First Night（同人誌「ＤＥＳＴＩＮＹ」掲載）
注）三蔵様オトメ・マグロ同盟に寄贈した作品なので、三蔵様オトメ率高めです
「さんぞ、さんぞ、大丈夫か？」
]遠くから聞こえる自分の名を呼ぶ声に、三蔵は耳を傾けた。あれは、聞きなれた自分の馬鹿猿の声。何を、あんな心配そうに呼ぶんだろう。不思議に思った三蔵は、自分が目を閉じている事に遅まきながら気づき、重たい瞼をゆっくりと開ける。途端に視界いっぱいに飛び込んできたのは、大きな満月のような瞳を目一杯開いて、自分を見下ろす悟空の姿。
「……ご、くう？」
「あ、さんぞ、気がついた？ よかったぁ～」
ふにゃぁと、顔を歪めて泣きそうになる猿を、三蔵は訝しげにみつめる。どうも頭が朦朧として、身体が火照るように熱い。一体、自分はどうしたのだろうか？
「さんぞ、風呂場で倒れたんだよ」
悟空が三蔵の前髪を優しくかき上げて、濡れタオルを額に乗せる。ひんやりとした感じが心地よい。
「いつまでたっても出てこねーから、心配になって。ンで、ちょっと様子見ようと思って。そしたら、さんぞ、倒れてるから俺、びっくりしてさ……」
歯切れの悪い物言いは、三蔵が入浴中の風呂場に、非常時の事はいえ入り込んでしまった事への後ろめたさなのだろう。しかし、三蔵はそんな悟空の気持ちなど気にもとめずに、小さくため息をついた。
長風呂し過ぎて、のぼせたか……。
三蔵の風呂好きは今に始まった事ではない。日頃激務に追われている三蔵の唯一のリラックスタイムとも言える入浴時。カラスの行水の悟空にしてみれば、そんなに長い間湯に浸かっていたら、ふやけちゃうんじゃねーか、と余計な心配をせずにはいられないが。
しかし、自分のコンディションは一応弁えている三蔵が、長湯をしてのぼせたのは、実はこれが初めてである。湯船に浸かりながらイロイロと考え込んでいるうちに、いつの間にか湯当たりしたらしい。この後の事を考えていたら、浴室から出るに出られなくなってしまったというのも、原因のひとつかもしれない。
風呂から出れば、そこには先に入浴を済ませた悟空が待っているのだから。
「さんぞー、大好き」
「さんぞ、愛してる」
「ずーっと三蔵の傍にいるからなっ！」
悟空を拾って以来、それらの愛の言葉を連日聞かされ続けて耳タコになってから、何年が過ぎただろう。
悟空の一途な愛情に、ついほだされてしまったのか。それとも日々の『愛してるコール』にいつの間にかマインドコントロールされてしまったのか。気がつけば三蔵にとってもこの金色の目をした小猿が、必要不可欠な存在となってしまった。その事実に直面した時の、三蔵の葛藤たるや凄まじいものがあった。
唯一敬愛する師を喪って、数年。何者をも必要としないと決めていた自分が、よりにもよって、なんでこんな猿を必要としなくてはいけないのか。食う、寝る、遊ぶしか、興味の無い、脳みそ軽量猿。しかも、奴は男で、自分も男なのだ。
確かに幼い頃からその美貌で、稚児趣味の生臭坊主達に好色の目で見られる事も度々だったが。元来潔癖性の三蔵は、同性はおろか、異性にさえも関心を示さなかず、言い寄る馬鹿共をことごとく袖にしてきた（……という程、優しい表現で正しいのかどうか疑問だが）。
それが、何故今更こんな猿を……。
しかし、どう理由を考えてみても、何故自分が悟空を必要としているのか、悟空を愛しているのか―――認めるのは癪に障るし、そんな単語を使いたくもないが―――検討もつかない。人間には理屈や理論だけでは説明できないものがあるという事を、三蔵はここにきて初めて知ったのだ。
そうやって悶々と悩みはしたものの、それで悟空に惚れている、という事実が無くなる訳でもない。そして悩み過ぎて睡眠不足になり、幽鬼のような顔でふらふらとしている三蔵の姿に、
「さんぞは、俺が嫌いなんだ。だから、俺が傍にいるってだけで、そんなにふらふらになる程眠れなくなっちゃうんだ―――っ！」
と悟空がピント外れな事を言っては号泣し、三蔵の為にも自分は寺院を出て行く、と叫んで三蔵の間にまた一悶着あり。やっとの事でそれなりに、お互いの気持ちを確認しあった―――というよりも、三蔵の気持ちを確認した―――二人であったが。
