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ペルシアンブルー(同人誌「SWEET LOVE」掲載)
「なに、さんぞー。何か面白い記事が載ってんのか?」
久し振りの三蔵の休日。悟空は三蔵の私室に入り浸り、ちょこんと座った椅子の背に顎を乗せたままの格好で、ベッドに腰掛けて熱心に新聞に見入る最愛の人を飽きもせずじっと眺めていた。しかし見ているだけでは物足りなくなってきたのか、何とか愛する飼い主の気を惹こうと小猿自身は興味もない新聞記事を話題に上げる。
「・・・平均寿命が、また延びたんだってよ」
三蔵が面白くもなさそうに新聞の活字を追いながら、しかしそれでも悟空の質問に律儀に答えてやる。
「へーきんじゅみょう?」
「ンな八十年も生きて、どーするってんだ」
三蔵は心底嫌そうに呟いた。何に対しても執着心の薄い三蔵。生きる事に対しても執着がないのだろうか? そう言い切るには三蔵は己の人生の邪魔になる奴には容赦がない。 面倒くさがりでもあるから、八十歳まで生きるのが面倒なんだろうか、と悟空は間抜けた事を考える。
「俺、五百年生きてるよ」
「・・・てめぇと一緒にすんじゃねえよ」
三蔵は新聞から視線を上げると、あからさまに嫌そうな顔をする。
実際、悟空のようにあんな長い時間を孤独のうちに過ごす事ができるのか。三蔵は考えただけでも、うんざりしてしまう。いくら人間嫌いの三蔵とはいえ、元来「人」というモノは決して一人だけでは生きていけない事を知っている。この自分にでさえ、幼い頃には「光明三蔵」という精神的な支えがあった。
記憶の全てを失い、心の支えすら持たない、まだ子供だったこの馬鹿猿のどこに、あの五百年を一人で生き抜いた強さがあるのだろう……。
「へぇ、でも八十年かぁ。じゃ、さんぞー、あと何年生きられるんだ?」
そんな三蔵の気持ちもしらず、悟空はのん気に指を折って数を数える。
「五十七年、位?。えーと、日にちにすると何日だ?」
流石に掛け算は苦手なのか、小猿が縋るような目で飼い主を見上げる。
「……さんぞー」
「……だいたい二万日くれぇだろ」
ペットの馬鹿振りに小さくため息をつきながらも、それでも三蔵はしぶしぶと応えてやる。
悟空ぱぁっとお日様のような笑顔を浮かべると、椅子から飛び降りてベッドに腰掛けたままの三蔵の隣にちょんと座り込んだ。
「じゃぁ、俺少なくてもそれだけはさんぞーと一緒にいられるんだな? 二万の朝と夜をさんぞーと一緒に過ごす事ができんだなっ!!」
嬉々として叫ぶ小猿に、三蔵は新聞の活字を追ったまま冷めた口調で答える。
「そんなに長ぇ間てめぇと一緒じゃ、うるさくて仕方ねぇだろうが。それに、あくまで『平均』なんだからな。俺がもっと早くにくたばる可能性だってあんだろーが」
……それは、三蔵が悟空を置いて先に逝ってしまうと、そう言う事だろうか。三蔵のいない世界を悟空独りで生きていけと、そう言う事なのだろうか。意識はしていないのだろうが、時として酷く悟空の心を傷つける残酷な言葉を吐く最愛の飼い主を恨めしげに見つめながら、それでも小猿は日頃見せない程大人びた目をして、驚くほどはっきりと三蔵に告げる。
「それでも、すぐにまた逢えるよ」
自分が生涯かけて求めるのは、三蔵だけだから。三蔵がいない人生なんて、そんなの生きている意味がないんだから。
「だって、俺さんぞーの事呼ぶもん。ずっとずっと呼ぶから」
八年前、自分でも気づかない内にずっと三蔵を呼び続けていたように。今度も自分の存在の全てをかけて、三蔵を呼び続けるから。
「そしたら、さんぞー。また俺を見つけてくれるだろ?」
零れそうな程大きな金色の瞳で無邪気に三蔵の顔を覗き込んでくる悟空に、一瞬言葉を詰まらせた天邪鬼の飼い主は、やがてふんっと素気ない返事をすると、新聞に視線を戻す。
「……めんどくせぇな」
「……さんぞー」
暫くしてから呟かれた三蔵の言葉に、小猿は情けない程悲しげに愛する人の名を呼ぶ。八年前は、たとえそれが自分を呼び続ける煩い相手を、一発ぶん殴るってやろうという物騒な理由があったにせよ、わざわざ五行山まで来てくれたというのに……。今度は呼ぶ相手が自分だと判っているのに、迎えに行くのが面倒だというのか。
(それって、さんぞーにとって、俺は必要ないって、そういう事?)
