密 言(映画・「幻想魔伝最遊記・選ばれざる者への鎮魂歌」より)
「なぁ、さんぞー。俺、うぜぇ? いらねえ?」
「ああ?」
汗で濡れた悟空の胸に顔を埋めて微眠みかけていた三蔵は、悟空の突拍子もない言葉に重い瞼を上げて、情事後の潤んだ紫暗の瞳で先ほどまで自分を翻弄していた猿を見上げる。
「なんだ、いきなり」
三蔵が悟空の事を『うざい』だ『煩ぇ』だと邪険にするのは、日常茶飯事だが。それにしてもたった今身体を重ねたばかりのの会話にしては、いささか腑に落ちない。
鵬魔王の屋敷で不思議な1夜を過ごしてから、どうもここ数日の悟空の様子がおかしい。あれから野宿続きで、今日ようやくきちんとした宿に泊まる事ができた。八戒が気をきかせて三蔵と悟空をツインの部屋に割り振り、当然そのままベッドに雪崩れ込んだのだが。
どこかおずおずと、遠慮がちな悟空の愛撫に三蔵の方が苛ついて、つい三蔵の方が強く悟空を求める形になってしまった。そんな気恥ずかしさと、悟空の不可解な言動に、三蔵の瞳が不機嫌そうに歪められる。
「だってさ・・・」
そんな三蔵の剣呑な空気を微妙に感じとったのか、小猿は見えない耳と尻尾をきゅぅん、と垂れて愛する飼い主の紫暗の瞳を、大きな望月の瞳で覗き込む。
「道雁がつくった三蔵の偽者がさ・・・。俺の事『うぜぇ』って言ったじゃん」
「あ?」
三蔵はあの五行山もどきで、道雁の式神である自分の偽者が、悟空を傷つけようと『うぜぇ』だ『てめーなんて、いらねえだ』と吐き捨てていたのを思い出す。しかしそんな言葉、それこそ今更だろう。とても恋人にとるとは思えない酷い仕打ちを、三蔵は日々悟空に対してしてきているのだから。
しかしそれも不器用な三蔵なりの悟空とのコミニュケーションだ・・・と思えば、そう思えなくもないが。だが、しかし。
「・・・てめーは自分であんなのは偽モンで、本物の俺とは全然違うって言ったんじゃねーか」
「それは、そーだよっ! あんなの三蔵とは、態度も匂いも、全然違うじゃんっ!」
「その『匂い』ってのは、よせっ!」
偽者の三蔵を前に悟空が吐いた問題発言を思い出し、情事後の火照った三蔵の肌が更に羞恥で熱くなる。
「あんでだよぉ!」
「聞いてて恥ずかしいんだよっ! てめー、変態か?」
「どーしてだよ! ずっーっと傍にいて、こうして三蔵の事抱き締めてんだよ? 俺が三蔵の匂いを間違える筈ねーじゃん!」
「・・・そーゆー意味じゃねーよ」
悟空の腕の中で、三蔵はがっくりと肩を落す。事三蔵に関しては羞恥という言葉を知らない猿だ。ここで問答しても自分が疲れるだけだろう。聡くそう結論を出した三蔵は、いささか投げ遣り気味に悟空に問う。
「・・・で?」
「は?」
「は?じゃねーよ。てめーが言ったんだろーが。偽モンが、てめーの事『うぜぇ』って言ったって」
「あ、ああ」
すっかり話がずれてしまった事に気づかなかったお猿は、えへへ、と三蔵の肩を抱いていない方の手で、照れくさそうに鼻の頭をかく。
「そりゃさ、あれは偽モンなんだからさ。奴の言った事なんか、マジにとる気はねーけど。でも、やっぱ三蔵と似た顔でさ、三蔵に似た声で『うぜぇ』なんて言われて背を向けられたりすると・・・」
やっぱ、それなりにショックかも・・・。
それなにに、自分がうるさい存在だという自覚はあるのだろう。しゅんとしょげ返る小猿に返される飼い主の言葉は冷たく容赦無い。
「確かにお前は、いつも煩くて、うざくて、仕方ねぇな」
「・・・さんぞぉ」
「俺の仕事の邪魔をする、俺の安眠を妨げる。ところかまわず、俺の名前を耳タコになるくれー、連呼する」
「さ、さんぞぉぉぉ」
「・・・でも、マジでうぜぇだけの奴と、こんな事するか」
「え?」
ぼそっと、取って付けたような三蔵の思いがけない言葉に、悟空はがばっと飛び起きると腕に抱いた三蔵を金色の瞳で穴が空きそうなくらい、じっとみつめる。
「い、今なんて、さんぞー・・・」
「2度も同じ事言わせんな! 馬鹿猿!!」
すぱん、すぱーんっ!どこからともなく現れたハリセンが、呆けた猿の顔面に綺麗にヒットする。
衝撃で赤くなった顔を涙目で擦りながら、それでも悟空は嬉しそうにへらへらと満面の笑みを三蔵に向ける。三蔵の唇から零れた一言は、最愛の人が自分の事を受け入れてくれている、証しのように思えるから。
「・・・えへへ」
「気色悪ぃ・・・」
マヌケ面で、幸せそうに笑う自分の猿を不気味そうに仰ぎながら、三蔵は嘗て自分に仕えていた男を思い浮かべようとするが、その印象は実にあやふやなものだった。
