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第四楽章
「な、なに。あれ?」
マンションの前をうろつく怪しげな五、六人の男達の姿に、学校帰りの悟空は絶句した。肩にカメラバックを背負い込んだり、手にメモやペンを握り締めたり。数年前やはり同じような連中が、実家の周りを徘徊していたのを悟空は忘れてはいない。
「あれ、マスコミ?」
悟空は思わず近くの電信柱の陰に身を隠して、望月を思わせる瞳でじっと男達を見つめた。
平日の昼下がり。折角の文化祭の振替休日だというのに、進路の事で担任に呼び出されてしぶしぶ登校していた悟空は、一刻も早くマンションに帰って取り損ねた昼飯を食おうと猛ダッシュで駅から走ってきたが。 マンション入り口を包囲するかのような胡散臭い男達の姿に、これ以上近寄る事が出来ない。
警察とかが来ている様子はないから、マンションの付近で何か事件があった訳ではなさそうだ。自分達の住むこのマンションに、マスコミのネタになりそうな住人がいると聞いた覚えもない。じゃあ、やっぱりあれは、三蔵目当てのゴシップ誌の取材か何かなのだろうか。ちゃんとした音楽雑誌とかの取材ならば、こんなところで待ち伏せなどしないで、三蔵が所属するオーケストラに取材を申し込むはずだから。
(なんで、今更)
悟空の背中をつーっと、冷や汗が流れ落ちる。折角三蔵との暮らしが落ち着き始めたのに、また彼等に引っ掻き回されるのだろうか?
数年前の事件の時に、三蔵が酷く苦しんでいたのを横で見ていた悟空だけに、悟空はこういったゴシップ誌の人間が大嫌いだ。自分自身、名誉毀損に当たるような事を書きたてられてもさほど気にもとめなかったが。誰よりも大切な三蔵を苦しめた事は許せない。
『無神経に他人の領域に踏み込んできて、記事の為には平気で嘘を書いて人を傷つける連中』
それが、悟空の彼等に対する評価であった。
「どうしよう。三蔵、まだ帰ってきてないのかな」
部屋に戻るには、あのマスコミの群れを突っ切らなくてはならない。オートロックなので、彼等がマンション内に入り込む事が出来ないのが、せめてもの救いだが。 この様子では何か面白い記事になりそうなネタを手に入れるまで、しばらくはああやってマンション付近をうろつく事だろう。
「どうしよう……」
薄っぺらな鞄を抱き締めたまま、途方に暮れて電柱の陰に立ち尽くす悟空。前方に気を取られ過ぎて後方不注意の悟空の襟が、いきなりぐいっと後ろに引かれた。
「ぐえっ!」
不幸中の幸いな事に、学ランの襟をきちんと留めていなかった悟空は、その硬い詰襟で喉を潰される事はなかったが。それでも下に着ているワイシャツの襟元で喉元をぐっと後ろに引かれて、情けなくも蛙が潰れたような悲鳴をその喉から響かせた。
「こんなに簡単に後ろ取られてどうする。この馬鹿猿」
「げほっ、さ、さんぞ……ごほっ!」
慌てて振り向いた悟空は、そのまま喉元を押さえて、ゲホゲホと苦しげに咳をする。 先程の衝撃で一瞬、呼吸困難に陥ったようだ。しかし当の加害者の三蔵は、金瞳を涙で潤ませて恨めしそうに自分を見上げる悟空に対して、これっぽっちの罪悪感も謝罪の意もないようだ。
ふん、と尊大に踏ん反り返ると、ジャケットの胸ポケットからマルボロのケースを取り出す。そして小器用にその中から一本を抜くと、自然な仕草でぽってりと厚みのある唇にそれを咥えた。
「……マスコミか」
「え? あ、うん」
そんな三蔵の何気ない、だけど、まるでモデルか何かのような流麗な動きに、思わずぽかんと見とれてしまった悟空だったが、睫を伏せて煙草に火を点けながらぼそり、と呟く三蔵の言葉に慌てて頷いた。
「なんか俺達が帰るまで、しぶとくあそこに居そうな雰囲気」
「……ここで立ち話も何だな。悟空、来い」
「え? あ、さん……っ」
くるり、と背を向けて歩き出す三蔵の名を大声で呼びそうになって、悟空は慌てて自分の口を両手で押さえた。 支えを失った鞄が、ばさっと足元に落ちる。けれど悟空はそんな事は気にもとめず、息を詰めたまま恐る恐るマンションを振り返る。ここで大声を出して、もしマスコミの連中に、三蔵が今ここにいる事が知れてしまったら……。
