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あの夜の幸福感と、翌朝の恐ろしさをジープは生涯忘れないだろう。

どうした天の采配か。決して叶うはずのない夢が現実となった、あの夜。あこがれの三蔵の腕に抱かれて、眠る事が出来たのだ。

はじめは、あまりに突然の幸せに一晩中眠る事など出来ないと思った。風呂上りの三蔵からは、とても甘いいい匂いがして。人よりも体温が低いと言われているのが信じられない程、その腕は温かだった。

夢みて、夢みて。夢で終わる筈だった、ジープの『夢』。それが現実となった嬉しさに、ジープの小さな心臓はばくばくと大きな音をたてて、三蔵に「うるせぇ!」と叱られるのではないか、と内心びくびくしたが。

三蔵は悟空とジープ、二匹の動物に張り付かれたまま安らかな寝息をたてていた。眠っている時も、眉間に皺をよせていたが。でも、起きている時の仏頂面からは信じられない程、幼げな寝顔。その優しい寝顔と、頬にあたる三蔵の甘やかな寝息に、ジープの心拍数は上がるばかり。

(きゅ、きゅぅ、きゅぅぅ(ああ、一晩中こうしてこの方の寝顔を拝見していたい))

もうきっと訪れる事のない幸せ。それを一晩中噛み締めていたい。しかし、一日中車の姿で走行している疲れが出たのか、三蔵の腕の温かさに誘われたのか。暫くすると、ジープも憧れの三蔵の後を追って、夢の世界へと旅立っていった・・・。

 

そして目覚めたジープの視界に突然飛び込んできたのは・・・。

思い出すのも恐ろしい。滅多に見る事のない、ご主人様・八戒の凍りつき、驚愕に引き攣ったあの表情。今でもあの時の事を思い出すだけで、ジープの翼にはじんわりと冷や汗が浮かんでくる。

 

「・・・これは、どうした事でしょうね。珍しく三蔵が起き出すのが遅いので起こしに来てみれば。悟空は勿論ですが、ジープ。どうして、あなたが三蔵のベッドの中にいるのですか」

「・・・きゅ、きゅぅぅぅ(・・・そ、それは・・・)」

口元はいつものようににっこり笑っているご主人様だが、そのきれいな翡翠の瞳は決して笑ってはいない。

当たり前だろう。ジープの敬愛する、この一見人当たりのよい青年も、実は三蔵の事を愛している。だからこそ、三蔵の『恋人』である悟空へのささやかな意趣返しとして、同じく三蔵に想いを寄せているジープをたきつけたのだが。

まさか、自分に従順な飼い竜にこのような仕打ちを受けるとは思いもしていなかった、というのが八戒の本音だ。たとえジープが三蔵に想いを寄せていたとしても。結局三蔵は、自分の飼い主の想い人。まさか手出し(?)をするとは、思ってもみなかった八戒である。

『飼い犬に手を噛まれる』とは、こう言う事を言うのでしょうかねぇ? と八戒はひとりごちた。

(三蔵と添い寝なんて。僕でさえ、した事がないというのに。やはり、三蔵は小動物に甘いですから。しかし、まさかジープに裏切られるなんて。僕も詰が甘かったようですね)

いつもと変わらぬ笑顔と凍りつくような視線が、ジープをじりじりと追い詰めていく。

「どうしたんですか、ジープ。飼い主である僕にも言えないような事なんですか?」

丁重な言葉使いだけに、尚更その中に秘められた刺がちくちくと痛い。

もう駄目だ。ご主人様は僕を許しては下さらない。きっと僕は皮を剥がれて、ごくうさんのお昼ご飯にされちゃうんだ・・・。

最悪の結末が浮かんで、ジープは悲しげに、きゅぃぃぃと小さな声で鳴く。そのジープの鳴き声に、三蔵が小さく身動きする。はっ、とお互いの顔を見合す八戒とジープ。

目覚めの時に騒ぎなど起こそうものなら、この寝起きが最悪の金髪美人の最高僧のただでさえ悪いご機嫌が、どれほど低下するか判ったものではない。八戒にしてもジープにしても、三蔵の機嫌を損ねて彼に鬱陶しがられるのだけは、ゴメンだったから。

