Second Kiss
絶対、ヘンだ。
悟空は自分の右手に握り締められた籤をじっと見つめながら思った。
延々と続く荒地を抜けてようやく三蔵一行がたどり着いたのは、比較的妖怪の被害の少ない静かな村だった。野宿続きの一行には久々の屋根の下での休息。少し早めの夕食を終えると今夜の部屋割りを恒例の籤で決める事になる。
今夜はツインが二部屋。悟空としてはなんとしても、愛する飼い主との同室を勝ち得たい。そして動物のカンとでも言おうか、それとも長期にわたって使用した為、くたびれ具合で察しがつくのか、悟空は三蔵の引く籤と対になる紙縒り(こより)をいつでもぴたりと引き当てていた。
それなのに・・・。
この一ヶ月の間宿屋で宿泊する度に悟空の引く籤は、何度チャレンジしても悟浄と対のものである。一度や二度ならおかしいとも思わないが、毎回「三蔵と八戒」「悟浄と悟空」という部屋割りになるのは作為的なものを感じずにはいられない。食うことと寝ることしか、脳みそが働かないと言われる悟空だが、実はそれ以上に三蔵に関する事には「動物のカン」が働くのである。
(絶対、ヘンだ・・・)
猿の子守りはゴメンだ、とか、こんなしけた村じゃナンパもできねーじゃん、などとこぼす悟浄の声は悟空の耳の右から左に抜けている。悟空の大きな金色の瞳は、三蔵と八戒が消えていった部屋の扉に釘付けられていた。
「悟空、何か言いたそうでしたね」
さり気なく呟いた八戒の言葉に、三蔵は興味無さそうにベッドの上に座り込むと新聞に目を通し始める。八戒は淹れたてのコーヒーを三蔵に手渡しながら、先ほどの悟空の『納得できない』とでかでかと顔に書かれた様子を思い浮かべた。
悟空の言いたい事は判っている。何故、自分が三蔵と同室になれないのか。何故、最近三蔵の同室者は八戒なのか。答えは簡単。八戒がそう仕組んだからである。
悟空の三蔵べったりは誰の目にも明らかで、それはまるで親鳥の後をちょこまかと追いまわす雛のようだ。実際、五行山に閉じ込められていた以前の記憶は無く、500年の末に初めて目にした人間が三蔵だったのだからあながち『雛の刷り込み』というのも外れてはいないのだろう。内心軽い嫉妬を感じながらも、それでも微笑ましく思っていたのだが・・・。
1ヶ月前に偶然目撃した、三蔵と悟空のキスシーン。
それはどう見ても親子のスキンシップの延長とは、とても思えない濃厚なものだった。
悟浄曰く「ガキンチョ猿」の、色事にはまったく無関心な悟空が、あのようなキスを仕掛けた事にも驚いたけれど。悟空が三蔵を好きだという事は周知の事実だが、それが恋愛感情に発展するまでにはもう少し時間があると思っていた・・・。
もう悟空も子供ではないのだ。悟空は可愛い弟のような存在だが、このまま黙って成り行きを静観するつもりはない。
どうせ、いずれはあの黄金の人は悟空のものになるのだろうから。あの2人の間にある見えない糸を断ち切る事は、誰にもできないだろうから。くやしいけれど、それがわかっているからこそ・・・。
(せめて今だけでも、少し美味しい想いをさせてもらいましょう。悟空にも恋とは甘いだけではない事を、身をもって知ってもらわなければいけませんしね。)
三蔵一行の最強の男は、人好きのする笑みを浮かべながら物騒な事を考えた。
「三蔵、そういえば今日はホワイトディでしたね」
「だから何だ」
相変わらず視線は活字を追ったまま、三蔵が返す言葉には愛想の欠片もない。
「僕バレンタインディの時、三蔵にチョコあげましたよね」
「くれと頼んだ覚えは無い」
実も蓋もない言い方だが、それでへこたれるような八戒ではない。
「でも義理チョコがあるんですから、義理キャンディがあってもいいと思いません?」
「・・・てめえは菓子屋の回し者か」
やっと新聞から顔を上げた三蔵は、冷ややかで馬鹿にしたような視線を八戒に向ける。
