healing(同人誌「ベイビーセンセーション」掲載)
「さんぞ、気持ちいい?」
「・・・まあな」
椅子に腰掛けた飼い主の背後に回ったペットは、法衣の上から三蔵の華奢な肩をゆるゆると擦るように撫でる。紫暗の瞳を瞑って腕を組んだ姿勢の三蔵の仏頂面は相変わらずだが、悟空の手のひらのぬくもりに幾分心地よさそうだ。
先日妖怪の襲撃にあった時に、三蔵が肩の筋を痛めた。その場で八戒が気孔で治療してくれたので、殆んど完治したと言ってもよいのだが、まだ時々腕をあげたりすると痛む事がある。
この意地っ張りの最高僧は、決して自分の不調を下僕共に告げたりはしない。しかし愛する人のどんなに小さな表情も、動作も見逃さない小猿は、微かに顰められた形のよい眉と、いつもより一割方威力の衰えたハリセン攻撃に三蔵の肩の具合の悪さに気づいてしまった。
しかしここで表面きって「三蔵、肩痛いんだろ?」などと言おうものなら、必要以上にプライドの高い三蔵の事。たちまち機嫌が急降下するのは目に見えている。そこで三蔵の事に関してだけは賢しい小猿は、宿でふたりきりになった時を狙って、いつものように甘えて擦り寄りながら、そっと三蔵の肩に触れる事に成功したのである。
三蔵に拾われて間もない頃、『猿も木から落ちる』の諺の通り、寺院の中庭の大木から落ちた悟空は、腰を強かに打って痛みにうんうん唸り寝込んだ事があった。
三蔵の寝室に敷かれた万年床で「痛い」だの「もう死んじゃう」だのと泣き言をいう猿に、「うるせえんだよ! 自業自得だろうが、この馬鹿猿っ!!」という罵声と共に、強烈なハリセンを悟空の頭上に直撃させた三蔵ではあったが。
それでも腰に大きな湿布をぺったりと貼って大きな金色の目を潤ませるペットを多少なりとも哀れに思ったのだろうか。人に触れるのも触れられるのも大嫌いな彼にしては、どういう風の吹き回しなのか、天変地異の前触れなのか。痛む悟空の腰に手をやり、そっと擦ってくれたのだ。
「さ、さんぞ?」
「痛ぇのは、ここか?」
「う、うん」
ただゆるゆると、痛む場所を三蔵の大き手のひらが擦ってくれる。不思議な事にそれだけで、今まで本当に死んでしまうんじゃないか、とさえ思った痛みが少し、減ったような気がする。
体温が低くていつもは冷たいはずの三蔵の手のひらが、とっても温かく感じられるのはどうしてだろう?まるで三蔵の手から、癒しのエネルギーが伝わってきているかのようだ。
「さんぞ」
「あ?」
「とっても気持ちいい」
心底気持ちよさそうに呟く小猿の言葉に返事を返さず、三蔵は黙ったままそうして悟空に優しい力を送り続けてくれた。 手のひらひとつで自分の痛みを和らげてくれた三蔵を、悟空は何か魔法でも使ったのではないか、とずっと思っていた。それから数年して知り合った八戒に、『気』の仕組みを教えられ
「人間の手のひらには物凄いパワーが集まるといいますからね。三蔵は最高僧ですし、常人よりもそういうパワーが強いのかもしれませんね」
などとも言われたが、むしろ悟空を納得させたのは、寺院内での彼の数少ない『友達』の年老いた大僧正の一言だった。
「それは三蔵殿の、おまえさんを案じ、思いやる気持ちが、おまえさんの心と身体に伝わったからじゃろう」
相手を愛し、思いやる気持ち。少しでも苦しみを癒してあげたいと願う気持ちが、痛む身体も不安な心も癒してくれたのだと。
悟空自身には経験のない事だったが、転んでコブをつくった子供が泣きながら母親の元に駆け寄り、その優しい手でその傷を擦ってもらっただけで痛みが和らぐように感じる……。それに近い感覚なのかもしれない。
もしかしたら、幼い日の三蔵も誰かにこうして優しい手のひらのぬくもりをもらっていたのではないだろうか。
