ベイビーセンセーション(同人誌「ベイビーセンセーション」掲載)
「さ、さんぞ?」
日頃から決して目つきの良いとはいえない三蔵の、紫暗の瞳に宿る不機嫌度が四割増しのするどい眼差しに、悟空は情けなくも腰が引けてしまった。
誰よりも愛する大切な大切な三蔵と結ばれてから、まだ一週間。まさに蜜月らぶらぶ期間のこの時に、何故に最愛の人からこんな剣呑な眼差しを頂戴しなくては、ならないのか?確かに初めての日は、優しくしようとは思いながらも歯止めが効かなくて、翌日腰は立たない、身体中が痛い、喉はガラガラの三蔵に散々怒られたりはしたが。
それでも悟空だけに判るくらい微かに、幸せそうな、どこか照れたような笑みを口元に浮かべてくれたのに。そして本日も、確かに折角の休日に悟浄・八戒の二人組が「近くまで来たので、顔を見にきました」などと、新婚生活(?)を邪魔しに来たのかっ? と言いたくなるようなタイミングで遊びにきていたりもしているのだが。
だけどそれは悟空の責任じゃない。
昨日は優しく、優しく、蕩けるように三蔵を愛してあげたのに。三蔵だって昨夜は特別素直で、今朝だって寝起きにその華奢な身体を無意識に悟空に摺り寄せてくれた。目が覚めてからも、情事後のけだるい身体をゆっくりと手のひらで擦ってあげたら、とても気持ちよさそうに身体を預けてくれたのに―――。
昼前にひょっこりお邪魔虫が参上してから暫くして、みるみるうちに三蔵の機嫌が急降下した。綺麗な眉を厳しく顰めて、悟空を射る瞳は恐ろしいまでに怒りの色を滲ませている。あきらかにその怒りの矛先は悟空に向けられているが、悲しいかな、悟空には全く身に覚えがない。
(俺、さんぞーを怒らせる事したかよぉぉぉ)
そんな悟空の心の叫びなど、三蔵には全く届かない。それどころか、あきらかに愛する人の瞳は悟空を責めているのだ。その事実にとうとう悟空は居た堪れなくなり、尻尾と耳を垂れてふみゃー、と泣き出した。
「さんぞぉぉぉ、何でそんなおっかない目で、俺の事見んだよぉぉぉ。俺、なんもしてねえのにぃぃぃ」
「……何も、してねぇ、だと?」
三蔵の低い、よく通る声が嫌味交じりに一言、一言、区切りながら悟空に問い返す。哀れなお猿はコクコクと頷きながら、三蔵の法衣の端を掴もうと手を伸ばす。しかし、その手は無常にもパシッという音と共に三蔵の白い手に弾かれる。
「さんぞぉぉぉっ」
「触んじゃねーよ、この馬鹿猿」
「何でだよぉぉぉ」
大きな金瞳から滝のような涙をダーッと流して、えぐえぐと泣きじゃくる小猿を哀れに思ったのは黄金の飼い主ではなく、たった今までその存在を忘れられていた、お邪魔虫ふたり組。
「まあ、まあ三蔵。そんな訳も判らず怒ったら、悟空が可哀想でしょ?」
「そうそう、いっくらお猿との甘―い休日を俺達に邪魔されたからって、何も猿に当たる事は……うわぁ―――っ」
悟浄の悲鳴と同時に、三蔵愛用のS&Wが火を噴く。
「ちっ、外れたか」
「てめっ、マジ狙いやがったなっ? この鬼畜生臭坊主っ!」
トレードマークの前髪数本を弾丸で吹き飛ばされた悟浄が、顔面蒼白で美貌の最高僧に詰め寄るのを、八戒が馬を宥めるかのように「どう、どう」と言いながら間に入る。
「殺されたくなかったら、ざけた事抜かすんじゃねーよ。このエロ河童」
「ンだとぉぉ! この色気過剰のホイホイ坊主!」
「何ですか、悟浄。それは? ホイホイって『ゴキブリホイホイ』の事ですか?」
「そこにいるだけで、男も女もふらふらーと三蔵サマに引っ掛かるだろーが」
「ああ、なる程。言い得て妙、ですね」
左拳を右の手のひらで、ぽんっと打って素直に納得する八戒に、三蔵の形のよい眉がぎりぎりっと吊り上る。