元来が殆ど他人を認識する事のない三蔵である。余程印象深い人物か、後は雑魚。彼の中での他人の区分けは、殆どそのふたつといっても過言ではない。道雁にしても自分付きの小坊主だという事で、他の坊主達よりは記憶の隅には残りはしたものの。彼の存在など正直言って彼が3年前に出奔した時に、三蔵の中からすっかり跡形もなく消えてしまった。自分にとっても彼は、その程度の存在でしかなかったのに。
強くなったから・・・。ただそれだけで、ヤツは本当に自分が悟空の代わりになれるとでも、思っていたのだろうか?悟空の代りなど、誰にもできる筈がないのに。
「・・・俺が欲しいのは、従者じゃ、ねえ」
ぽろっと、何の前置きもなく三蔵の口からそう零れた言葉。悟空は一瞬不可思議そうな瞳で、三蔵を見やったが。すぐに三蔵の言いたい事を察して愛する人の身体を再び深く抱き込むと輝く黄金の髪に鼻づらを突っ込んで小さく呟いた。
「うん、判ってる」
使命で三蔵に付き従うとか、選ばれて三蔵に仕えるとか。そんなモンは三蔵にとってまったく価値がないもので。強いから、とか。役にたつから、とか。そんなモンを三蔵は求めてはいない。
「例え三仏神が、俺についていくなって言ったって。カンケーねぇよ。俺は三蔵が好きだから一緒に行く。三蔵の傍にいたいから、傍にいる。相応しいとか、んなのは知らねーもん」
悟空が三蔵の汗で冷えた肩にそっと毛布をかけながら、照れくさそうに、そして少しだけ悲しそうに呟く。
「道雁さ」
「三蔵の偽モンの式神、ずっと自分の傍に置いてたんだろ? 三蔵の代わりとしてさ」
「気色悪ぃ」
たしかに、あんな紛い物が三蔵の代わりになどなる筈はない。それは悟空が1番よく知っている。
けれど、自分の手の届かないところにいる、何よりも求めている黄金の輝きを得られなくて、空しい事を充分承知で三蔵の身代わりを置かずにはいられなかった道雁の気持ちも、なんとなく判らなくもない。道雁自身それはよくわかっていただろう。あんな魂ない人形は、薄っぺらなだけで何の価値もないのだと。
三蔵はその内に秘めた魂が輝いているからこそ、こんなにも眩しくて人を惹きつけずにはおかないのだと。
「それでもあいつは、『自分だけの、三蔵』が欲しかったんだろうな」
「てめーに、都合がいいだけの『俺』か」
結局道雁は、自分の何にあそこまで執着したというのだろう。
外見か?三蔵法師という、肩書きか?それとも、てめーと同じような身の上か?
だれよりも自分は強いと豪語して、その実だれよりも三蔵に救われる事を望んだ男。自分は誰も救いはしない。救う事なんて、できやしない。本当に『三蔵』を理解していたならば、あんな思い込みから無駄な3年間を過ごしはしなかっただろう。代りが勤まる程度のものを、三蔵が求める筈はないのだから。
「・・・馬鹿なヤツだな」
「あいつさ、三蔵を呑みこんで、それで三蔵を自分のものにするんだって言ってただろ」
誤った道を歩んで自滅した男の言葉が悟空の口にのぼる。
「でも俺は三蔵を殺して自分のモノにしてーとは、思わねーよ?」
「猿?」
だって、三蔵には生きて欲しいから。
生きた三蔵の鼓動を聞き、ぬくもりを感じ。そしてこれからも、ずっとずっと三蔵と共に歩んでいきたいから。
「だから、生きている三蔵が、俺は欲しい」
白く形のよい三蔵の耳元で低く囁くと、三蔵の細い肢体がぴくり、と震える。
「てめ・・・」
たったそれだけで、冷めかけた熱が再び点った事に三蔵は不機嫌さを増した顔で自分の猿を睨みつける。しかし潤んだ紫暗の瞳でねめつけても、いつもの半分程も威力は無い。それどころか、その色香に悟空の熱を煽るだけだ。
「さんぞ、いい?」
「いやだって言ったら、やめるのかよ」
柔らかな耳朶をぺろり、と舐められて更に三蔵の身体は小刻みに震える。
「止める気ねーよ」
こんな時ばかり雄の顔を見せる馬鹿猿に、三蔵は腹立しさを感じながらも、そっと自分の肌を滑る悟空の指先を拒めない。求めているのは、自分も同じだから。
「こうやって三蔵を抱き締めて、確かめたい」
「何、を」
上がる息の合間に、三蔵が苦しげに問う。
「三蔵が、こうして俺の傍にいてくれるって事」
この腕の中のぬくもりは、確かに自分の愛する人のものなのだと。自分が求め続けた、黄金の光なのだと。それを・・・。「確かめさせて?」
そう呟くと三蔵の応えを己の唇で封じ込め、悟空は再び愛する人の白い身体に溺れていった。
おわり