それからも、例えば珍しく悟空が風邪で寝込んで、布団の中でぜぃぜぃ言ってた時。深夜山詰みの公務の合い間を抜けて、悟空の様子を看にきた三蔵が、小猿は眠っているものだとばかり思って、そっと禁鈷の上に手を置いてくれた。
本当はこういう時は、額に手を置いてくれるのだろうが―――生憎悟空の額は妖力制御装置の禁鈷に隠されている―――それでも、金属を通してさえ三蔵の手のひらのぬくもりが伝わってくるようで、それだけで頭痛が少し治まった気がするし、何より傍に自分の事を心配してくれる人がいるんだ、と安心できて、慣れない病による気弱もどこかに飛んでいってしまった。
そして同じように三蔵が床に伏せた時などは、三蔵大事のお猿がそれこそ手のひらどころか、身体全体ぴったり張り付いて添い寝をすると。初めは猿の添い寝を頑なに拒んでいた三蔵だが、しつこくしぶとく布団の中に潜り込むペットにいい加減諦めの境地に至ったらしい。そしてふと悟空が気が付けば、あの三蔵が穏やかな寝息をたてて悟空に身体を預けてくれている。
自分が三蔵を愛し、慈しむ心。三蔵が自分を案じ、想ってくれる心(と、言っても三蔵はそれを認めようとはしないが)。それが互いのぬくもりを通して、相手の傷ついた体や心を癒す力を生み出すのだと。悟空は、固く信じている。
以来こうして三蔵が身体を痛めた時や、疲れで身体の凝りが酷い時などは、悟空がさり気ない振りを装って、こうして患部をゆるゆると擦ってあげるのが習慣となった。
人に触れられる事を厭う三蔵も、マッサージ師の手よりも、悟空の手のひらのぬくもりを好んでいるようだ。……口にも顔にも、決して出さないが。
悟空の大きな手のひらが、優しく三蔵の肩を擦り続ける。その心地よさに、三蔵はつい眠りに引き込まれそうになってしまう。
「さんぞ、眠い?」
「……ん」
「ベッド、行く?」
しかしその問いに応える事なく、三蔵はうつらうつらと舟を漕ぎ始める。ここ数日の強行軍と刺客との争いで、流石の三蔵も疲れ切っていたのだろう。悟空は三蔵の肩に置いた手をそっと三蔵の背に回すと、もう片方の手で膝の裏を掬い上げる。
「……猿」
「ベッドに運ぶだけだよ?」
お姫さま抱っこというのが不満らしく、眠たそうな声で少し愚図る三蔵を、悟空はまるで子供をあやすように優しく説き伏せる。それがまた三蔵には癪に障るらしいが、しかし襲い掛かる睡魔には勝てないらしく、小さく舌打ちするとそのまま悟空の首に腕を回し、その肩口に顔を埋める。
半分夢の中の住人と化している三蔵を、そっとシーツの上に横たわらせると、悟空は愛する人を起こさないように細心の注意を払いながら、柔らかな黄金の髪にそっと触れる。
さらさらと流れるような金糸が、手のひらに心地良くて。悟空はゆっくりと愛しむように、三蔵の髪を梳く。
無防備な三蔵の身体に触れて、今こうして最愛の人の寝顔を目の当たりにして。不思議なくらい、穏やかな気持ちでいる自分。
『そんな美味しい状態で、食っちまわないなんて、男じゃねぇ!』
と、エロ河童ならきっと言うに違いない。でも今はこれで充分幸せだから。
疲れた三蔵が、自分に全てを預けてくれる。こんな無防備な寝顔を、見せてくれる。もしも三蔵が許してくれたのなら、勿論躊躇はしないけれど。
「でも疲れて具合の悪い三蔵に手ぇ出すなんて、それこそ男のする事じゃねーよな」
今三蔵が自分に求めているものが、穏やかなぬくもりと優しい指先ならば。このままそっと抱き締めて、ゆっくりと眠らせてあげたい。明日になれば、きっとまた硝煙の匂いが三蔵を待っているだろうから。せめて、今だけは……。
「さんぞ、愛してる」
薄っすらと開いて静かな寝息をたてている、最愛の人の薄紅色の唇にそっとくちづける。
触れるだけの、優しい、優しいくちづけ。
そんな悟空のあたたかな想いに応えるかのように、愛する人の柔らかな頬に触れた悟空の大きな手のひらに、寝返りを打った三蔵がそっと愛しげにその白い頬を擦り寄せた。
おわり