛々しい。

「痛ぇ? 骨は大丈夫かな。少し冷やした方がいいよな?」

そう言いながら伸ばされた悟空の手が、三蔵の手首の痕に触れようとしたその瞬間。

ぴしっ!

「・・・さんぞ?」

「触んじゃ、ねえ」

弾けた音と共に手のひらに感じる、熱い痛み。悟空は叩き払われた手をそのままに、低い声で押し殺すように呟いた愛する人の、端正で、それでいて無表情な顔を、まじまじと見つめてしまう。

「どしたのさ、三蔵? 手、痛ぇの?」

「俺に構うんじゃねぇ」

「え?」

言われた事の意味が理解できず、悟空は呆けた顔で三蔵の言葉を反芻する。

「だって、手ぇ怪我してんじゃん。そのままにしてたら・・・」

「どーでもいいだろう。俺がどうなろうと、てめーには関係ねえだろうが」

「なっ!」

あんまりな三蔵の言い様に、流石の悟空も声を荒げて反論する。

「関係ねえ訳、ねーだろっ! 俺が三蔵の事好きだってこと、三蔵知ってるクセに! すっげー心配したんだぞ。夜中に目が覚めたら、三蔵いねーし。経文も置いて、あんな危ねーとこひとりで行くなんてさ! なんで俺も連れてってくんなかったんだよ!」

しかし激昂して噛みつく悟空に向けられた、三蔵の視線と言葉は予想以上に実に冷ややかなものだった。

「なんで、てめーを連れて行く必要がある」

「さんぞ・・・」

「俺ひとりじゃ、自分の身も守れねーってか?」

「あ、そーゆーつもりじゃ・・・」

守られる事を非常に厭う三蔵。まるで何かの呪縛のように、頑ななまでに己に『強さ』を求める三蔵にとって、悟空に守られた、という事実が思った以上に彼のプライドを傷つけたのだろうか? 悟空は言葉に詰まって思わず俯く。

そんな悟空に、三蔵は薄く嘲笑を口元に浮べながら、目の前の小猿を傷つける言葉の刃をその唇にのぼらせる。

「じゃあ、どんなつもりなんだよ。俺があんな下種野郎共にいいようにされかけて、それを助けたのが気分良かったってか? 優越感を味わえたってか?」

「さんぞっ!」

ばっと顔を上げた小猿の口から、悲鳴じみた声が上がる。

「なんでそんな事、ゆーんだよ! 別に俺、そんなつもりで三蔵助けたんじゃねぇよ! 好きな人が危ねー目に合ってたら、助けんのは当たり前じゃん! あいつら、三蔵の事、すっげー汚ねえ目で見てた! あのままいたら、何されてたか、わかんねーじゃん!」

しかもあの時、男のひとりが何やら怪しげな注射器を持っていたのを、悟空は視界の端に捉えている。悟空の知識では詳しい事は判らないが、まず間違いなくあれは『薬』だろう。あんなモノを投与され男達に弄りモノにされたら、あとはどんな末路がまっているか。そう思っただけで、全身の血が凍ってしまいそうだ。

それなのに、そんな悟空の心中など欠片程も理解しないのか。目の前の最愛の人は、馬鹿にしたように小さく鼻をならすと、口元を軽薄そうな笑みで歪める。

「別に、たいした事じゃねえ」

「さんぞう!!」

「どーって事ねえだろうが。女じゃねーんだ。俺が気にしねぇんなら、それでいいだろうが。それとも何だ。俺が奴等になんかされて、てめーが困る事でもあんのか?」

「さ・・・」

金色の瞳が、零れ落ちそうなくらい大きく見開かれる。愛する人が何を言っているのか、理解できない。

弄りモノにされて、いい訳がない。誇り高い三蔵にとっては、奴等に自由を奪われただけで、死ぬ程の屈辱だろうに。何故こんなにも自虐的な言い方をするんだろう。どうして、こんなにも自分を傷つけるんだろう。

自分が三蔵を助けた事が、そんなに気にくわなかったのか? でも、それでは、あの時他にどうすればよかったというのだ?

