top of page

夜半(よわ)の寝覚め

「さんぞー、俺行くよ」

 

悟空が、遠くで手を振っている。

どこに行くってんだ、この馬鹿猿。てめえの居る場所は、俺の傍じゃなかったのか?ずっと俺の傍に居ると、俺を愛していると言ったのは、お前だろうが。

 

「俺、他に大切な奴がいるんだ」

 

てめぇに俺以外に、俺以上に大切な奴が、いるっていうのか?

 

「これからは、こいつと、こいつの傍で生きていきてぇから」

 

そう言って嬉しそうに笑う猿の横には、長身の男が立っている。顔は、ぼんやりとしていて見えない。だが、黄金に輝く長い髪だけは、はっきりと判る。

悟空が愛した、俺の髪と同じ金色―――。

 

「じゃな、さんぞー。元気でな」

 

悟空はそう言うと傍らの男の手を取り、1度も振り向く事なく俺の視界から消えていった・・・。

 

 

 

「さんぞー、三蔵っ!」

乱暴に身体を揺すぶられて、はっと意識が覚醒する。

「・・・あ・・・」

「目ぇ、覚めた? さんぞー」

暗闇の中、金色のでけぇ満月のような瞳が心配そうに俺を見下ろす。

「・・・ごくう・・・」

掠れた声で、猿の名を呼ぶ。

唇が乾いて、舌が上手く動かない。心臓の音が、うるせぇ位にどくどく言ってやがる。

・・・夢か・・・。

「うなされてたよ。悪い夢でもみたのか?」

意外と骨張った指で、額に張り付く汗ばんだ俺の髪をかきあげる。窓ガラスに弾ける、小さな雨音。いつの間に降り出したのか。そうぼんやりした頭で考えながら、おそらくこれが悪夢の呼び水になったのだろう。

―――悪い夢―――

悟空が俺の許から去っていく夢。俺以外の『大切な奴』と、嬉しそうにどこかに行ってしまう夢。

・・・それのどこが『悪い夢』だってんだ。煩い猿が、たとえ夢の中だけでも俺に纏わりつかずにいてくれる。結構な話じゃねぇか。

そう自分に言いながら、それでも夢の中で感じた喪失感が今でもじわじわと俺を侵食する。

一体いつまで俺は「失う事」を恐れて生きていくのか。この猿は、決して俺の傍から離れないと。広い世界を知って尚、俺の傍を生きる場所として選ぶのだと。そう言っているのに。

「さんぞー、まだ本調子じゃねえから。だからきっと嫌な夢見たんだよ。仕事なんて身体壊してまでするもんじゃねえのにさ」

一人前の口を叩いた猿が、そっと俺の身体を抱きこむ。過労で貧血気味の冷えた身体に、夜着越しに伝わる悟空のぬくもりが心地よい。

「こうしているから、もう悪い夢なんて見ねえよ」

まるで悪夢に怯える小さな子供扱いだ。ざけんじゃねぇ。ガキはてめえだろうが。拾ったばかりの頃、悪夢を見ては泣いて俺の布団の中に潜り込んだのは、どこのどいつだっていうんだ!?

「どんな夢見たんだ?」

「うるせえな」

てめぇに言えるかってんだ。

「だってすげえうなされてたんだぜ? 気になるじゃん」

尚もしつこく悟空が問う。真剣に俺を案じている瞳の色に、つい、ぽろっと口を滑らせる。

「・・・ムカツク馬鹿が出てきたんだよ」

「夢ン中でも、さんぞーを苦しめる奴は、許せねーよなっ!」

てめぇだろうが。てめえ以外の誰が俺にこんな想いさせるってゆーんだよ。

「でも、大丈夫だからな。さんぞーは俺が守るからな」

「猿になんか、守ってもらいたくねぇよ」

そう言いながら軽く悟空の足を蹴り飛ばすと、そっと悟空の胸に顔を埋める。

「さんぞ?」

悟空の鼓動。まるでガキみてえだ。心音に安心するなんて。

大切なものなど必要ないと切り捨てて、それでいて、悟空のぬくもりに安堵する。手放す準備は出来ていると言いながら、失う事を心の奥底で、恐れている。自分自身の心にさえ、素直になれない。

普段は見ぬ振りをしている自分の弱さが、こんな雨の夜には容赦無く襲いかかってくる。そして、悟空もそれに気づいていながら、決してそれを口にはしない。

馬鹿猿が。気を使ってんじゃねーよ。

「さんぞー、眠いの?」

悟空の声が遠くなる。猿の鼓動のせいなのか、いつまでたってもガキ並に高い体温のせいなのか。急速に眠りに引き込まれていく。

あれほど暴走していた俺の心臓も、嫌味なくらいに正常に戻っていやがる。拾ったばかりの頃はあれほど俺の安眠を妨害した奴の腕の中で、今ではこんな風に安心して眠る事ができるなんて。ムカツク話だ。ぜってー、口が裂けても悟空にはそんな事、言ったりしねえが。

 

「さんぞー、寝ちゃった?」

腕の中の愛する人からの応えはなく、安らかな寝息だけが微かに聞こえてくる。

今でも雨の夜には、古傷が疼いて苦しんでいる三蔵。夢の中で失う事に怯えている三蔵。

「さんぞーの心ン中や、夢ン中に入って、さんぞーを苦しめるヤツをぶちのめせたらいいのにな」

悟空は悲しげにぽつりと呟くと、自分の胸に顔を埋めるようにして眠る最愛の人の冷たい頬にそっとくちづける。三蔵の苦しみを同じように分かち合う事は出来ないから、三蔵の痛みを自分が肩代わりする事も出来ないから。せめて・・・。

「こうしているからね。さんぞーが寒い時は、いつでも俺が抱きしめてやるから」

たとえ三蔵が信じられないと言っても、それでも自分は一生三蔵の傍で生きるから。

「だから、ひとりで苦しもうなんてしないでよね」

悟空は三蔵の耳元に静かにそう囁くと、三蔵の髪に顔を埋めた。甘い三蔵の匂い。悟空が一番落ち着く大好きな匂い。それに誘われるようにして悟空も愛する人のぬくもりを抱きしめながら、眠りに落ちていった。

 

おわり

 

© 2023 by My site name. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Classic
  • Twitter Classic
  • Google Classic
  • RSS Classic
bottom of page