だが多少の距離が幸いして、悟空の声は彼等の耳には届かなかったようだ。 悟空は、ほぅと安堵の息を漏らすと急いで砂にまみれた鞄を拾い、さっさと自分を置いて行ってしまう薄情な想い人の後を全力疾走で追いかけた。
「どうやら先月載ったあの記事に目ぇつけた馬鹿共が、また大騒ぎしだしたらしいな」
「先月の……って、あの何とかって外国人が、三蔵の事褒めてたアレ?」
ふたりの暮らすマンションから三百メートル程離れた、閑静な住宅街の中にある喫茶店。個人宅の一階を改築した造りのこの喫茶店は、奥まった場所柄、人目にもあまりつかずに静かに時間を過ごせる場所として、三蔵のお気に入りの店でもあった。 オーク材のカウンターに、同質の洒落たテーブルと椅子。店の奥には実際に使われる事はないであろう、レンガ造りの暖炉。控えめに、けれどセンスよく配置された小さな額と一輪挿し。落ち着いたその雰囲気は三蔵が好むもので、悟空も前に一度連れてきてもらった事があった。
今日も三蔵が来店の際には特等席となる、店内でも一番人目につかない奥の席でふたり向かい合って座っていた。 悟空は先日飲んですっかりお気に入りとなった、メイプルミルクティーがなみなみと注がれた薄手の白いカップにそっと口をつける。目の前では三蔵が眉間に皺を四割方増やした不機嫌丸出しの表情で、頼んだ紅茶を睨みつけている。
「ネコ舌って不便だよなぁ」
「うるせえ、大きなお世話だ」
こくこく、と上手そうに紅茶を飲み干す悟空を、ぎんっと横目で睨むと三蔵は、脇に抱えていた普段スコアを入れているケースの中から、例の雑誌を取り出すとぽんっと無造作にテーブルに放り投げた。
「どこの馬鹿だか知らねーが、勝手にンなもん書きやがって」
「これ、買ってきたの?」
「ざけんな。こんなモンに金なんか払うか。朱泱が今日、持ってきたんだよ」
「朱泱さんが?」
聞き慣れた名前に、悟空は一瞬眉を顰めた。 三蔵の音大時代の先輩で、今は同僚。 その無骨で大きな手は、ティンパニーかシンバルがよく似合いそうなのに。彼の愛器は何とあの華奢で小さなピッコロだと知った日には、申し訳ないが床を転げまわって大笑いした。
だけど確かに彼はその繊細な楽器に相応しい、見掛けの割りには細やかな心遣いの、面倒見のよい男だった。人付き合いの病的に悪い三蔵が、珍しく信頼しているらしい様子は、正直悟空にとってはあまり気持ちのいいものではない。例え彼が稀代の愛妻家で、三蔵に不埒な想いを寄せている訳ではないと理屈ではわかっていても。
(でも……三蔵、俺の事、あんな風に信頼してくれてねーもん)
朱泱と自分の年の差や人生経験の差などを考えれば、それは致し方のない事なのかもしれないが。 でも、誰よりも大切で愛しい三蔵が、自分以外の人間に自分以上の信頼を寄せているのかと思うと、たまらなく悔しくて。そんな必要がないと知りながらも、ついつい朱泱を敵視してしまう。
そんな己の狭い心に自己嫌悪を覚えつつも、なんとか三蔵の前では平静を保とうと努める。
「そっか。三蔵、現物は見てなかったんだよね」
「ああ」
知らぬ間に己が雑誌の記事になっていた事は、三蔵も同僚から聞いて知っていた。 無断掲載だと文句を言ってやりたくても、単にあの記事は人物評のようなものだ。三蔵のコメント等が無断で使用された訳でもないから、実のところ文句のつけ様がないらしい。
『そんなムカツク記事なんか、読みたくもねえ』と、頑なにその雑誌に目を通すのを拒んでいた三蔵。記事の内容は、同僚と悟空から一応耳に入ってはいるが。
「でもこの雑誌と、あの連中とどういう関係があるんだ?」
「朱泱の話だと、この雑誌の編集者が、たまたまゴシップ記者も集まる酒の席で、俺の事を話題にしたらしい」
意外と交際守備の広い朱泱は、マスコミ関係にも何人かの知り合いがいる。そこから仕入れた情報によると、この三蔵の記事は、彼の経歴とその評価、そして添えられた写真に見る三蔵の美貌がかなりの評判を呼んだ。知らないのは、そういった方面にはまったく興味を示さない三蔵本人だけかもしれない。
三年前にクラシック界の新しい星、と期待されながらも現在は一オーケストラ団員としての活動のみで、個人的音楽活動を一切展開しない若き美貌のバイオリニスト。