「せっかくのイベントは楽しんだ方がいいって主義なんですよ」
「だったら自分だけで楽しめ。俺を巻き込むな」
「嫌です。だって僕、三蔵からのホワイトディが欲しいんですから」
そういうといきなり八戒が三蔵の手から新聞を奪い取って圧し掛かってきたので、三蔵はあっけなくベッドの上に押し倒されてしまった。
「てめえ、湧いてんのか!? 八戒!!」
片手で簡単に自分の両腕を拘束された事に激しくプライドを傷つけられた三蔵は、八戒の身体の下から逃れようと必死でもがくが、所詮八戒の力に敵うところではない。
そんな三蔵を楽しげに見つめながら、八戒がにっこりと・・・見る者によっては背筋に冷や汗をかくかもしれないほど恐ろしい・・・笑みを浮かべて言った。
「どうせなら、三蔵自身をお返しに貰いたいですね」
「・・・何?」
普段は色事に疎い三蔵もこの時ばかりはとっさに身の危険を感じて、自分の手首を掴む男の手を振り解こうと一層暴れるがびくともしない。
「八戒、てめえ殺されてえのか!?」
「どうやって殺すんですか、三蔵?」
八戒の視線を辿ってみれば、なんと八戒の手の中に三蔵愛用の小銃がある。
「てめ・・・」
「三蔵はやっぱりうっかり屋さんですねぇ。一人で街を歩いたらスリのいい餌食なんじゃないんですか?」
「そういう問題じゃねえ!! ざけた事言ってねえで、さっさとこの手を離せ!!」
「・・・三蔵」
鋭く睨みつける紫暗の瞳に、八戒の緑の視線が絡む。
「キス・・・したいんですけど」
一瞬言葉の意味が理解出来ずまじまじと八戒を見つめてしまった三蔵だが、次の瞬間ぼんっと頬を紅潮させ一層瞳に力を込めて八戒を見据える。
「・・・断る」
「悟空とはしたのに、僕とはできないんですか?」
「あれは・・・っ!」
「無理矢理・・・じゃないでしょ? 三蔵ちゃんと受け入れていたじゃないですか。ペットとの過剰スキンシップなんて言い訳は通じませんよ。・・・悟空の事好きなんでしょ?」
「ざけんなっ、誰が!!」
「本当に?」
八戒の真摯な問いに、珍しく三蔵が答えに詰まる。
好きかどうかなんて、自分でもわからない。あの猿はいつでも煩く自分を呼んで、纏わり付いて、離れなくて・・・。いつの間にかいつも自分の傍にいるのが当たり前の存在になってしまった。
でも確かにあのキスだって本当に嫌だったなら、悟空の舌を噛み切ってでも抵抗できたはず。何で、悟空には許せたのだろう・・・。
考え込んでしまう三蔵を、八戒は少し悲しそうに見つめる。
「僕は貴方の事が好きです。身体だけでなく心も欲しい。だから無理矢理奪う気はありませんよ」
「・・・だったら何でこんなマネしやがる」
「不戦敗っていうのは嫌ですし。それにちょっとした悟空への意趣返しといったところでしょうか。僕、実はかなり焼きもち焼きなんです。」
そう言うと八戒は、三蔵の柔らかい唇に自分の唇をそっと重ねる。と、その時。
「あ―――っっ!!」
部屋中にこだまする大音響。突然部屋に飛び込んできた悟空は転がるようにベッドの上に這い上がると、力任せに八戒の腕から三蔵をもぎ取った。
「八戒、何やってんだよ! 俺の三蔵にキスすんなっ!」
「いつ俺がてめえのものになったんだ!?」
三蔵を両腕でしっかと抱きしめて「うーっ」と唸りながら八戒を威嚇する悟空を、耳まで真っ赤に染めながらも三蔵が蹴り飛ばす。
「だって、この間キスしたじゃん!」
「僕も今三蔵とキスしましたよ」
「駄目――っ! さんぞーはぜってー、渡さない! たとえ八戒でもぜってー駄目っ!! さんぞーは俺がお嫁に貰うって、拾ってもらった頃から決めてたんだかんなっっ」
「・・・おい、誰が嫁だって?」
腕の中から聞こえてきた地の底を這うような低い声に、思わず悟空の身体はびくんっと強張る。
「ああ? 誰が嫁なんだ、この馬鹿猿っ!?」
げしっ!!
