FOR YOU
「さーんぞ」
甘えた声で圧し掛かってくる猿に、三蔵はあからさまに嫌そうな顔をした。
「重いんだよ。どけ、猿」
しかし、三蔵の冷たい物言いは今に始まった事ではないので、そんな事でめげる悟空ではない。
「なあ、さんぞー」
「どけって言ってんのが聞こえねえのか、馬鹿猿」
三蔵は首にしがみついて頬を摺り寄せてくる小猿を振り払おうとするが、磯巾着のように張り付く悟空はびくともしない。三蔵の眉間の皺が一気に増える。
「さんぞーさ、俺になんかやってもらいたい事ない?」
「ああ?」
思わず三蔵は手にした書類から目をあげて、自分にへばりついているペットの顔をまじまじと見てしまう。愛する三蔵が自分の方を見てくれた事に、悟空はいたくご満悦の様子だ。
「俺にして欲しい事。なんでも、言ってよ。俺、さんぞーのお願い聞きてえんだよ」
「なに、くだらねえ事言ってんだよ、猿」
「なあ、なあ」
三蔵の言葉を右から左に流して、なおも小猿は飼い主に擦り寄る。そんな悟空を見つめる三蔵の紫暗の瞳が、きらりと光る。
「・・・何でも俺の希望を叶えるっていうのか?」
「え? うんっ! 俺の出来る事なら、何でもするよ!!」
「そうだな・・・」
あんまりだよな。
悟空はすん、と鼻をすすると草っ原に大の字になって寝転んだ。たまには愛しい三蔵を思いっきり甘やかしてみたくって。三蔵の我が侭を何でも聞いてあげたくって。そう思って「なにかして欲しい事ない?」って聞いたのに。
それなのに・・・。
「それが、俺がさんぞーに近寄っちゃいけないなんてさ」
仕事中は、執務室に立ち入り禁止。外から声をかける事もまかりならぬ、なんて。
「ほんまつてんとう」って、きっとこーゆー事を言うんだろうな。
小猿はぼんやりとそんな事を考えながら、澄んだ蒼い空を見上げる。
天気がこんなに良くて、桜だって咲いていて、ぽかぽかとっても暖かいのに。きっとこんな穏やかな日々を、幸せって言うんだろう。大好きな人と、こんな小さな幸せを分かち合って。いっぱい最愛の人を甘やかせて、そして自分もうんとうんと甘えて。
「さんぞーに、それを求める方が間違っているのかなぁ」
でも、「恋人同士」ってそんな感じじゃないのかな?
三蔵は決して悟空に甘えない。頼らない。そりゃ、べたべたに甘えてくる三蔵ってのも怖すぎて想像つかないけれど。
自分は三蔵より年下で、少し頼りないのかもしれないけれど。なんだか自分は必要とされていないようで、惨めになってくる。
「俺はさんぞーがいないと生きていけないくらい、さんぞーが好きなのに。さんぞーはそうじゃないなんて、不公平だよ!!」
思わず大声で叫んでしまい、尚更惨めな気分が倍増する。
一人寂しく外で時間を潰した悟空は、やはり一人寂しく夕食をとる。三蔵は食事をとる暇もないようだ。
夜食を口実に様子を見てこようかという考えが頭をよぎるが、執務室立ち入り禁止令を思い出す。三蔵の命令は絶対だ。たとえ彼の事を思ってした事でも、それを破ればマジで一ヶ月位は半径5メートル内には近寄らせてもらえないだろう。
「ひとりで食っても、美味しくないよぉ」
人の三倍の量は軽く胃袋に納めながら、それでも小猿はひとりごちる。愛する人の傍にいれなくて、気配を感じる距離まで近寄る事も許されなくて、三蔵の為に何かをしてあげる事もできないなんて。
「なんか、俺の人生むなしいよー」
三蔵を中心の日々の生活が回っている悟空にとって、この状態はかなりキツイ。
「やっぱ、さんぞーは俺がいなくても平気なのかな・・・」
何気なく呟いた自分の言葉に、悟空はぎくっと固まる。あんまり考えたくはないけれど、そうであって欲しくはないけれど。でも否定材料は少ない気がする。
「・・・」
どうも、考えること全てがマイナス思考のようだ。こんな日は・・・。
「も、寝よ」
悟空はもそもそと布団の中に潜り込む。まだ寝るには早い時間だけれど、どうせ三蔵には近づけないし、起きていても思考がドツボに嵌るだけだ。せめて、夢の中では三蔵にべったりと寄り添っていたい。
そんな願いを込めて、眠りの中に旅立つべく、悟空は数を数え出した。
「さんぞーが、ひとり。さんぞーが、ふたり・・・」
普段は一度寝たら地震が起きても目覚めないだろう悟空が、深夜自分の横に慣れ親しんだ気配を感じてうっすらと目を開けた。
(・・・え? あれ・・・?)
視界いっぱいに月の光にきらきらと光る黄金。
(・・・さんぞ?)