「判りました。悟空にはあとでキツイお灸を据えるとして。ジープ、貴方にはあちらでゆっくりと話を聞きましょうね」

そういうと八戒は、ジープを両の翼の下から救い上げて、あたたかい三蔵の腕の中に別れを告げさせる。

(きゅぅ、きゅぃぃぃ。きゅっきゅうきゅきゅぅぅ――っ(ああ、さようなら、三蔵さまぁぁぁ―――っ))

次にあの方が自分の姿をみる時は、お皿の上に乗った『ジープの丸焼き』となっている事だろう。

どうせなら、目覚めなければ、よかった。あの温かな腕の中で、ずっと目覚めなければ、幸せでいれたのに。

ジープの紅い小さな瞳からは、ぽつり、と一滴の涙が零れた。

 

 

旅の足を悟空のご飯にするのは流石にまずい、と思ったのか。それとも可愛いペットへの温情なのか。なんとかジープは、丸焼きになって三蔵の前に姿を現す事だけは免れた。

しかし悟空があれから暫く腹を壊して寝込んだのをみると、八戒に一服盛られたと思ってまず間違いないだろう。

「きゅー、きゅぃ、きゅっ、きゅっ(ご主人様の仰っていた『お灸』って、きっとこの事なんだろうなぁ)」

ジープは駐車場で車の形をしたまま、ぼんやりと流れていく白い雲を眺めながらそんな事を考えていた。

悟空のご飯の刑は免れたものの、飼い竜に手を噛まれた八戒のにっこり微笑みながらの怒りは、それは恐ろしかった。前にもまして、個人的に三蔵に近寄る事を許されなくなった。

(きゅきゅきゅーきゅきゅぅ(三蔵さまぁ))

思わず、憧れの人の名前が零れる。車が、きゅいきゅい鳴くのを見られたらかなりヤバイ状態になるのだろうが。幸運な事に駐車場に人影はなく、またジープ自身三蔵の名前を呟いた事に気づいてない。

もう1度、お傍に行きたい。あと1度だけ、あの方のぬくもりを感じたい。

さっきご主人様は、ごじょうさんと買出しに行かれた。買う物が多いので、帰りは少し遅くなるかもしれない、と仰っていた。今なら、あの方に会えるかもしれない。わずかな時間だけでも、お傍にいられるかもしれない。

八戒に見つかれば、今度こそ『丸焼きの刑』にされるかもいれないけれど。あの夜知ってしまった三蔵の腕のあたたかさは、ジープの淡い恋心に火をつけてしまったのかもしれない。

 

 

「きゅぅぅぅ」

ジープは、そっと鼻先で三蔵の個室の扉を押してみる。懸念してはいたが、どうやら鍵はかかっていないようだ。少し力を込めると、ぎぃ、と軋みを立ててジープが入り込む事が出来る程の隙間が作られた。

物音を立てずに部屋に入り、視線を廻らす。すると、いた。黄金の髪をもつ憧れの人は、ベッドに腰掛けていつものように新聞の活字を追っている。

「・・・きゅう」

そっとジープが声をかけると、三蔵の紫暗の瞳がめがね越しに活字からジープへと移る。

「おまえか」

三蔵はちらり、とジープに視線を流すと、また瞳を新聞に戻る。ジープはそんな彼の邪魔をしないように、そっと三蔵の足元に丸くまってうずまった。

(きゅぅぅ、きゅきゅゆうっ、きゅうー・・・(ああ、三蔵様の、お傍だぁ・・・))

ジープの小さな口元から、思わず小さなため息が零れる。

美しい人、憧れの人。こうして傍にいられるだけで、こんなにも自分は満たされてしまうのだ。このまま、一生こうしてこの方のお傍で生きていけたら、どんなにか幸せだろう。ジープは愛しい人の髪と同じ色の瞳を持つ少年の、幼げだか端正な面差しを心に浮かべて、今度は深いため息をつく。

羨ましい少年。三蔵に拾われて、三蔵に育てられて。そして、三蔵に必要とされて。

鬼畜生臭と言われどこまでも俺様な三蔵だが、意外と精神的に脆いところがある事を、ジープは旅をしていく中で知った。普段は表に出ないが、雨の日などになると八戒と同じように情緒不安定になるようだ。いや、その危うさは三蔵の方が顕著かもしれない。日頃は鋼のような強さを持つ三蔵も、こういう時は儚いガラス細工のようだ。