もともと人付きあいも悪く、個人的情報を他人に知られる事も嫌がる性格を、どう好意的に受け止めたのか『神秘のベールに包まれた、天才バイオリニスト』などと囃し立てる輩さえ存在するそうだ。 いささかミーハー的な女性クラシック愛好者の間では、その日本人離れした壮絶なまでの美しさと傾聴する事の叶わない個人演奏。そしてお涙頂戴ものの、彼の生い立ち(と、彼女達は、そう思い込んでいる)に浮き足立って、ちょっとしたアイドル状態であるらしい。
あまりにくだらな過ぎて、咄嗟に悪態をつく事も出来ない程呆れ果ててしまった三蔵ではあるが。事はそれだけでは終わらなかった。
酒の席ですっかり出来上がってしまった件の雑誌記者が、『最近面白い話がなくてねぇ。そちらの方は、どうですか?』と、何気ない風を装って近づいてきたゴシップ記者の面々に、最近の日本クラシック界の、ちょっとしたアイドルの話題を提供した……彼は、ただそれだけのつもりだったが。 その話はネタを求めて各界方面にアンテナを張り巡らせている、彼等のお眼鏡にかなったらしい。
数年前クラシック界を騒がせながら、精力的な演奏活動を行わない、若く美しい演奏家。彼の義弟のスキャンダル(それは単にマスコミ側の捏造だったのだが)、屈折した性格と不幸な生い立ち。
『これは絶対、記事になるっ!』
声高らかに宣言して、スクープゲットの為にマンションに張り込みを開始したのだった。
マジに腹が立つ。
二度もこんな目に合うくらいなら、やっぱりさっさと演奏活動をやめるべきだった。しかし、今からでも決して遅くはない。
三蔵はようやく冷めてきた紅茶のカップを細いその指で持ち上げて、一口それを口に含みながら紫暗の瞳に剣呑な色を浮かべて、心の中でそう呟いた。 悟空が進路を決めるこんな大事な時に、騒動が起きてしまってからでは遅いのだ。進路だけではない。二年後にはオリンピックだって控えているのに。
(ンな奴等に、邪魔されてたまるかよ)
数年前の出来事は、忘れろと言われても忘れる事は出来ない。 叩くのなら、自分を叩けばよかったのだ。 捨て子であり、あまりにも日本人離れしたこの容貌。ただそれだけの事で、蔑みも疎外も、幼い頃から馴染み深いものだった。今更何を言われたって、動じるような繊細な心臓は持ち合わせていない。
だがしかし、悟空を巻き込む事だけは、許せなかった。 自分の家族、というだけで謂れのない中傷記事を書かれ、進路に支障をきたした悟空。あの時の二の舞を踏まない為にも……。
「で、三蔵。どーすんだ?」
ポットから二杯目の紅茶をカップに注いだ悟空は、大きな金色の瞳をくりっと三蔵に向けた。悟空の問いは、マンション入り口が張られている今、どうやって部屋に戻るのか、という意味だったのだが、返ってきた三蔵の答えは悟空が想像すらしない一言だった。
「バイオリンをやめる」
「えっ?」
信じられない言葉に衝撃を受けた悟空は、動揺のあまりテーブルにどんっと手を突いて立ち上がろうとした。その弾みに手元に置かれたカップが横倒しになり、熱い紅茶が悟空の手にモロに被った。
「熱っ!」
「馬鹿、お前っ!」
咄嗟に悟空の手に己の手を差し伸ばした三蔵に、悟空が悲鳴に近い叫び声を上げた。
「だめっ! 三蔵も指に火傷しちゃうっ!」
「ンな事言ってる場合かっ。おい、布巾と何か冷やすものをっ!」
三蔵の鋭い声に、店員が慌てて飛んでいた。そして乾いた数枚の布巾で、手際よく濡れたテーブルや床を拭いていく。その間に店主らしい婦人が悟空をカウンターの内側に連れて行き、紅茶を被った手の甲を冷水で冷やしてくれていた。 その様子を見つめる三蔵の表情は硬い。
しばらくしてもう赤みが取れたから大丈夫、と悟空は心配そうに横で見守っていた店の主にぴょこん、と頭を下げると、くしゃくしゃになったハンカチで濡れた手を拭きながら、三蔵のところに戻ってきた。
「もう大丈夫なのか?」
「うん。ちょっとヒリヒリするけど、大丈夫」
ひらひら、とその手を振って、もう大丈夫だと三蔵に示すと、悟空はすとんっと三蔵と向かい合わせの椅子に座り直す。 「それにしても、三蔵。あんな時手ぇ出したらダメじゃん。指に火傷なんかしたら、バイオリン弾けないよ」
「だから、バイオリンはやめると言ったろーが。聞いてなかったのか、てめーは」