そう思った瞬間、悟空はがばっと布団から跳ね起きた。
「おい、急に起き上がるんじゃねえ。さみーんだよ。」
「あ、ゴメン」
三蔵の疲労を濃く滲ませた声に、小猿は再びもそもそと布団の中に潜り込む。
「さ、さんぞー」
「うるせえ。俺は眠いんだよ」
「さんぞーのベッド、ここじゃないけど?」
一応、三蔵と悟空の寝室は分かれている。悟空が三蔵のベッドに潜り込むのは日常茶飯事だが、三蔵が悟空のベッドに来るという事はかつて一度もない。
「さんぞー、まさか寝惚けてる?」
「うるせえってんだろーが、猿。俺がてめえの布団ン中入っちゃいけねえってゆーのか」
「そ、そんな事ないよっ!!」
小猿はぶんぶんと首を横に振る。こんな美味しいシュチュエーションは、いつでもオッケーだ。でも、なんで急に?
「今日は、何日だ」
「え・・・?」
三蔵の言葉に悟空は慌てて、枕もとの時計を振り返る。
四月五日、午前二時。・・・俺の誕生日?
「・・・さんぞ・・・」
「どっかの馬鹿が付き纏わなかったおかげで、仕事が一段落した。今日は休みだ」
「それって、俺の誕生日、ずっと傍にいてくれるって事?」
なんとか休みを作り出すために、俺を追い出して仕事に専念してたって、そういう事?
「ふん」
否とも応とも言わない三蔵。でも、きっとそうなのだ。あの三蔵が、自分の誕生日の為に休みを作ってくれた。その上、三蔵自ら悟空のベッドに潜り込んで添い寝をしてくれるなんて。
その事実だけで、昼間のやさぐれた気分が一瞬で霧散してしまう。愛する人は相変わらず自分に背を向けた状態で寝ようとしているけれど、今の悟空にはそれさえ三蔵の照れ隠しのように見えてしまう。
「さんぞーっ!!」
愛しさが込み上げて、思わず三蔵の上に圧し掛かり、驚きに声をあげようとする唇に自分の唇を強く押し当てる。
「ばか、止め・・・」
左手でもがく三蔵の両手を戒めると、制止の声の聞かず三蔵の柔らかい唇を貪り尽くす。空いた悟空の右手が、三蔵の夜着の合せ目から中に滑り込む。そっと肌を撫でられる感触に、三蔵がぴくりと反応する。しっとりと手に馴染む三蔵の肌に、悟空は嬉しげに笑みを浮かべる。
「さんぞー、大好き」
そっと耳元で囁き、首筋に唇を落とそうとした瞬間。
げしっ!
三蔵の膝が不埒な小猿の鳩尾にくい込む。
「~~っっ」
息を詰まらせて腹を抱えて悶え苦しむ悟空の下から抜け出た三蔵は、まだ足りないとばかりにハリセンを容赦なく悟空の頭上にお見舞いする。
「調子こいてんじゃねえよ、この馬鹿猿!」
「しゃんじょぉ~」
大きな金色の瞳を潤ませながら、恨めしげに最愛の金髪美人を見上げる。
「てめえがその気なら、俺は自分の部屋に戻る」
「さんぞ~~っ」
情けない顔で懇願する猿に、三蔵はとどめの一撃をくらわせる。
「いいか、今晩は俺に手ぇ出すんじゃねえぞ。とにかく、俺は疲れてんだ。」
「さんぞぉぉ~~」
「てめえ、俺の願いは何でも聞くって昼間言ったな」
「だから言われた通り、仕事の邪魔しなかったじゃん」
「ついでに俺の安眠の邪魔もするな」
「ひでえよ、それって生殺しじゃん」
「イヤなら、俺は自分の部屋に戻ると言っている」
「・・・う・・・」
二者択一。このまま美味しく戴いてしまって、めったにない三蔵からの添い寝を蹴った上、機嫌をそこねるのか。それともここは大人しく引き下がり、今晩の添い寝と明晩の可能性にかけるか。
・・・。
「・・・何もしねーから、一緒に寝て」
「その言葉、忘れんなよ」
「・・・うん」
「よし」
三蔵は再びベッドに戻ると、くるりと悟空に背を向ける。
「さんぞー、こっち向いてよ」
「うるせえ」
「なあ、さんぞーってば」
「うるせえんだよ」
「キスしていい? お休みのキス」
「・・・」
返事のない事を承諾の印と勝手に解釈して、悟空は愛する人の頬に小さくくちづける。本当は柔らかい唇に触れたいけれど、そうしたらきっと歯止めが効かなくなってしまうから。
「おやすみ、さんぞー」
「ああ」
やがて背後から、くーくーと悟空の寝息が上がるのを感じて、三蔵はそっと頭を起こして小猿の顔をじっとみつめる。屈託のない、幸せそうな馬鹿面。
「馬鹿猿」
ぽつりと呟くと、ゆっくりと悟空の寝顔の顔を寄せる。口の端ぎりぎりに触れる程度の軽いキス。
「てめえの誕生日はまだ一日あるんだからな。がっつくんじゃねーよ」
そう言って小猿のおでこを指でぴんと弾くと三蔵は、「う~」と唸る悟空の横に潜り込むようにして身体を預けると静かに目を閉じた。
おわり