「納得するんじゃねえ、八戒! それなら、猿の方がよっぽど……」
声を荒げてそこまで叫んだ三蔵が、「しまった」という顔をして慌てて口を噤む。
「……さんぞ?」
蚊帳の外に出されてしまった悟空が、おずおずと三蔵を見上げる。そんなペットからぷぃっと顔を背けると、小猿の望月の瞳から再び体内中の水分が涙となって、ドボーっと溢れ出る。
「ああ、悟空。そんなに泣いたら身体中の水分が本当になくなって、干からびちゃいますよ。三蔵も、なにが『悟空の方がよっぽど』なんですか?」
「うるせぇ! てめーらには関係ねえ!」
「確かにふたりの間の事に口を挟む気はありませんが。せーっかく遊びにきたのに痴話喧嘩に巻き込まれた可哀想な僕達ですよ? 聞く権利は、あると思うんですけどね。三蔵?」
にーっこり、と人好きのする笑みを浮かべた八戒を、だかしかし、三蔵の本能は『危険』信号を発して警戒を呼びかける。この笑顔が怖い青年が只者ではない事は、三蔵もこの二年の付き合いの中で充分体験してきた。このような笑顔を浮かべて、しかし瞳が笑っていない八戒、というのは実は要危険なのだ。
他人の思惑通りに動く事程三蔵が嫌うものはないが、この場合は相手が悪いと三蔵も不本意ながらも、心の中で認めざるを得ない。不機嫌度を更に上昇させた三蔵は、肉厚の官能的な唇をへの字に歪めると、鋭い紫暗の瞳で、溢れ出た涙で顔をぐちゃぐちゃにした自分の猿を忌々し気に射る。
「……猿」
「な、なに、さんぞ?」
「……てめぇ、何憑けてやがる」
「は?」
三蔵の言葉が理解出来ず、お猿は泣き腫らして真っ赤になったマヌケ顔を飼い主にぽかーん、とさらす。そんな頭の回転の悪いペットに余計苛立ちを募らせた三蔵は、目にも止まらぬ早業でどこからともなく取り出したハリセンを悟空の脳天に炸裂させる。
すぱぱぱぱ―――ん
「いってーよぉぉ!」
「このウスラ馬鹿猿! てめーの肩に憑いてるガキの霊魂は、何だって聞いてんだろーがっ!」
三蔵の口から、思いもかけない言葉が飛び出した瞬間。悟空、悟浄、八戒の三人組は、カチ―ン、という音と共に完全に凍り付いてしまった。その瞳を同様に、大きく見開いたまま。
「お、俺、身に覚えねぇよっ」
年よりも幼げな顔を、青くしたり赤くしたりと忙しい小猿は、それでも最愛の恋人の法衣の袖をしっかと握り締めて切々と訴えるが、金糸の髪も眩しい最高僧はそんなペットの手を容赦なくぺちっと叩き払う。
「だが、その赤ん坊の霊魂は、てめーの事を父親だと言っている」
うぅぅ、と口をへの字に曲げて唸るお猿に、八戒も悟浄も意外そうな顔をしながらも、しっかりツッコミを入れる事は忘れない。
「悟空、一体いつの間に」
「おい、お猿ちゃん。三蔵サマに手ぇ出す前に浮気してたっつ―の? スミに置けな……うわっ!!」
視線はそっぽを向いたまま、それでもしっかり悟浄に向けられた銃口は、ギリギリエロ河童の頬を掠って、壁に無残な傷跡を残す。
「貴方も、たいがい懲りない人ですね、悟浄」
同情のカケラもない口調で、それでも八戒はポケットからハンカチを取り出すと、悟浄の頬の滲んだ血をいささか乱暴に拭き取ってやる。
「さんぞ、ほんとに俺、さんぞー以外のヤツなんか、抱いてねえよっ! 俺、さんぞーしか欲しくないもんっ!」
「うるせぇ! くだらねー事べらべら喋るんじゃねーっ!」
思わず頬を赤らめて照れ隠しに、激した猿の頭をハリセンでぺちぺち叩く三蔵だが、それで黙る悟空ではない。
「くだらなくなんか、ねーよ! 俺のさんぞーへの愛情が疑われてんだもん! 俺知らねーもん! 本当に知らねーっ! ぜってー、知らねーもんっ!」
