添い寝
三蔵が倒れたのは、涅槃会がすんで一段落した頃だった。
日常の公務だけでもかなりのハードスケジュールだというのに、それに加えて仏教三大祭ともいえるこの催しで三蔵がフル回転で働かされたのは、いうまでもない。
説法、読経、他の寺院から来た高僧達との対話・・・。
うぜえんだよ。日頃はそういって見向きもしない『仕事』も、今回ばかりは逃げる訳にはいかない。あまりの忙しさに疲労とストレスは、溜まる一方。訳あって手許に置いている小猿をハリセンでぶったたく程度では、とてもではないが気は晴れない。
そんな最高僧の不機嫌が最高潮の中、無事涅槃会は滞りなく行われ、後に残ったのは「三蔵様、過労の為、絶対安静が必要」という医者の進言により、愛する飼い主の部屋への立ち入りを禁じられた、憐れな小猿の姿だった。
うとうとと、浅い眠りの中を漂っていた三蔵は、背中に人の体温を感じてうっすらと瞼を上げた。室内は、闇に包まれている。
「おい、猿。なに人の布団ん中もぐり込んでやがる」
誰何するまでもない。こんな夜半、自分のベッドの中に入りこむモノは悟空以外ありえない。
「・・・ん、さんぞー、おきた?」
「『おきた』じゃねえ。『おこされた』んだよ、この馬鹿猿」
寝起きの不機嫌そうな声は、低く掠れている。普段ならここで問答無用にハリセンの二、三発食らわせてやるところだが、あいにく小猿に背後から抱き枕にされている三蔵は、身動きが全くとれない。
「だってさー、さんぞーなんか寒そうだったから。前にさんぞー言ってたろ、俺の体すげえ熱いって。だから、人間カイロ」はやく寝ろよ、などと一人前の口をきいた悟空は、もそもそと三蔵の首筋に顔を埋めるとそのまま暴睡体勢に入ろうとする。
「おい、ここで寝るな、馬鹿猿!!てめえ、だいたいどこから入ってきやがった?」
悟空の息を感じて、ちっと舌打ちをすると三蔵は空いている足で、自分を拘束している小猿を思いきり蹴飛ばす。
「ってえーっ。さんぞー、蹴りなんて反則―!!」
「うるせえ!てめえが人を抱き枕なんぞにしやがるから、ハリセンが使えねーんだよ!!」
うーっと唸りながらも、小猿は三蔵を離さない。
「窓」
「ああ?」
「窓から入った。さんぞーの部屋の前見張りがいて、俺を中に入れてくんないんだもん。『騒がしくて、三蔵様のお身体にさわる』とか、いってさ」
だから、三蔵の部屋の窓から忍び込んだ。木を登って・・・。
「さんぞー、窓の鍵開けたままなんだもん。無用心だよ」
そういう、問題か?
「正真正銘、猿だな」
「だって、俺すっげえ、心配したんだぞ。だから、さんぞーの顔みたくて・・・」
そう、本当はひとめ三蔵の寝顔が見れれば、それでよかったのだ。倒れた時の三蔵の顔色が、あんまり真っ白だったから。呼吸も苦しそうで、とてもつらそうだった。
医者は休息をとれば大丈夫なんて言ってたけれど、自分の目で確かめなければ、不安でたまらない。だから、皆が寝静まった真夜中に『お見舞い』にきたのだ。そこで、悟空がみたものは。
月明かりに白く浮かぶ、愛しい人の寝顔。
それは昼間の無愛想で尊大な三蔵からは、想像できないほど儚げで、悲しげな寝顔だった。
(このまま、さんぞー消えちゃうかもしれない)
悟空が一瞬喪失感をおぼえるほど、その寝顔は今にも闇に溶けてしまいそうな危うさが、あった。その瞬間悟空の胸に、なにか言葉にならないものが芽生える。
それはあとになって思えば『大切な人を守りたい』という、気持ちだったのだろうけど・・・。おさない悟空には、まだわからない。
「・・・さんぞー、病気の時はワガママ言ってもいいんだぞ」
「・・・てめえ、何寝言言ってやがる?」
背中で、小猿がもそもそと呟く。
「病気の時は、気持ちが弱くなるんだって。さんぞーは、そんなことないのかもしれないけど・・・。でも・・・」
悟空の脳裏に、闇の中に浮かぶ白い三蔵の面影がよみがえる。
「病気の時は、甘えたっていいんだぞ」
いいんですよ、江流。病気の時くらい甘えたって
「さんぞー?」
悟空の声に、三蔵ははっとする。
(冗談じゃねえ。猿の世迷い事と、あの方の言葉がだぶるなんて)
たった今も夢にみていた、おさない日の、遠いできごと。あの時自分を甘やかした人は、もういないけれど・・・。
背中に子供特有の、高い体温を感じる。
「さんぞー、まだ、寒いのか?」
更にぴとっと張り付いてくる小猿を、三蔵は何故か邪険に振り払う事ができない。
(体調がわりいせいだ。じゃなきゃ、こんな・・・。)
あの時も、そう思った。人の温もりに安堵した。今もまた、小猿の体温に安堵している自分がいる。認める訳には、いかないけれど。
(ちっ、おもしろくねぇ)
悪態をつきながらも自分を包み込む温もりに、自然に瞼が重くなっていく。
「さんぞー、寝たの?」
規則正しい寝息に、悟空が三蔵の顔を覗き込む。さっきよりは、ずっと安らかな寝顔。
俺の腕の中で、いつもいつも安心していてくれたら、いいのにな。
まだまだ、幼いけれど。身体も三蔵よりも小さいけれど。いつかは・・・。
「おやすみ、さんぞー」
悟空はそっと、身体を起こして三蔵の蒼い瞼に接吻ける。愛する人が、眠りの中で寂しい想いをしないように。涙を流したりしないようにと、精一杯の祈りを込めて。
おわり