そんな三蔵を癒す事ができるのは、この世で悟空ただ1人だ。無条件に注ぎ込まれる悟空の大きくてあたたかな愛情が、三蔵の壊れかけた心をぎりぎりで支え、癒しへと導くのだろう。

無意味に自分を責め続ける三蔵に、「三蔵はそのままでいいんだよ、そのままの三蔵を愛してる」と囁き続ける黄金の瞳の小猿。これは、悟空以外の誰にもできない事だ、とジープは悔しいながらも理解している。おそらく、三蔵自身が思うよりもずっと三蔵は悟空の存在を必要としているのだろう。

(僕が、ごくうさんのような存在になれたら・・・)

「どうした、ジープ。さっきからため息ばかり吐きやがって」

「きゅっ?」

思いがけず三蔵に声をかけられて、慌ててジープが顔を上げると。

(きゅ、きゅぅぅぅっ―――っ!!)

目の前には三蔵の整った白い顔が、ジープの視界いっぱいに広がっている。足元で丸まって、きゅう、きゅう、とため息をつく白竜を不審に思ったのか、珍しい事に三蔵が床にしゃがんでジープの視線に合わせて、彼の顔を覗き込んでいたのである。

(きゅうっ、きゅっきゅきゅ~(ああ、三蔵様がぁ~))

この高慢ちきで縦のものを横にするのも面倒くさがる最高僧が。なんと、自分を心配して床に膝をつけてくださっているのだっ!ああ、今この時に人生を終える事ができたら、僕の一生は素晴らしい終末を迎える事だろうっ!

感極まって、紅い小さな瞳から涙をぽろぽろ零すジープの姿に、三蔵はぎょっとする。

「なんだ? 床に蹲って腹でも壊したのか?」

(きゅ、きゅう、きゅぅぅ(ごくうさん、じゃないですぅ)

三蔵にしてみれば、こういう時は悟空もジープも所詮は動物、といった認識しかしていないのだが。

やはり三蔵の頭の中には、いつでも悟空の存在しかないのだろうか、とジープが悲しげに顔を上げると。三蔵に抱き上げられた自分の視線の先に今度は、憧れの人のぽってりとした唇が飛び込んできた。

「うきゅっ!!」

少し厚めの、赤くてとても柔らかそうな三蔵の唇。触れてみたら、どんな感じがするんだろう。きっと熟れた果実よりも、甘くて美味しいに違いない。ジープは、じぃっと三蔵の口元を見つめる。

1度だけでいいから、触れてみたい。・・・キス、してみたい。そう思った瞬間、ぼんっとジープの頬が真っ赤に染まる。

「おい、風邪か?」

しかしそんな三蔵の声も、今のジープの耳には届かない。

今ならご主人様はいらっしゃらない。それに、ごくうさんも自分の部屋で昼寝をしている筈。きっと夕ご飯までは起きてこないだろう。だから、1度だけ。初恋の記念に・・・。それくらいは、きっと許されるでしょうから・・・。

自分にそう言い聞かせて心を奮い立たせると、ジープは細い首をそっと伸ばして自分の小さな口を、三蔵の少し煙草の匂いのする唇に触れさせる。

ちゅっ

「・・・ジープ?」

思いがけないジープの行動に、怪訝そうな顔をした三蔵が、腕の中の小動物を覗き込んだその瞬間!

 

「ジープ! さんぞーに何してんだよっ!!」

いつの間にか全開にされた扉の前で、わなわなと震えた悟空が仁王立ちになって三蔵とジープの姿を凝視していた。まるで戦闘時のように殺気立っているのが、ピリピリと伝わってくる。

「悟空!?」

「・・・きゅっ!!」

答えを待たずに物凄い勢いで部屋の中に飛び込んでくると、悟空はジープを抱いていない三蔵の空いた方の腕を掴んで、思い切りベッドの上に押し倒す。弾みで三蔵の腕から放り出されたジープが、慌ててぱたぱたと羽ばたいて空中でバランスを取る。

「てめっ、なにす・・・んっ!」

三蔵の叫びに、ぱっとなって眼下に視線を送ったジープが見たものは・・・。悟空の小さな身体に組み敷かれて、その唇をペットの小猿に貪られている悩ましい三蔵の姿。

「や・・やめ・・・ん・・・」

拒絶の言葉さえも、悟空の口腔に飲み込まれていく。苦しさに呼吸を求める事さえ許さず、ただ悟空の荒々しい愛撫が口腔の全てを犯していく。

悟空がこんなキスをした事は、いままで1度もない。どんな時でも、官能を呼び起こす時でさえ悟空の口付けはいつも優しく三蔵を驚かさないようにとの、配慮が伺えたのに。逃げようとする舌をきつく吸われ、その刺激と酸欠で頭の中が真っ白になる。

(なンだってんだよ、この馬鹿猿はっ!)

