FIRST KISS
「さんぞー、キスしよ」
いきなりの小猿の爆弾発言に、三蔵は思わず読んでいた新聞から視線をはずして、自分のペットの顔をまじまじとみつめてしまった。
「・・・なに?」
小猿は自分が飼い主の上に落とした爆弾の威力に気付きもせずに、平然と三蔵ににじり寄る。
「だから、キスしようって・・・」
すぱーんっ
「いてえって!!なんですぐハリセンなんか、出してくんだよーっ」
「だまれ、馬鹿猿!てめえが叩かれるような言動ばっか、するからだろーが!!」
「なんでだよ。キスしようって言っただけじゃん!」
ちゃきっ
「・・・てめえ、死にてえのか?」
いつの間にか、ハリセンを持つ手に三蔵愛用の小銃が握られていた。
悟空のおおきな金色の瞳が、三蔵の紫暗の瞳をじっと見据える。普段は飼い主に従順に成らざるを得ない小猿も、こういう目をする時は一歩も退かない。その頑固さは、時として三蔵の上をいく。
(ったく、なんだってんだよ)
悟空の無言の圧力に、三蔵が忌々しげに心の中で舌打ちをする。
「・・・悟浄なら、いいのかよ」
三蔵を見据えたまま、悟空はぼそっと呟く。
「ああ?」
「俺、見たんだかんな!三蔵が悟浄とキスしてんのっ!!」
「・・・っ!!」
夕食を終え、各自が自分の部屋に戻ろうとした時。いきなり後をついてきた悟浄に抱きすくめられて、唇を重ねられた。
突然の事に一瞬頭が真っ白になった三蔵だが、そのまま黙って悟浄の思うがままにされっぱなしの訳がない。隙をみて鳩尾に膝蹴りを食らわせた上、鉛弾を数発お見舞いしてやった。
(逃げ足は、ゴキブリ以上に速かったがな)
その一部始終を、悟空は見ていたのだった。
「俺とキスすんのは嫌でも、悟浄ならいいのかよ!!」
「ざけんな、猿!あれはむりやり・・・」
言いかけて、三蔵が口を閉じる。むりやりキスされたなんて、プライドの高い三蔵の事。口が裂けても言えない。そんな三蔵を、悟空はじっと見つめる。
「まさか、さんぞーのファーストキスの相手って、悟浄じゃないよな?」
「・・・っ!!」
探るような小猿のまなざしと口調に、三蔵は思わず視線をそらす。
三蔵のファーストキスの相手。それは・・・。
「江流が初めて私の頬にキスしてくれたのは、江流がまだ二ヶ月くらいの頃でしょうかねぇ」
「・・・お師匠さま・・・」
落ち葉掃きをする手が、思わず止まる。
「半年もすると、私の唇に・・・」
「あーっっ、もういいです、お師匠さま!!」
江流は耳まで真っ赤にして、煙草をふかしながらとんでもない事をのたまう養父の言葉を遮る。いまこの寺の裏庭にいるのは二人だけで、他に誰が聞いている訳でもないがそんな乳児の頃の出来事を聞くなんて、顔から火を吹くほど恥ずかしい。しかしそんな養い子の思いを知らないのか、わざと気付かぬふりをしているのか、光明三蔵はゆっくりと煙草の煙を吐きながら、のほほんと言った。
「江流のファーストキスの相手は、私という事になりますねぇ」
「っ、お師匠さまっ!!」
そう、赤子の頃の三蔵と光明三蔵はかなりスキンシップ過剰だった。それは、金山寺の僧侶達に代々にわたって、語り継がれるほどに・・・。
「さんぞー?」
知らないうちに過去に思いを馳せていた三蔵は、悟空の自分を呼ぶ声にはっとする。
「否定しないって事は、やっぱりさんぞーのファーストキスの相手って・・・」
小猿は、自分の質問に目をそらして答えようとしない三蔵にそう結論づける。
「てめっ、なんでそうなる!?」
「だったら、悟浄じゃねえって言うのかよ!?」
「あたりめえだ、この馬鹿猿!!」
「なら、誰なんだよ。ファーストキスの相手!!」
「・・・っ」