「聞いてたよ。でも、なんでやめるなんて言い出すんだよ」
顔は笑っているが、何よりも豊かにその感情を映す金色の大きな目は、決して笑っていない。珍しい事に、悟空は三蔵に対して酷く怒っているようだ。だが三蔵には、何故悟空が怒っているのか、まったく見当がつかない。
大事に至らなかったとはいえ悟空が火傷を負った事と、思いもかけない悟空の怒りに、三蔵の中に苛立ちが募ってくる。 「俺が目ぇつけられて、あんな奴等に追いまわされるのは、これで二度目だろーが。うぜえんだよ。」
心底嫌そうに吐き捨てるように言いながら、三蔵はすっかり冷めてしまった紅茶で、渇いた喉を潤す。
「でも、だからって、バイオリンやめなくたって……」
「音楽家なんて目立つ仕事を辞めれば、ゴシップ記者も付き纏わなくなんだろう。一般人のゴシップ書き並べたところで、スクープにもならんからな」
自分の事だけなら、何を書かれようが痛くも痒くもない。うざい事この上ないが、馬鹿のやる事は無視するに限る、と聞き流す事もできる。 だがこれ以上悟空を巻き込む事だけは、許せない。 自分がマスコミの注目さえ浴びなければいい。
悟空は素直で優しく周囲の人々からも愛されている。柔道界のホープ、という事で彼自身も注目の的だが、良くも悪くも目立ち過ぎる自分とは違って、彼の表裏のない真っ直ぐなキャラクターは、ゴシップの類いとは無縁のものだ。前回の騒動だって、単に自分の身内という事で槍玉に上がっただけなのだから。
「とにかく早い方がいい。明日にでも退団届を出してくる」
「三蔵っ?」
思わず悟空が店中に響く程の大声を上げた。幸い狭い店内に客は三蔵と悟空のふたりだけだったが、先程に続く騒ぎに店の主と店員が不安そうな面持ちでカウンター内から、こちらの様子をちらり、ちらりと窺っている。 しかしそんな他人の目を気遣う程の余裕が、今の悟空にはない。
三蔵は、本気なのだ。自棄で言ったのでも、冗談でも何でもなく。三蔵は本気でバイオリンをやめるつもりなのだ。
「早過ぎるよ。もう少し考えてさ。それからでも……」
「早くなんかねーよ。遅すぎたくらいだ。三年前の二の舞踏む訳には、いかんだろーが。てめー、わかってんのかっ?」
まるで事の重大さを理解していないかのような悟空に、三蔵の苛立ちは更に募る。 いま直ぐに音楽界から退けば、ゴシップ記者だってさっさと手を引く。一刻も早く、次の新しい獲物を捕まえるために。それが、どうしてこの馬鹿猿にはわからないのだ。
しかしそんな三蔵の気持ちは、悟空には伝わらなかった。『三年前の二の舞』という一言に、悟空はびくんっと大仰な程に全身を揺らして反応した。 さっと顔から血の毛が引き、青褪めた唇が、がくがくと震えている。
「それって……俺が、進路決める時期だから?」
乾いた声が、悟空の口から零れた。
「ここでまたマスコミとかに騒がれて、俺の進路妨害されたら困るから? オリンピックに出場できなくなったら、困るから?」
「悟空……?」
顔色を変えて俯き、感情の篭らぬ声でまるで独り言のように呟く悟空の様子に、ただならぬものを感じたのか、三蔵が珍しく戸惑った声音でその名を呼ぶ。 それが悟空の感情を爆発させる引き金となった。
「自分のせいで、俺の進路邪魔したって負い目だったから? だから、今までソロ活動とかしなかったの? 俺の為に、やらなかったのっ?」
突然大粒の涙をぼろぼろ零しながら叫び出した悟空に、三蔵は一瞬息を呑む。予想もしなかった悟空の反応に、どう言葉を返していいのかわからない。
そんな三蔵を前に、悟空は感情を制御できない。自分の口から止めどなく溢れる言葉の数々。それが鋭い刃となって、悟空の心をずたずたに引き裂く。
信じたくはなかった。自分の存在が、誰よりも愛する人の足手纏いだったなんて。 自分の為にあの三蔵がその才能も名声も、何もかも犠牲にしていたなんて。 そして何よりも、三蔵が自分に負い目を感じているかもしれない。それが悟空にたまらない程の不安感を与えた。
やっぱり自分の告白を受け入れてくれたのは、その負い目故なのだろうか? 全ては自分の一人相撲だったのだろうか? だからあんなに自分に抱かれる事を、頑なに拒んでいたのだろうか?