訳も判らず自分を振り回す馬鹿なペットにハリセンの十発や二十発くらい、食らわせてやりたいところだが。とてもではないが、今の三蔵にそんな余裕はどこにもない。

やっと悟空が三蔵を解放した時には、もう息も絶え絶えで不埒なペットに悪態をつく事さえできなかった。しかしそれでも何とか乱れた息を整えようとしていると、悟空の手がふいに襟元から滑り込んで、アンダーシャツの上から三蔵の肌を捜し始めた。

これには三蔵もぎょっとなった。扉は開いたまま。しかも室内にはまだジープもいる。いくら動物とはいえ、誰かの目のあるところで悟空に抱かれるのは我慢ができない。

「ご、ごくぅ、やめ・・・、ジープが、いる」

息を乱したまま何とか悟空を止めようとする三蔵の言葉を、だが小猿は耳に入れようとはしない。ただ黙々と法衣を乱して、アンダーシャツの中に手を忍び込ませようとしている。

(冗談じゃ、ねーぞ! ざけんなっ、この馬鹿猿!!)

直接肌に触れた悟空の手にカッとなった三蔵が、先程の激しいキスに潤みながらも、それでも強い意志と拒絶をその紫暗の瞳に滲ませて、鋭く叫んだ。

「悟空っっ!!」

その声にぴくり、と悟空の肩が揺れて三蔵の肌の上を這っていた手の動きが止まる。

「俺が止めろって言ってんのが、聞こえねえのか」

「さんぞ・・・」

最愛の人の冷たい視線に、悟空が凍りつく。そして慌てて、三蔵の上から己の身体をどけた。悟空が思い止まったのを認めると、三蔵はゆっくりと身体を起こして、横目でジープの姿を探す。

と、たしかに上空をボバーリングしていた筈のジープは、へなへなと床に落ちて虚ろな瞳で自分達を見つめていた。どこか傷ついた目をしていたと思うのは、気のせいなのだろうか。

「ジープ」

突然三蔵に声をかけられて、ジープはびくっと大きく身体を揺らす。

「おまえ、出て行け」

否とは言わせない、強い声。ジープが三蔵の言葉に逆らえる筈はない。しなしなと萎れたままの姿で三蔵の部屋を後にしたジープは、重い扉を自身の身体で押して丁重に閉めてやる。

「きゅぅぅぅぅ・・・」

小さなため息と共に、涙がぽろぽろ零れて落ちる。

初めてのキスはとても甘かったけれど、その後に残った記憶はとても苦いものだった。

 

 

一方、部屋に残ったふたりの間には激しいブリザードが吹き荒れていた。

「・・・で、なんだってんだ?」

荒れ狂う心を静める為に口にしたマルボロが、やけに苦く感じられる。

三蔵にしてみれば、合意もなくいきなり襲われてあんなに激しいキスをされた上に、ジープの前で無理矢理抱かれそうになったのだ。怒らない訳がない。これが悟浄相手だったら問答無用で蜂の巣になっていた事だろう。まだ言い訳を聞いてやろうか、と思うあたりはやはり三蔵は悟空に甘い証拠なのだろうが。

だが珍しく悟空も挑むような目つきで、きっと三蔵を睨みつけている。

(反抗期か? 猿のクセしやがって、生意気なっ!)

元々忍耐とか、根気という言葉が平均以下に欠落されている三蔵である。

1度聞いてやって答える気がねぇんなら、後は俺には関係ねぇ!