三蔵の踵が悟空の向こう脛を直撃する。
「いってー!」
頭のてっぺんにまで響きそうな強烈な痛みに、思わず三蔵を抱きしめる腕を緩めてしまう。その隙にするりと悟空の腕から抜け出した三蔵は、満身の力を込めて自分の馬鹿猿の頭上にハリセンを振り上げる。
すぱん、すぱん、すっぱーん!!
床にうずくまり頭を抱えて唸る悟空と、肩で息をしながらそれを見下ろす三蔵。八戒はそんな二人の姿を少し寂しげに眺める。
うまく言葉には出来ないけれど親子とか、飼い主とペットの繋がりというのも少し違う。まだしっかりと形にはなっていない、けれど確かな絆。
互いに自覚はしていないだろうけれど、すでに彼らは自分の魂の片割れに出会っているのだ。
(これ以上それを見せつけられるのは、少し辛いですね)
八戒は一瞬だけ口元を悲しそうに歪めると、いつものような人好きのする笑顔をつくって悟空の顔を覗き込んだ。
「三蔵、その位にしてあげてください。 仕方ありませんね、このところ部屋割りをズルしていたお詫びに、今晩は三蔵と同室の権利を悟空に譲りますよ。気づいていたんでしょ、悟空?」
「え、ほんとっ!?」
途端にぱあっと顔を輝かせて悟空は八戒を見上げる。三蔵は余計な事をするんじゃねえと言いたげな表情だが、八戒と同室でも身の危険は同じなのだからまだ自分の命令に忠実な猿の方が安心と思ったのか、二人のやりとりに口をはさまない。
「それじゃ、おやすみなさい。三蔵、悟空」
腰掛けたままのべッドから立ち上がり、扉のノブにてを掛けた八戒はふっと思い出したように振り向いてにっこり笑って言った。
「ああ、それからさっきのキス。三蔵からのホワイトディという事でいいでしょ。三蔵、悟空?」
「「よくねえよ!!」」
二人仲良くの合唱に、八戒は苦笑しながら部屋を出ていた。
八戒が去り、どっと疲れが出た三蔵はもう一度ベッドに倒れ込んだ。まだ宵の口だがこんな時は寝るに限る。すると急に視界が暗くなり、背中に悟空の気配を感じた。
「さんぞ」
圧し掛かってくる小猿の重さに、三蔵は身体を強張らせる。
悟空の事、好きなんでしょ?