熱くなっていた頭の血が、さっと冷える。このまま問答を続けても、決して悟空は納得のいく答えを得るまでは引かないだろう。かといって、へたに話を打ち切れば『やっぱり、悟浄が・・・』と、言いかねない。四面楚歌状態とは、まさにこの事である。
「・・・それじゃ・・・」
悟空が涙目で、きっ、と三蔵を睨み付ける。
「それじゃ、さんぞーのファーストキスの相手は、八戒なんだ!!」
「・・・どーして、そうなるんだっ!?お師匠様だよっ、俺のファーストキスの相手は・・・っ」
まずい、と思った時はすでに遅い。悟空の落とした爆弾の第二弾に切れた三蔵は、ついうっかりと口をすべらせてしまった。
「・・・さんぞー・・・」
「・・・なにも言うな」
ハリセンを再び握りしめ悟空を威嚇するが、耳まで真っ赤な三蔵にいつもの迫力ははっきり言って、ない。
「さんぞーの『お師匠様』って、さんぞーを拾って育ててくれた人だろ?」
「うるせえんだよ!!まだ俺がガキの頃の話で、しかもあんなの親子のスキンシップみてぇなもんなんだよ!くだらねえ事をいつまでも言ってんじゃねえ、この馬鹿猿!!」
ばしっ、ばしっ、と恥ずかしさも手伝って、悟空の頭上に振り下ろされるハリセンは、いつも以上に手加減がない。しかし、今日は悟空も負けていない。ハリセンに加えて、げしげしと蹴りまで頂戴しながらも、小猿はしぶとく言ってのけた。
「さんぞー、キスしよ」
「・・・てめえ、人の話聞いてねえのか、ああっ!?」
「聞いてるよ。さんぞーは、自分を拾って育ててくれた人と、ファーストキスしたんだろ?だから、俺もファーストキス、俺を拾って育ててくれたさんぞーとするんだ」
「・・・」
確信に満ちた口調で言う悟空に、三蔵は返す言葉をもたない。
一体、どこで育て方を間違えたのか。悟空の思考回路についていけずに、己れの育児(?)を振り返っていた三蔵は次の瞬間、完全硬直した。隙をついた悟空がぐっと三蔵の腕を掴むと、自分の唇を三蔵の柔らかい唇に押しつけたのだ。
「・・んっ」
我に返った三蔵は慌てて悟空を引き剥がそうとするが、所詮力で悟空にかなうはずがない。
始めのうちは触れるだけの幼い接吻けも、やがて三蔵が抵抗できないと知ると一転深いものへと変わった。
(このガキ猿、なにがファーストキスだ。どこでこんなモン、覚えてきやがった!!)
口腔を優しく愛撫され、翻弄されて三蔵の息が乱れる。お師匠様とだって、ここまではしていねぇぞ!!と、心の中で悪態をつく三蔵もすでに膝が、ガクガクの状態である。
どれくらい悟空に唇を貪られていたのか・・・。ようやく満足した悟空が三蔵をそっと離すと、そのままがくん、と三蔵が崩れる。
「さんぞー、だいじょーぶか?」
慌てて抱きかかえる子猿の腕の中で、三蔵は真っ赤な顔をして必死に息を整えようとする。
「・・・大丈夫な訳・・・、あるか・・・」
本来なら、ハリセンどころか小銃をぶっぱなしたいところだが、もうその体力、気力さえ残っていない。
「やっぱり、さんぞーの唇って甘くて旨いんだな」
当の小猿は、三蔵の気もしらず「やっぱ、思ったとーりだよな」などど、世迷い言をほざいている。『旨い』ものなら本能的に、なんでも『美味しく戴く』術を知っているのだろうか、この小猿は。だとしたら・・・。
(エロ河童以上に、厄介じゃねえか)
自分をぎゅっと抱きしめて、更に唇を求めてくる悟空に抵抗もできず、三蔵はあきらめ気味に目を閉じた。
「子供だと思って油断していましたね。まさか、悟空に先を越されるとは・・・」
再び唇を重ねる二人の姿を、扉の影から見守る一人の男。
「まあ、いいでしょう。障害が多ければ多いほど、恋愛は燃えるものですしね」
そう呟いてにっこりと笑った彼の存在に、幸か不幸か、お取り込み中の三蔵と悟空は気づく事はなかった。
おわり