眉間の皺を3割方増やした不機嫌丸出しの顔で、まだ火をつけたばかりの煙草を近くにあった灰皿に乱暴に擦りつけると、そのままくるりと悟空に背を向けてベッドに横になる。

馬鹿らしくて、ハリセンでぶん殴る気にさえなってこない。その三蔵の背中から滲み出る拒絶感に、悟空はきゅっと唇を噛むとやがてぼそりと呟いた。

「・・・キスした」

「ああ?」

「ジープ、三蔵にキスしてたっ!」

「・・・はあ?」

珍しく三蔵が目を大きく見開き、いささか間の抜けた声を上げる。

誰が、誰とキスしてたって・・・?

ぼんやりと自分の馬鹿猿を見つめていた三蔵は、やがてふぅっとため息をつくと呆れ果てた声音と共に身体ごと悟空を振り返った。

「なにがキスなんだよ。ありゃ、ジープの鼻先がたまたま俺の口に当たっただけじゃねーか」

「違うよっ! ジープは三蔵にキスしたんだよっ! だってジープはさ・・・」

そこまで言って、はっと悟空は口を噤む。いくらなんでもジープが心の中に秘めていた三蔵への想いを、こんな形で他人の口から三蔵に告げてしまうのは、なんとなくジープに対して悪いような気がしたのだ。

愛する三蔵の唇を奪われて、金鈷外れモードで怒り狂っていたクセに、変なところが優しい悟空である。

「あんだよ?」

途中で言葉を切った悟空を不満げに三蔵の紫暗が睨みつける。

「たかだか、ちょっと口がぶつかったくれーで、ガタガタ騒いだ挙句に、あんなざけなマネすんじゃねーよ。今後やったら、コロスからな!」

「たかだか、じゃねーよ! さんぞ、他人に触れられるの嫌いじゃん!」

「ジープは動物だろうが。てめぇ、なにカリカリしてんだ」

判っていない。ちっとも判っていない。ジープは三蔵の事が好きなんだから。愛する人が自分以外のヤツに好意を持ってキスされたのをみて、平然としていられる男がいる筈ないっ! 少なくとも自分は耐えられない!!

そう思うと悔しさや情けなさが溢れてきて、思わず悟空は声を限りに叫んでいた。

「さんぞーは、俺のモンだっ! 他のヤツには触れさせねぇ!! ジープにも、八戒にも。悟浄にも! 誰にも触れさせねえ!!」

悟空の絶叫に三蔵の不快指数が一気に上がり、その紫暗の瞳に剣呑な光を宿して馬鹿な事をほざいている猿を、ぎろりと睨みつける。

「誰が、てめぇのモンだって? ああっ!?」

「だって、俺はさんぞーしか、もってねえもん! さんぞーしかいらないもん!」

五行山から解放された以前の記憶は、なにもない。悟空の新しい人生は、三蔵から始まった。

以来悟空の生活の全ては三蔵が中心で、三蔵だけいれば十分だった。今自分が持っている全ては三蔵から与えられたものなのだ。悟空がその手に持っているものは『三蔵への想い』だけなのだから。だから・・・。

「さんぞーの唇もなにもかも、全部俺だけの・・・」

急速に怒りが萎えてきて、そこまで言うと悟空は力なく俯いた。

三蔵は自分のものだと言い切る自信なんて、本当は欠片もない。三蔵が誰かのものになるなんて、ありえない事だと実は判っている。

でも自分でそう思っていないと、そう信じていないと不安でたまらない時もある。

三蔵は何も言ってはくれないから。本当は自分は三蔵に必要とされては、いないんじゃないかと。必要のないものは傍に置かない主義だとは、知ってはいるけれど。でも時々、やはり不安になるのだ。

1度だって三蔵の気持ちを聞いた事は、ない。愛されていると、思いたいけれど。三蔵はなにも言ってくれないから。不安は増すばかりなのだ。

三蔵に必要とされる程、自分はきっと役にたっていないし、どこまでも自分は『ガキ』でしかないから。だから傍にいられる事が、三蔵に触れる事を許されたという事だけが、悟空にとっては唯一『三蔵にとって自分は特別』なのだと自分に言い聞かせる材料なのだ。

なのに三蔵はジープにも甘くて、傍にいても鬱陶しがらなくて、そしてキスまで許してしまって・・・。

(もう、俺が『三蔵の特別』っていえるモン、なくなっちゃったよ)

あと自分に残った肩書きは、煩い大食らいの手間のかかるペット、くらいなものか。『三蔵の特別』になりたい、なんて大それた夢なのだろうか?。

 

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