LOVE SICK (空三・空金オンリー「SWEET HEART」パンフ掲載)
「さんぞー、さんぞー、痛くねえか?」
三蔵の背後から抱き込むような格好の悟空が、不安気に三蔵を見上げる。
「うるせえ、これ位の事でがたがた騒ぐんじゃねえ」
「だってさぁ・・・」
悟空は半べそ状態で、蛇口から勢いよく溢れ出す冷水に晒される三蔵の左手首をじっと見入る。普段手袋で覆われている三蔵の手首は、この国の男のものとは思えないほど白くて滑らかなはずなのに、今悟空の目に映るのは赤く火脹れになった痛々しい肌。
「だいたいてめえがあんな所で喧嘩なんか売らなけりゃ、こんな事にはなんなかっただろーが」
「・・・う・・・」
この宿に着いてすぐに腹減ったと喚く悟空に根負けして、三蔵は八戒や悟浄とは別行動で小猿に餌を与える為に比較的大きな食堂にやってきた。そこで、いつものように三蔵の美貌に目をつけた酔っ払いどもが絡んできたのだ。
普段ならそこで切れた三蔵が銃をぶっ放して一段落のはずなのだが。どうした事か今日に限って、先に悟空が切れて大乱闘になってしまった。その時にたまたま近くにあった旧式のランプに三蔵の手が触れて、火傷を負うはめになったのだ。
三蔵の怪我は自分に責任があるとわかっているようで、悟空は見えない耳と尻尾をしゅんと垂れる。
「だってあいつ等、三蔵の首筋に触ったんだぞ。舐めるように三蔵の事じろじろ見て・・・。それに・・・」
「それに?」
「『こんな美人の坊さんじゃ、ガキの頃はさぞかしお稚児趣味の坊主達のお相手したんだろう』って言った! さんぞーの事、侮辱したっっ!!」
目の前で愛する三蔵が見も知らない男の汚らしい手で触られただけでも、悟空にとってあの男は万死に値するというのに。 三蔵を、悟空の太陽を、あんなに厭らしい言葉で侮辱したのだ。
頭の中が真っ白になって、気がつけば机を引っくり返して、顎が砕ける程の力で男の顔を何回も、何回もぶん殴っていた。そう、触れたランプの熱さに思わず上げた三蔵の小さな悲鳴が耳に届くまで。
「ゴメンな、さんぞー」
「もう、いい」
「だって、こんなに赤く痕になってる」
「こんな傷のひとつやふたつ、どうって事ねえだろうが」
「どうって事あるだろっ!? これ以上さんぞーの身体に傷残すのヤなんだよっ!」
六道との戦いで負った傷や、蠍女の爪あと。三蔵の身体には、その他にも大小多くの傷跡がある。それは彼の半生の厳しさの証拠のようで、それを見るたび悟空の顔が悲しげに歪む。
真っ白な三蔵の綺麗な身体には、傷ひとつも似合わないのに。三蔵を抱くたびにそっと指先で触れ、舌で舐めては自分にこの傷を全部消してしまうだけの癒しの力があればいいのに、と思わずにはられない。
八戒は、まだ買出しから帰ってきていない。彼ならすぐに気孔術で三蔵の傷を癒してくれるだろう。しかしそう思った瞬間、悟空の胸にちくりと小さな痛みが走る。
「何、またくだらねえ事考えてんだ」
口元を変に歪ませた小猿に気づいた三蔵が、不愉快そうに訊ねる。
「俺ってほんと、さんぞーの足手纏いだよな。何にも役に立てねえの」
「・・・猿」
「八戒なら、こんな怪我すぐに治せるのに。俺さんぞーに怪我させといて、何にもできねえのな」
そう言うとくるりと三蔵に背を向けて、ぐすっと鼻をすする。
いつになったら誰の手も借りずに、自分一人の力で三蔵を支え、守れるようになるのだろう。これではいつまでたっても年下で頼りないペット兼被保護者のままだ。
ふうっと三蔵の口からついて出るため息に、悟空はぎくりと身体を震わせる。
「そーゆー所がガキだってんだよ」
「さんぞーっ!」
「いつまでも過ぎた事をうだうだ言ってんじゃねーよ。八戒は八戒。てめえはてめえだろうが」
他人と比べてんじゃねえよ。そう言って三蔵は悟空の頭をぺしっと叩く。