心が結ばれれば、身体も一つになりたい。世の恋人同士としては、当然の成り行きだろう。確かに、そうなのだが……。悟空は、三蔵を抱きたいと言った。しかし、元来接触嫌悪の気がある三蔵が、果して悟空を受け入れる事が出来るのだろうか？
日頃のスキンシップ程度なら、悟空に限りＯＫなのだが。しかし、事は恋人達の触れ合いだ。そういうモンでもないのだろう。今まで自分に日々足蹴にされていたペットの猿にいいようにされる、というのも少し腹立たしいし、男としてのプライドが疼く。かといって、ここにきて悟空を拒む気はないのも事実である。
正直、知識だけはそれなりにあるが、実際に他人と肌を合わせるという事が初めての三蔵にとっては、ほとんど未知の世界であるこの行為に、恐怖心があるのは否めない。何で自分があんなペットの猿を怖がらなきゃなんねーんだ、と虚勢を張ってはいるが。
有体に言えば、現在の三蔵の心境は『新婚初夜の花嫁』に近いものがある。
そんな事を、あれやこれやと考えて悩んでいるうちに、のぼせて風呂場で倒れたとは、とても悟浄や八戒達には知られる訳にはいかないが。
「さんぞ、お水飲む？」
「ああ」
そう言えば、酷く喉が渇いている。差し出されたコップを受け取ろうと、上体を起こしかけると、悟空の片手が三蔵の肩をゆっくりとベッドに押し返す。
「待って、俺が飲ませてあげる」
「あ？」
まだ、頭がぼんやりしている三蔵は、悟空の言う意味が理解できない。そのままぼーっと悟空を見つめていると。
「……んっ」
悟空の柔らかい唇が押し付けられる。抵抗する間もなく唇を割られて、悟空が口に含んだ水が三蔵に送り込まれる。
ごくり
三蔵の白い喉が、動く。しかし悟空は三蔵を解放しようとはせずに、更に深く唇を重ね三蔵の口腔を貪ろうとする。
（ま、まてっ！ このままいきなりか？）
焦った三蔵は、思わず自分に掛けられていた薄い上掛けの端をぎゅっと握り締める。そんな三蔵の心中に気づきもしない悟空は、そのまま三蔵の舌に自分の舌を絡めて、思うが侭に翻弄する。
（お、おい、猿っ！ 待てっ。待てっつーのに、その手はなんだっ！）
悟空が羽織らせたらしい、いささか着崩れした感のある浴衣の合せ目から、悟空の手が進入してくる。その、自分の肌の上をそっと撫でる悟空の手のひらの感触に、明らかに意志を持って己の身体を愛撫し始める猿の手を意識して、三蔵はどうしようもない羞恥心が込み上げてくる。
耐え切れなくなった三蔵は、目をぎゅっと閉じて弱々しく、自分に圧し掛かってくる悟空の押し返した。
「さんぞ？」
「……やだ……」
三蔵のものとは思えない程、蚊の鳴くような細い声に悟空がぴたっと動きを止める。
「さんぞ……？」
「……やだ……」
そう言うと三蔵は緩んだ悟空の腕から逃れて、くるりとベッドにうつ伏せになり頭から布団を被ってしまう。
「さんぞお……」
布団の中で蓑虫のように丸まってしまった三蔵を、暫し唖然として見つめていた悟空だったが、やがて、ふうっと小さくため息をついた。
（三蔵は、やっぱり俺に抱かれるのは嫌なんだ）
当然の事かもしれない。三蔵だって男なのだ。それが、いくら相思相愛（と、言っていいのかどうか、悟空にはよく判らないが……）の仲とはいえ。それと、身体を重ねるというのは三蔵にとっては別問題なのかもしれない。
人と触れ合うのが大嫌いだし、もともと潔癖症でこういった行為に対して嫌悪感を抱いている様子でもあった。それがいきなり、それまで養い子でペットだった悟空に抱かれろ、というのは無理な話なのかもしれない。
（……俺、さんぞーに無理強いする気なんて、ないのに……）
自分は三蔵の身体だけが、欲しいのではない。それは、勿論、欲しくないといえば、絶対嘘になるが。三蔵の気持ちを無視してまで、いますぐどうこう、という気は更々ないのだ。
愛する三蔵が、やっと自分に心を開いて、悟空の想いを受け入れてくれたのだ。それなのに、ケダモノのように三蔵を襲って、彼の気持ちを傷つけるなんて。
（そんなの、ぜってー、ヤだっ！！）
それくらいなら、いま少し三蔵の気持ちが落ち着くまでお預けを食らっていた方がずっといい。
悟空は自分の中でそう結論を出すと、相変わらず布団の中で小さく丸まっている三蔵の身体を、そっと優しく撫でた。ぴくり、と三蔵の身体が震えるのを感じた悟空は、殊更優しく愛する人に声をかける。