李厘に初めてあの雑誌を見せられた日に胸に湧き上がった疑念は、やはり正しかったのだろうか? ぐるぐると渦巻く感情の嵐。一度爆発したそれは、悟空自身もうどうする事もできない。
「俺が三蔵の音楽の邪魔してんの? 俺が居たから、三蔵演奏しないの? やめちゃうのっ? そんなのヤだっ! そんなの、俺望んでねーよっ!」
愛する人の犠牲なんて、自分は少しも望んでいないのにっ!
「悟空っ!」
初めて見る悟空の激しい感情の昂ぶりに、三蔵はどうしていいかわからない。ただ声を張り上げて、何とか悟空を静めようとする。
いつもにこにこ、お日さまのような笑顔の悟空。 自分に対して怒る時だって、きゃんきゃんと子犬のように喚き散らすだけだったのに。 こんなに激しく悟空に感情をぶつけられたのは、もしかして初めての事かもしれない。突然の出来事にパニックを起こしかけている三蔵は、悟空が何を叫んでいるのかさえ半分も理解できていなかった。
「……わかった」
激情のままに叫び散らした悟空は、やがてぽつり、と呟いた。まだ興奮が鎮まらないのか、テーブルの上に置かれた手が微かに震えている。
「俺、養父さんとこ戻る」
「悟空……」
「俺が傍にいない方が、三蔵いいだろ? マスコミがまた俺に目ぇつけるかも、って心配してんなら……俺、養父さんに言って籍から外してもらう」
「悟空、てめぇ何を……」
思いもしなかった悟空の言葉に、今度は三蔵が激しく動揺した。 なんで悟空がいきなりこんな事を言い出すのか理解できない。悟空がいない方がいいとは、その為に養子縁組を解いてもらう、とは一体どういう事だ? 悟空は何が言いたいのだ?
しかし三蔵が動揺すればする程、悟空は落ち着きを取り戻したかのように、薄っすらと悲しそうな笑みを浮かべながら、淡々とまるで自分に言い聞かせるかのように話し続ける。
「兄弟じゃなければ、記事にしても面白くねぇだろ? そりゃ始めは兄弟じゃなくなった、とか言って、また記事にされっかもしれねーけど。でも三蔵には迷惑かかんなくなるから」
「誰が迷惑なんて、言ってんだよっ!」
悟空の言葉にかっとなった三蔵が、珍しく感情的にがんっとテーブルを拳で叩いた。 そんな三蔵に悟空は、涙を薄っすらと浮かべた瞳を―――それでも、無理矢理笑みに形作りながら、向けた。
「どの道、俺進学しないで、就職しようかと思ってたんだ。どっか遠いとこに、仕事見つけるから。そしたら、本当に俺と三蔵、関係なくなるから」
もう、三蔵の邪魔はしないから。
ぽつり、と唇から零れた言葉を三蔵が受け止める間もなく、悟空は勢いよく立ち上がると、そのまま店を飛び出していった。 乱暴に開かれた扉に付いた鐘が、カラン、カランと甲高い音を立てる。
店内に響くその音をぼんやり、と聞きながら、三蔵は悟空と交わした会話を反芻する事さえできずに、目の前に置かれた冷めたカップをじっと凝視し続けた。
つづく
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