そんな悟空の気持ちも知らず、三蔵は小馬鹿にしたような、冷ややかな笑みを再び浮かべながら、小猿の心臓を一突きするような暴言を事もなげに吐いた。

「何度か俺の身体を好き勝手にしたくれーで、自分のモン気取りか? あいにく俺は、てめーのモンなんかじゃねーんだよ。亭主ヅラして、でけぇ口たたくんじゃ・・・」

ぱしっ!

しかし三蔵の言葉は、最後までその口から紡がれる事なく中断された。突然熱い痛みが、三蔵の頬を襲う。紫暗の瞳を大きく見開いたまま三蔵は微動だにせず、叩かれた弾みで乱れた金糸の髪が、白い顔を被い、その感情を読み取る事はできない。

「・・・ンで・・・」

悟空の口から、掠れた声が絞り出される。込み上げてくるのは、怒りなのか。それとも悲しみなのか。悟空自身にも判断できない感情の波が、一気に押し寄せてくる。

「なんで、ンな事言うんだよっ! どーって事ねえ訳、ねえじゃん! 三蔵、人に触られんの、大嫌いなのに! それをあんな奴等にいいようにされて、それで三蔵平気な訳ねえじゃん!」

大きなまあるい満月を思わせる金瞳から、ぼろぼろと涙が止めどなく零れ落ちる。その頬を伝う涙を拭いもせず、悟空は激情のままに叫んだ。

「俺が三蔵を助けたからって、何で俺がいい気分になるんだよ? 大切な人が危ない目にあってたのに、喜ぶヤツがいるかよっ! 優越感て、なんだよ? 三蔵、何言ってんだよっ!」

判らない。どうしても三蔵の言う事が、理解できない。

こんなに心配したのに、死ぬほど心配したのに。そして三蔵の無事が、ただただ嬉しいのに。それの何がいけないのか。なにが三蔵をそんなに苛立たせるのか。あのまま、三蔵の危機を黙ってみていればよかったというのか?

亭主ヅラなんて、考えた事もないのに。誰よりも愛する人が、その肌を許してくれたのが嬉しくて、いつも宝物のように触れていた。恋人同士なんて言えない関係だとは、ちゃんと理解しているつもりだ。三蔵の口から『愛している』と告げられた訳でもない。悟空の諦めをしらない求愛に「仕方なく」応えてくれた、というのが本当のところかもしれない。

それでも、三蔵が自分の想いを受け入れてくれた。今はそれだけで充分だった。充分だったのに・・・。

悟空はぎゅっと、血が滲む程強く唇を噛み締めると、そのまま小刻みに肩を震わせながら俯いた。

悔しくて。自分の、三蔵を想う気持ちを、そんな風にとられるのが、たまらなく悲しくて。

いつの間にか強く握り締めていた拳からも、血が滲んでいる事にさえ気がつかない。

「好きな人を心配して、何が悪いんだよ! 自分のモン気取りって、なんだよっ?俺、そんな事思ってねえ! なのに、なのに・・・」

で声が詰まる。もっと、もっと言ってやりたいのに。金糸の髪で、その表情を隠したまま身動ぎもしない、この誰よりも残酷で、愛しい人に、もっと、もっと言ってやりたいのに。なじってやりたいのに。

もう頭が混乱し過ぎて、言葉も見つからない。

「三蔵の馬鹿ヤロ――っ!!」

涙で掠れた声でやっとそれだけを叫ぶと、悟空はくるりと三蔵に背を向けて、大声を上げて泣きながら部屋を飛び出していった。

バタバタ、と深夜には相応しくない騒音が遠ざかる。

やがて、しんと静まり返った部屋で、三蔵はひとりベッドに腰掛けたまま、虚ろな視線を床に落とした。悟空に頬を叩かれた姿のまま、身動きひとつせずに・・・。

 

 

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