「俺さ、自分の布団で寝るからさ。明日もさんぞー、早いんだし。ゆっくりと寝なくちゃね。ゴメンな」
じゃ、お休み。と布団越しに三蔵の頭当たりにキスをすると、もそり、と三蔵が動いた。そして恐る恐るといった態で、顔だけを布団の中から出して、悟空を見つめる。
「……ごくう？」
「さ、さんぞっ？」
頬を紅潮させた三蔵の紫暗の瞳は涙で潤んで、まるで迷い子のように心細げな眼差しをしていた。そんな三蔵の姿に、（な、なんで、さんぞーこんなに可愛いんだよぉ！ ンなの反則だよぉぉ！）
と、悟空は心の中で、声の限りに叫んでみる。
一体普段の鬼畜生臭・唯我独尊振りはどこに行ってしまったというのか。まるで別人のような三蔵に、悟空は微かな戸惑いを覚えると同時に、三蔵のあまりの可愛らしさに、悟空の本能が刺激されてしまう。
（や、やべーよ）
たった今、三蔵の意志を無視して彼を抱くマネはしないと誓ったばかりなのに。凶悪なまでの三蔵の可愛らしさに悟空の理性の糸は、ぷちっと切れかかる。
「……てめ、どこ行く気だ？」
「ど、どこって……。あっちのベッドで……って、さんぞ？」
まだ首から下をすっぽりと布団に包まったままの姿の三蔵が、何やら言いたげにじーっと悟空を見つめる。頬を真っ赤に染めた三蔵というのは、見た事がない。心なしか拗ねている気もする。
とにかくこんな三蔵は初めてだ。悟空がどうしたらいいものかと思案に暮れてうろうろしていると、三蔵はぷいっと顔を背けて枕に顔を埋めてしまう。……明らかに拗ね拗ねモードだ。
「ど、ど、どうしたんだよ、さんぞっ！？ 俺、無理強いなんか、しねーよ？ だから怒んないでよ。ね、機嫌直してよ、さんぞー？」
おろおろと三蔵の枕元をうろつく悟空の声に、三蔵はちらりと視線だけを向ける。その濡れた眼差しに、悟空の心拍数が一気に上がる。
「あ、あのさ、さんぞ、今、俺に抱かれんの、ヤなんだろ？ 俺、無理矢理、さんぞーの事抱いたりなんか、しねーから。だから……。ほんとーに、さんぞーの身体だけが目当てなんかじゃ、ねーから！」
慌てふためいた小猿がしどろもどろに、三蔵に言い募る。
（別に、イヤなんて、言ってねーだろうがっ。心の準備が出来てねえのに、いきなりてめーが……その、手ぇ出してくるから、ちっと驚いただけじゃねーかっ！）
少し驚いただけにしては、日頃の彼のからはあまりにかけ離れた『可愛い』様子に、悟空が戸惑っている事など、三蔵自身考えもしない。ただ、あんな風に自分に触れておきながら、途中で手を引こうとする悟空に無性に腹が立って。三蔵は金糸に見え隠れする細いうなじを真っ赤に染めて、思わず大声で叫んでしまう。
「俺は、初めてなんだよっ。言わないでも判れ！ この馬鹿猿っ！」
それでなくても、今までペット扱いしていた年下の養い子に組み敷かれるのだ。羞恥とか、プライドとか、―――それでも、悟空を受け入れたい気持ちとか―――イロイロ複雑な心境なんだよっ！ そんな事もわかんねーのか、この馬鹿猿っ！と、心の中で理不尽に悟空を責めたてる三蔵だが。
……それを言ってしまえば、悟空だって初めてなのである。だが、悟空はずっと恋焦がれていた三蔵とひとつになれる幸せに、頭も心もいっぱいで。とにかく三蔵を沢山、沢山、優しく愛してあげたくて。正直今の自分と三蔵の心境に、かなりズレがある事だけしか悟空には理解できないが。
それでも……。
「さんぞ、俺の抱かれても、いいと思ってくれる？」
（だから、そういう事を聞くんじゃねーよ。俺の口から『いい』なんて、言えるか。馬鹿）
「俺、さんぞーの事抱きたい。もっと、もっと、さんぞーに触れて、さんぞーを確かめたい。でも、さんぞーの気持ちを無視してまで、ヤりたくはねーよ？ さんぞーが待てってゆーんなら、俺待つよ？」
言葉にはしてくれなかったけれど、それでも三蔵は自分の想いを受け入れてくれた。それだけでも、自分は天にも登る程幸せなのだ。
心も身体も両方欲しいから。だから、時間が必要だというんなら、自分は待てる。何よりも大切なのは、三蔵なのだから。悟空は精一杯の想いを込めて、三蔵に語る。そんな悟空の『声』に、三蔵は羞恥やら、驚きやらで混乱していた自分の心が、少しだけ落ち着いてくるのを感じた。