じわっと瞳の奥が熱くなり、思わず、すんと鼻をすする自分のペットを三蔵は暫し無言で見つめていたが。
「……今度はてめぇが、俺を探してみたらどうなんだ」
やがて付けたしのように小さな声で呟く三蔵の言葉を耳聡く捉えた悟空は、一瞬意味が理解出来ずにぽかーんと間抜け面で飼い主を見つめたが。やがてその中に秘められた三蔵の気持ちを感じ取って、みっともないほど相好を崩した。
「うん、うん。そうだよな。今度は俺がさんぞーを見つける。顔とか名前が変わっても、俺平気だかんな。さんぞーはさんぞーなんだから。俺すぐに見つけられるよっ!」
どんなに長い時が経ても自分は、同じ心、同じ命で三蔵の事を愛している。だからどんなに姿かたちが変わろうとも、三蔵の『魂』は必ず探し出す事が出来る。自分が求めるのは、いつでもこの輝く『太陽』だけなのだから。
そんな小猿の照れも恥じらいもない物言いに、三蔵はふぃっと視線を背けた。
「さんぞ?」
愛する人の綺麗な紫暗の瞳を覗き込もうとする悟空を新聞紙が遮る。
「さんぞー、顔見せてよ」
「うるせぇ」
「さんぞーってば」
「うるせぇよ」
煩く迫る悟空に、三蔵はぷいっと背を向ける。すると悟空の視界に飛び込んできたのは、うっすらと朱に染まった三蔵の綺麗な項。
(……キレイ……)
男にしては線の細い、しなやかで美しいラインに悟空は吸い寄せられるように近づく。そしてそのままそっと、その滑らかな白い項に触れるようにくちづけた。「……っ!」
思わぬ所に感じた悟空の唇の感触に、三蔵はびくりと震えて首を竦める。その反応に気を良くした小猿は、小さく舌を出すとぺろりと柔らかな項を舐め上げた。
「……てめぇ……」
予想外のペットの所業に、三蔵はふるふると震えたかと思うと、いきなりくるりと振り返り目にも止まらぬスピードでハリセンを握る利き手を振り上げた。
すぱぱぱ―――ん
「……あぅ……」
「この馬鹿猿、調子こいてんじゃねーよっ!」
「だって、さんぞーの項、すっげえ綺麗で美味しそう……」
すぱん、すぱぱぱ―――ん
「う~~~」
蹲り、両手で痛む頭を抑えて唸る不埒な小猿に、ハリセンを握り締め、頬を紅潮させた三蔵が容赦無く罵声を浴びせる。
「一遍、死ね!」
「やだっ!」
頭を抱え涙目のまま、それでも悟空はきっと顔を上げて、この乱暴で照れ屋の想い人に言い返えした。
「さんぞーを置いて死なねーもんっ」
あまりにもきっぱりと澱みなく言ってのける悟空に、三蔵は思わず返す言葉を失ってしまう。
「さんぞーより先に死なねえって、俺決めてんだもん。死んだらさんぞーを守る事も出来ねぇし、さんぞーだって俺がいなかったら寂しいだ……」
げしっ、げし、げしっっ!!
みなまで言わせず、三蔵の強烈な足蹴りが悟空に襲い掛かる。
「~~~しゃんじょ~~~」
「誰がてめぇがいないと、寂しいってんだよっ! 寝言は寝て言え、馬鹿猿!」
おまけとばかりに、ぱこんっとハリセンが小猿の頭上に落下した。
冷たい飼い主の仕打ちに、悟空が膝を抱えて蹲り、いじけモードが入る。
(なんだよ、さんぞーの馬鹿っ! 俺はさんぞーがいないと寂しくて死んじゃいそうなのに。さんぞーはそうじゃないってゆーのかよ? ちくしょー、さんぞーのバカヤロー! さんぞーなんか、さんぞーなんか、大好きだぁぁぁぁ―――っっ!)
悟空の嘆きの絶叫が、三蔵の心に煩いほどに響いてくる。
「……てめえは死んでも煩く俺を呼びそうだな……」
今でさえこれだけ煩く自分を呼び続ける悟空。死んであの世とこの世に2人が引き裂かれたら、これこそ狂ったように昼夜を問わず、三蔵の名を呼び続けるだろう。それを鬱陶しいと思う反面、どこか嬉しいと思ってしまうのは、何故だろう。自分も湧いているのだろうか?
「二万の昼と夜か……」
二万の昼と夜をこうして、悟空と共に過ごしていく。付き纏う小猿の煩さにハリセンを振り上げ、ペットに甘い自分を呪いつつ、人よりも高い悟空の体温に安堵する平凡で穏やかな日々。自分にそんな日常がくるとは思ってもみなかったけれど。
でも、悟空が一緒なら、そんな毎日も悪くはないのかもしれない。三蔵は薄く口元に笑みを浮かべると、しつこくいじけている悟空の背中を、ごんっと踵で蹴り飛ばす。
「おら、いつまでもいじけてんじゃねーよ」
ちっとも優しくない言葉をかけてくる飼い主を、悟空は恨めしげに見上げる。そんな悟空を無視して、三蔵は扉に向かう。
「って、さんぞーどこ行くの?」
「飯。今日は外で食う」
「あー! 待てよ、俺も一緒に行く―――っ!」
振り返らずにすたすたと部屋を出て行く愛する三蔵の後を、悟空がひらすら追いかける。そう、こんな他愛もない毎日が二万の昼と夜続くのも、悪くないかもしれない。駆け寄った勢いを借りてそのまま自分の腰に抱きついてくる小猿の頭に、本日何度目かのハリセンを喰らわせながら、それでも三蔵は心の中でそう呟いた。
おわり
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