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GOOD NIGHT

 

あいつら、俺を化け物だと思ってんじゃねーのか?

不眠不休で働ける訳ねーだろう!!もうとっくに零時はまわってんだ。こんな時間まで残業代もなく無給で働く馬鹿がどこにいるってんだ!!

・・・ここにいるか。

三蔵は手にしたペンを、ばきっとへし折った。年末年始に、涅槃会。そうだ、その前に成道会もあった。

とにかくこの二ヶ月程大きな法要が続き、その準備に追われて日常の公務にまで手がまわらなかった。そのツケが今頃まわってきて三蔵はこの二週間程、毎日朝から晩まで仕事漬けになっている。

寝るのはいつも明け方だ。しかし決して三蔵が仕事をサボっていた訳ではない。先の大法要でも先頭を切って働かされたのだ。

・・・僧侶の世界に労働基準法はねえのか。

 

「三蔵様は、まだお若いですからな」

とふざけた事をぬかしたのはどの坊主だったか。いくら若くたって体力には限界というものがある。いい加減頭は朦朧としてくるし、身体は鉛のように重い。

坊主が過労死なんて、笑い話にもなりゃしない。

そう心の中で悪態をつきながら三蔵は本日二箱目のマルボロ、最後の1本に手を伸ばす。まだ、書類の山は当分三蔵を解放してくれそうにない・・・。

 

結局三蔵が自分の寝室に戻ったのは、明け方の四時近くだった。

最近寺院の大幅な修復で、三蔵の執務室は自室から離れた場所に一時的に移動になった。肌を刺すような冷たい空気の中、僅かな仮眠をとるために自室への長い回廊を、三蔵は重い身体を引きずっていく。じきに朝のお勤めが始まるので、人の動き出す気配がする。

流石に三蔵は早朝の勤めは免除された・・・、というか

「一日の始めに、三蔵様がお出でにならないとは」

と渋る僧侶達に、三蔵と、三蔵の身体を心配する悟空が猛烈に反対したのだ。

「てめえら、図に乗っているといつかぶっ殺すっ!!」

 

かくしてわずか三時間ほどの睡眠時間が、仏教界の最高僧に与えられたのだった。

 

重い扉を体重をかけて両腕で押し開けた。まだ日が昇るまでには時間がある。

薄暗い部屋の中で三蔵はふうっとため息をついた。

(寒い・・・)

一日中誰もいなかった部屋の空気はすっかり冷えてしまっていた。三蔵は悴んでしまった手でぎこちなく暖房のスイッチを入れるが、手応えに対して部屋の暖まる様子はまったくない。そういえば夕べ、小坊主が暖房器具が壊れてニ、三日は使えないと言っていたような・・・。

三蔵はちっと舌打ちして踵を返すと、そのままばふんっとベッドに自分の身体を沈ませた。そして肌に感じた違和感に眉を顰める。

・・・寝た跡が・・・?

確かに世話係りの小坊主がベッドメイクしたはずの布団に、誰かが寝た形跡があった。布団の中に手を潜り込ませると、まだ温かい。自分のベッドの中に潜り込むなんてことをしでかすのは、この世でただ一人。

「おい、悟空。どこ隠れていやがる。出て来い」

有無を言わせない強い三蔵の声に、おずおずと衣装行李の陰から姿を現す小猿が一匹。

「お、おはよう。さんぞー」

「俺はこれから、お休みだ」

「あ、そ、そうだよな。あはは・・・」

三蔵の射るような視線に、白々しい笑いをしていた悟空がしゅんとなる。

「・・・ゴメン。さんぞーが帰ってくる前に、自分の部屋に戻ってるつもりだったんだけど。これ厨房に取りに行って、戻ってきたらさんぞー帰ってきちゃって・・・」

部屋出て行くタイミング逃しちゃったんだ。そう言って悟空が見せたものは、小さな保温用ポット。

「何だ?」

「この部屋、暖房使えないって聞いたから。さんぞー戻ってきた時に寒いと思って・・・」

もう片方の手にしたボトルを三蔵の前に差し出す。

「これは?」

「今日悟浄ン家行った時、八戒にもらった。梅酒だって。これなら寝酒にいいし、お湯割りにすれば身体あったまるだろ?」

上目使いに三蔵をみる小猿に、三蔵の視線が少し和らぐ。

「ベッドも・・・、さんぞーが寝る時あったかいようにと思って・・・」

「ずっと、俺のベッドで寝てたのか?」

「・・・う・・・、だけど、熟睡しねえようにしてたから、寝相悪くて布団ぐちゃぐちゃにしてねえし、それに・・・」

「それに?」

「・・・本当にさんぞー帰ってくる前に、自分の部屋にちゃんと戻るつもりだったから。さんぞー、疲れてんだろ?」

いつもだったら三蔵べったりで「一緒に寝ようよ!」コールをしては、三蔵のハリセン攻撃にあう悟空が、なんとも殊勝な事をいう。

 

だって、さんぞー本当に疲れているもん。

 