馬鹿面を晒していつも自分の傍にいるのは、悟空にだけゆるした特権だから。卑下する必要なんてない。この人嫌いの自分が8年もこの猿を傍に置いていたのだって、それが悟空だったから。悟空だったからこそ、傍らにいる事を許したのだ。そして自分を望む事さえも・・・。
それは、決して理屈ではなかった。役に立つとか、立たないとかの問題でもないのだろう。
光明三蔵を喪って、10年近く。「必要」とか「大切」なんて言葉は切り捨てたはずなのに、この猿は三蔵にその言葉の意味を嫌でも思い出させる。ムカツク事はムカツクが、この小猿が相手では、何故か仕方がないと思ってしまう。そんな事、悟空本人には口が裂けても一生言う気はないが。
「さんぞ」
「ああ?」
「さんぞー、俺の事好き?」
小猿を実年齢よりも幼く感じさせる大きな金瞳が、くりっと見開いて三蔵の紫暗の瞳を覗き込む。
「何、くだらねえ事ぬかしてんだ、この馬鹿猿っ!!」
「役立たずの、大食らいでも、それでもさんぞーの傍にいていいのか?」
真剣な眼差し。その一言が悟空の一生を決めるかのような、縋るような、祈るような視線が三蔵の心をざわめかせて無性に腹が立つ。
「・・・仕方ねだろう。言ったところでてめえが小食になる訳でも、使える奴になる訳でもねえしな」
「それでも、そんな俺でも、さんぞーの傍にいていいんだな?」
どれほど縋って懇願したって、必要ない者を傍に置いておく程三蔵は心の広い人間ではない。
三蔵の隣を許された、それは本当に「特別」を意味しているのだと。それ位は、悟空にだって理解できる。
「・・・勝手にしろ」
「うん」
にぱぁと、子供のような笑顔で応えると、悟空は三蔵の細い腕をとって、三蔵の痛々しい傷にそっとくちづける。
「な・・・っ」
悟空の突然の予期せぬ行動に、三蔵は言葉を失い、首筋まで真っ赤に染める。三蔵の抵抗がないのを良いことに、小猿は火脹れになった箇所を舌で丁寧に舐める。
ひりひりとした痛みとは別の、身体の奥から湧き上がる疼くような痛みに三蔵は耐え切れず、愛用のハリセンを思い切り振り上げた。
すぱぱぱ――んっっ!!
「調子に乗ってんじゃねえ! この馬鹿猿っ!!」
「・・う・・・、消毒代わり・・・」
「いらねーよ、ンなもんっっ!!」
三蔵の手を両手で包むように握り締めたまま、小猿が涙声で呟く。
「離せ、あほ猿!」
「やだ、もう少しだけこうしていてぇ」
悟空の手の中にある三蔵の小さなぬくもり。それを手放すのが惜しくて、悟空はぎゅっと力を込める。
「・・・痛ぇよ」
「あ、ゴ、ゴメンっ!」
悟空は慌ててぱっと三蔵の手を離す。そして今度は、そっと壊れ物に触れるように三蔵の手を柔らかく包み込む。
「・・・悟空」
「さんぞー、もう一度だけ触れていい?」
真っ直ぐな瞳で三蔵を見つめる悟空。
「もう一度、さんぞーの傷に触れたい。さんぞーにキスしたい」
決してそらされる事なくいつも自分だけをみつめ、自分の心を鷲掴みにする金色の瞳。この瞳に見つめられると「否」と言えなくなってしまうのは何故だろう。
「・・・好きに、しろ」
ぼそっと小さな声で呟くと、小猿はこれ以上ない程の笑顔を浮かべて、そおっと三蔵の手に再びくちづける。やさしく、羽のように軽く三蔵に傷に触れていた悟空の唇が、やがて三蔵の少し厚みのある柔らかな唇にそっと触れる。触れるだけの、まるで癒しのようなくちづけ―――。
たとえ身体の傷を癒す事は出来なくても、自分の心の傷をすっぽりと包み込む事が出来るのは、この小猿だけ。言葉にしてそれを本人に伝える事など到底出来ないが、それでも悟空の存在だけが自分に安心感を与えてくれる。
いつかは、心の奥深くに刻まれた『あの』傷跡もこいつがすべて包んでくれるのだろうか・・・?
ぼんやりとそう考えていた三蔵は、彼を驚かさないようにとそっと背中に回された悟空の腕に応えるかのように、薄く唇を開いて悟空を受け入れた。
おわり