答えを出せなかった先ほどの八戒の問いが脳裏によみがえってくる。
好きな訳ねえ。
こいつは年下の猿で、ペットで、俺が扶養していて、それから・・・。
心の中に湧き上がってくる『答え』を打ち消そうと、三蔵は必死に否定の言葉を探す。
「さんぞーてばっ!」
自分を呼ぶ小猿の声にはっとなった三蔵は、反射的に枕に埋めていた顔を声のする方に向けてしまう。するといきなり目の前に悟空のアップが現れ、柔らかいものが唇に押し当てられた。
「・・・やめ・・・」
「だめだよ。さんぞー、八戒にキスされてたじゃん。」
三蔵の唇に軽く触れたまま、悟空が呟く。
「さんぞーに触れていいのは、俺だけなんだかんな。八戒にキスされたままなんて、許せねえもん」
そう言って悟空は、何度も何度も三蔵の貪る。
悟空の舌の動きに逆らえずに口腔を思いのままに愛撫され、三蔵は思わず悟空の腕にしがみついた。頭の中が真っ白になり、一瞬何も考えられなくなったが・・・。
首筋に悟空の息を感じてはっと我に返り、思わず身を竦めた。
(ま、まさかこいつ・・・)
先ほどの『お嫁』発言を思い出し、このまま済し崩しに悟空の思うが侭にされるのかと、三蔵は顔色を変える。それでも三蔵は悟空の行為を拒む事が出来ない。
人との触れ合いなんて、大嫌いなはずなのに。今身の程知らずにも自分に触れているのは、ペットの猿なのに・・・。本当に三蔵が拒絶すれば、悟空は決して無理強いはしないだろうに。
(なんで、抵抗できねえんだ)
八戒の問いが、それに対する自分の答えが三蔵の頭の中を交差する。
「・・・っ!」
悟空の唇が首筋に触れ、三蔵はぎゅっと目を閉じた。しかし悟空はそのまま自分の頬を、三蔵の首筋に、髪に、頬に、摺り寄せるだけでそれ以上の行為に及ぼうとはしない。
暫くはじっとしたまま悟空の様子を窺っていた三蔵だったが、いい加減小猿の行動に焦れて口を開く。
「・・・猿、てめえ何やってんだ?」
「え? 三蔵が俺のモンだって印つけてんの」
・・・マーキングか?
(ほんとにこいつは、動物並だな)
自分でも気づかないうちに極度に緊張していた三蔵は、小さくため息をついて身体に不必要に入った力を抜く。
(馬鹿馬鹿しい。これじゃ、悟空が何かするのを待ってたみてえじゃねえか)
そんな自分の考えにむっとして思わず悟空に蹴りを食らわせてやろうとすると。
「さんぞ、もしかして俺がなんかすると思った?」
悟空が三蔵の顔を覗き込んで訊ねる。
「なっ・・・」
図星をつかれた三蔵は言葉を失って、羞恥に耳から首筋まで真っ赤に染めた。けれどそんな三蔵を見つめる瞳にはからかいや下卑たものは感じられない。子供だとばかり思っていた悟空に、こんな表情ができたのかと思うほど、大人びた優しい瞳で三蔵を見下ろす。
「ンな事しねえよ。さんぞーが本当に俺を受け入れてくれるまで。無理してさんぞーに嫌われるのはヤだもん」
そう言って触れるようなくちづけを少し熱を持ったような三蔵の頬におくる。
「俺さ、待つからさ。さんぞーがいいって言ってくれるまで待つからさ」
だからこれ位は許してよね。小さく呟くと悟空は、再び三蔵の唇に自分の唇を重ねた。
誰よりも大切な人だから、無理強いして傷つけたくない。だけど、せめてその唇だけは自分だけに許して欲しい。
(大好き、さんぞー)
柔らかく自分を包み込む悟空の『声』が聞こえる。
俺がてめえを受け入れるなんて・・・。そんな事ある訳ねえだろう!
そう心の中で反論しながらも、悟空の腕は心地よい。
悟空の事、好きなんでしょう?
八戒の言葉がまたよみがえる。
(わからねえ、そんな事いままで考えた事もねえ)
ただ、今自分を包み込む悟空の体温が、伝わる鼓動が三蔵に安心感を与えている事は事実だ。
待つからさ。ずっとずっとさんぞーの傍で、待つからさ。だから、いつかきっと、俺だけのものになってよね。
心に届く悟空の『声』に無意識のうちに応えるように、三蔵の両腕が悟空の背中にまわった。
まるで悟空のぬくもりを手放す事を恐れているかのように。
『答え』を出す事を拒んでいる自分かもしれないけれど。
それでもこのぬくもりは自分だけののものだと、相手に主張するかのように。
おわり