悟空は愛する飼い主の、薄暗い室内でもはっきりと分かるほど頬の肉のそげた顔を食い入るように見上げる。

始めの二、三日は三蔵が自分をかまってくれない事に拗ねては付きまとい、イラついた三蔵にハリセンどころか蹴りまで食らっていた小猿だったが、流石にここ数日の三蔵のやつれ具合に悟空の方が青くなった。

人よりも白い肌は病的に青白くなり、目の下の隈が痛々しい。動作も緩慢で、食欲も落ちているらしい。常日頃鍛えているだけあって今はなんとか持ち堪えているが、このままいけば三蔵が倒れるのは時間の問題かもしれない。

『三蔵法師』はこの世に何人かいるから、さんぞーに何かあっても代わりはいるからなんて坊主たちは思っているのかもしれないけれど、俺にとって『さんぞー』はさんぞーだけなんだ! だから、さんぞーは俺が守ってやんなきゃいけないんだ。本当にさんぞーの事心配してんのは俺だけなんだからなっ!

そう力強く決意はしてみたものの、実際三蔵の仕事が手伝える訳でもなくせいぜい悟空にできる事と言えば、殺人的に忙しい三蔵にまとわりついて彼の仕事の邪魔をしない事くらいだった。

たいした役に立てない事に打ちひしがれていた小猿が、『愛する人の役に立てるかもしれない』と心弾ませたのは悟浄宅にあった、八戒お手製の梅酒をみつけた時。

(そー言えばさんぞー、疲れ過ぎてあんまり眠れないとか言ってたよな)

身体は休息を求めていても、神経が高ぶりすぎて安眠できないらしい。

(さんぞー疲れているから、あんまり強い酒だと翌日に残るかもしれないけど。これくらいなら寝酒にいいよな・・・)

ちびちびと味見をさせてもらいながら、悟空は真っ赤に充血した三蔵の瞳を思い出す。そして、八戒にお裾分けしてもらった梅酒を抱えて寺院に戻ってくれば、三蔵の部屋は凍えるほど寒く、布団も冷えきっていた。

疲れて仕事から帰った三蔵を、こんな冷たい布団で眠らせるのかと思うだけで悟空は悲しくなった。それでなくても短い睡眠時間。せめて温かい布団の中で眠らせてあげたい。しかし暖房は使えず、悟空にできる事といったら人並み以上に高い体温で三蔵が戻ってくるまで布団を温めておいてあげる事くらいだった。

 

強引に一緒に寝たいとか言えば、突っぱねてやれるのに・・・。

三蔵は大きな瞳を心配そうに細めて自分を見つめる悟空を見下ろしながら、小さくため息をついた。こんな殊勝気に言われては、三蔵も悟空を無下には扱えない。

普段なら「当たり前」としか感じない悟空の心遣いも、人を労働マシーンか何かと勘違いしている坊主たちに囲まれてやさぐれている今の三蔵には、少し心に染み入る。

(たしかに冷えるからな。湯たんぽ代わりにはなるだろう)

それが自分の本心ではないと分かっているが、それを認めてしまうのは悔しいのでわざと三蔵は自分に言い聞かせる。「さ、さんぞっ!?」

いきなり法衣を脱ぎ出し浴衣に着替え始めた三蔵を前にあたふたする小猿を無視して、布団の中に身体を滑り込ませた三蔵は、上掛けの端を片手で少し持ち上げた。悟空は三蔵の意図するものがつかめず、ただまぬけ面をさらしている。「え? えーっと・・・」

「てめえがちんたらと厨房に行ってる間に、布団が冷えちまったんだよ」

「え・・・」

「イヤなら別に俺はいいんだよ。 湯たんぽ代わりに使ってやろうかと思っただけだからな」

ワンテンポおいて、小猿の顔に夜目にもはっきりと分かるくらいの満面の笑みが浮かんだ。

「ヤじゃないっ!! さんぞーと一緒に寝る!!」

それがめったにない三蔵からの添い寝のお誘いだと気づいた悟空は、そのままベッドを壊しかねないほどの勢いで三蔵が持ち上げてくれた隙間から布団の中に潜り込む。

三蔵は冷えてしまったなんて言ったけど、まだ布団にはぬくもりが残っていて温かい。しかし潜り込んだはずみに触れた三蔵の足先の冷たさに、悟空は眉を顰めて自分の足を冷えた三蔵の足にぴたりとくっつける。

「わかってんだろーな、添い寝だけだぞ」

「わかってるって! 疲れてるさんぞーに、ンな無理させねぇよ!」

悟空の動きを邪まなものと勘違いした三蔵に、悟空はむうっと頬を膨らませる。

「さんぞーの足、すっげえ冷てえんだもん。これじゃ、眠れないだろ?」

そう言いながら自分の熱を分け与えようとする悟空に、三蔵はそっと寄り添う。

「てめえは、あったけーな」

「さんぞー、冷え性だからね。俺があったかくて丁度いいじゃん」

そうして、暫くの間言葉を交わさず身体を寄せ合っていた二人だったが、ふと、悟空が布団の中に潜り込む時に放り出される事なく、かろうじてサイドテーブルに身の置き場を得たポットと梅酒のボトルの存在を思い出した。