いつでも、どんな時でも三蔵を最優先にする自分の猿。そんな真っ直ぐで大きな愛情に、結局自分はほだされて、全てを受け入れてしまうのだ。でも今は、そんな自分が腹立たしいという気も、何故だか起きない。
「……今晩は、待て」
ぼそりと、消え入るそうな声で三蔵が呟く。
「え？」
聞き取れなかった悟空が、顔を近くまで寄せて聞き返す。二度も言わせるんじゃねーっと心の中で叫びつつ、三蔵は声を張り上げる
「だから、今夜はやめろって言ってんだよ！」
「……今晩は、って事は、明日の晩は？ さんぞーに触れてもいいのか？ ヤじゃない？」
「……」
眦まで真っ赤になった三蔵は、またしても頭まで布団を被って丸まってしまう。
（だから、そーゆー事を聞くんじゃねーって言ってんだろーがっ！！）
まったくデリカシーのねえ奴だ、と三蔵は日頃の自分の事は棚に上げて、再び心の中で悟空を罵倒する。本当にイヤなら、さっき唇を合わせた時点で悟空の唇を噛み切っている。
それに、さっき自分に触れてきた悟空の手は、とても優しくて、今まで自分に触れようとした不埒な輩とは大違いだった。接触嫌悪の自分だけれど、あの手なら受け入れられるだろう。だから……。
（判れってんだよっっ！！）
やっと落ち着きかけたのに。またしても怒りと羞恥で、頭に血が昇ってくらくらする。そんな三蔵を暫し呆然と見つめていた悟空は、やがてにぱぁと太陽のような笑顔を浮かべた。
よくは判らないけど、でも三蔵は自分を受け入れてくれるのだ。事に嫌いな事に関しては意思表示がきっぱり、はっきりの三蔵だ。本当に自分に抱かれるのが嫌なら、そうと言うだろう。だから、今夜一晩我慢すればいいんだ。三蔵の気持ちが落ち着くまで。
そう納得して、悟空は恐る恐る手を伸ばして、布団の中から零れている黄金の髪にそっと触れた。その微かな感触に、三蔵がぴくり、と動く。
「もう、今日は何にもしねえよ。でも少しだけ、髪だけでいいから、三蔵に触れさせて」
三蔵は応とも否とも答えない。それを承諾と受け取って、悟空は嬉しそうに指先で柔らかい金糸を梳く。暫くは大人しく悟空の行為を受け入れていた三蔵が、やがて布団の中からぼそっと呟いた。
「……寒みぃ」
「え？」
「……湯冷めした」
「え？？」
「寒みぃって言ってんだよ。このホッカイロっ！」
……。
いつも、冬場に三蔵の布団の中に潜り込む時の悟空の口癖。
『俺、体温高いもん。さんぞーのホッカイロしてやるの！』
……つまりは、これって、三蔵からの添い寝のお誘いなのだろうか？
「うん、うん、すぐ暖めてやるかんなっ！！」
思ってもみなかった三蔵の言葉に、にへらぁと、傍から見たらみっともない程相好を崩した悟空は、物凄い勢いでベッドの上にダイブすると、三蔵の非難の声もなんのその。ごそごそと、今だ蓑虫と化している三蔵が頭から被さっている布団の中に潜り込む。そして、そっと丸まったままの三蔵の腰に腕を伸ばして、今度は驚かさないように優しく抱きしめる。
ぴくり、と小さく震える最愛の人の身体。浴衣越しに伝わってくる、三蔵のぬくもり。
『寒い』なんて言っていたが、湯当たりした三蔵の身体は、いつもよりもずっと熱い。
これが、今日三蔵が悟空に許してくれた触れ合い。そう思うと、悟空は心の中がほんわかと、温かくなるのを感じる。大好きな人、なによりも愛しい人。
少しづつ、ゆっくりと……。時間はまだ沢山あるんだから。
焦らなくても、自分達なりのやり方でお互いを確かめ合っていけばいいんだから。
悟空は幸せそうな笑みを浮かべると、鼻先に石鹸に混じった三蔵の甘い匂いを感じながら、そのまま眠りに落ちていく。
背中から、小猿の平和そうな寝息が聞こえる。三蔵は小さくため息をつくと、そっと身体を悟空に預けて目を閉じた。
そう。少しづつ、ゆっくりと……。
今晩は、これが自分が許せる精一杯。
だけど悟空のぬくもりは、心地よい。どうして、悟空が触れてくる指先も、腕も、こんな風に受け入れる事ができるのだろう。だから、今度は少し素直にそのぬくもりに手を伸ばしても、いいのかもしれない。
湯当たりの疲れが出てきたのか、悟空の体温に誘われて三蔵も急速に瞼が重くなってくる。
明日になったら……。そうしたら……。
「がっつくんじゃねーぞ、猿」小さく呟くと、悟空の髪から香る太陽の匂いに包まれて三蔵も眠りに落ちていった。
おわり