「さんぞ、梅酒飲む? あったまるよ」

「ああ」

悟空はそっと布団から抜け出すと、備え付けのサイドボードから取り出した小さなグラスに梅酒を注いで、お湯割りを作る。悟空が抜け出した隙間から入り込む冷気に顔をしかめながら、三蔵はぼんやりと悟空を見つめる。

「はい、さんぞー」

上半身を起こした三蔵にグラスを手渡すと、悟空はぶるっと身震いをさせて慌てて布団の中に転がり込む。

「うーっ、やっぱ寒いよー」

そして、ぴとっと三蔵にへばりつくとゆっくりとグラスに口をつける三蔵のやつれていても、それでも丹精な横顔をじっと見守る。

暗闇に浮かび上がる輝く金糸の髪が、ほつれて三蔵の白い頬にかかる。そっと指で直してやると、紫暗の瞳が悟空に向けられる。

普段は尊大で、「唯我独尊」を地でいく三蔵なのに、今はまるで小さな子供のように頼りなげに見えてしまう。壊れ物のように優しく三蔵の肩を抱きしめると、身体が一回り程小さくなってしまったのではないか、と思えるほど痩せてしまったのがわかる。

(こんなに無理してまで、仕事しなくちゃいけないのかな・・・)

『三蔵法師』としてこの寺院にいる以上、仕方のない事なのかもしれないけれど。それでも彼よりも小柄なはずの、自分の腕の中にすっぽりと収まってしまいそうな錯覚を覚える程、痩せてしまった三蔵の姿が痛々しくてならない。せめて自分が三蔵を、温めてやりたい。疲れた三蔵が何も考えずに安心して休める場所になりたい。

そんな願いを込めて、悟空は三蔵の額に、瞼に、頬に幾つも幾つもくちづけをおとす。

優しい癒しのようなキスを三蔵は、目を閉じて黙って受け入れる。過労で貧血気味なのか、いつもよりも冷たい三蔵の肌に悲しくなった悟空は少しだけ抱きしめる腕の力を強めてしまう。

「・・・悟空」

「あ、ゴメン。痛かった?」

慌てて腕を緩めて離れようとする悟空の身体を空いた方の手で引き止めると、三蔵は自分の唇を悟空の唇にそっと押し当てた。

(さ、さんぞーからキスぅ~?)

めったにない出来事に目を白黒させていた悟空だったが、柔らかく触れられる三蔵の唇に誘われるようにして、そっと薄く開かれた隙間から三蔵を驚かさないように舌を忍び込ませる。遠慮がちに三蔵の舌に絡めると、ほんのりと梅酒の味がした。

情欲を掻き立てない、お互いのぬくもりを確かめ合うようなキス。

暫くの間、最愛の人の唇に触れる心地よさに酔いしれていた悟空だったが、ふっと腕の中の重みが増したような気がして、そっと三蔵の唇を解放すると・・・。

「さんぞー、眠い?」

「ん」

アルコールと悟空の体温で身体が温まってきたのか、三蔵の紫暗の瞳がトロンと眠たげに潤んでいた。こつんとその小さな頭を悟空の肩口にもたれさせて、気持ちよさそうにその身体を悟空の腕に預けている。

三蔵がそんな風に悟空の前で無防備な姿を見せてくれるのが嬉しくて、悟空はもう一度三蔵を柔らかく抱きしめる。

「も、寝よ」

「ん」

「大丈夫だよ、俺がついてるからね。ゆっくり休んでいいよ」

「・・・ん」

 

やがて悟空の腕の中から安らかな寝息が聞こえてきた。悟空は三蔵を起こさないようにと注意しながらそっと身体をベッドに横たえると、改めて三蔵を抱きしめる。

自分の胸に顔を埋めるようにして眠る三蔵の瞼に小さくくちづけると、柔らかな金糸の髪にそっと頬を寄せる。

大好きな三蔵の甘い匂いとぬくもり。それだけで悟空は幸せになれる。

腕の中で三蔵が微かに身動いだ。悟空が顔だけ起こして見下ろしてみると、三蔵は悟空の鼓動が聞こえる位置に頭を動かしたようで、伝わる悟空の心音に安心したのか小さな笑みを口元に浮かべて、また寝入ってしまった。

(さんぞー、大好き)

この世界の中で、一番大切。一番大好き。三蔵が自分の全てだから・・・。

その何者にも代え難いほど愛しい者の存在を全身で感じながら、悟空も眠りの中に引き込まれていく。

最愛の人と、ぬくもりを分け与えるように寄り添って眠る。

そんな小さな幸せを噛みしめながら。

 

おわり

 

キリリク:『眠る前の幸せなひととき。最後は2人仲良く寄り添って眠る』

 

 

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