大きな瞳を悔し涙で、うるうると潤ませて叫ぶ悟空に、流石の三蔵も言葉に詰まった。面白半分に傍観していた八戒も、いかにも、といった顔で頷いてみせる。
「……そうですよねぇ。これが悟浄、というなら判りますが。悟空、というのは納得いきませんよね」
「おい、八戒サン……」
悟空の浮気疑惑の矛先が何故自分に向くのか、と問いたいのは山々だが、返ってくる返事が判りきっているだけに、何も言えずに悟浄は部屋の片隅で膝を抱えて座り込む。
「兎に角、その子から詳しい話を聞く事が出来ませんか、三蔵?」
「断る」
「おい、三蔵サマ。ンな即答しなくても」
瞬時の間も置かずに、きっぱりと切って捨てるように言う最高僧に、イジケモードが入っていた悟浄も呆れて口を挟む。「ンなガキとは口もききたくねえ」
「とは言っても、僕達には霊感がありませんから、三蔵が間に入ってくれない事には、その子から話を聞く事も出来ませんよ? 三蔵だって、悟空の潔白を内心では信じているんでしょ?」
「……猿の潔白なんて、俺には関係ねぇ」
「さんぞおぉぉぉ―――っ」
一瞬口ごもりながらも、仏頂面で吐き捨てるような三蔵の返答に、悟空は目の幅で涙をだーだー流して、その顔はすっかりぱんぱんに腫れ上がってしまっている。はっきり言って、かなり情けない顔だ。そんなペット兼養い子兼恋人の、あまりに無様かつ、哀れを誘う姿に、さしもの三蔵の心も僅かばかり動いたらしい。不機嫌そうな表情を変えないまま、それでもひとつの提案をした。
「……じゃ、てめーらが直接そのガキと話が出来るようにすれば、いいんだろーが」
「出来るんですか、三蔵?」
「……面倒くせぇが」
武術も法力も人並み外れて優れた最高僧は、それでも必要最低限以上に動く事を、何よりも厭うのだ。しかし今回は、嫌だ嫌だ、と駄々をこねる訳にもいかないようだ。
剣呑な光を宿した紫暗の瞳を、部屋の片隅で蹲ったままの悟浄に向けて、尊大に言い放つ。
「おい、悟浄。てめー、依代になれ」
「は?」
日常的に使われる事のないその用語に、悟浄がぽかん、と口を開けて問い返す。依代―――つまり、この赤子の霊に己の身体を貸せと、この生臭坊主はそう言っているのだろうか?
「そのガキと直接話ができれば、いーんだろーが。てめーを依代にして、てめーの口をあのガキに貸してやるんだよ」
「お、おい、何で俺なんだよ」
「あのガキは妖怪を依代に出来る程、霊力が強くねぇ。悟空や八戒の中に入ろうとしても弾き飛ばされちまうだろう」
「ああ、悟浄なら半分人間だから。よかったですね、悟浄。人様のお役に立てますよ」
「……それって褒めてる訳?」
「ガタガタ抜かしてんじゃねーよ、この河童っ!」
「悟浄」
「悟浄っ!」
「……俺の身体乗っ取られたら、誰か責任取ってね」
詰め寄る三人の剣幕に圧された河童は、天井を見上げてポツン、と呟くが。そんな悟浄の切実な願いに耳を貸す者は、残念ながらここにはいなかった。
この赤子はまだ母親の胎内にいる時、盗賊の手によって母親が殺され、自身もこの世に生まれ出る事なく闇に消えていった。父親もまた、その時に母親を庇って死んだらしい。四、五年程前の話だ。
「四、五年前というと、悟空が十二、三歳の頃ですよねぇ。悟浄ならいざ知らず、やはり悟空が父親というのは考えにくいですよね」
「そ、そうだろ? 俺、違うもんっ!」
「喧しい!」
「「……はーい」」
言葉を知る事なく闇の世界に消えていった魂は、自分の中の記憶とイメージを悟浄の脳裏に送り込む。そして、それを受けた悟浄がみんなにそれを説明する、という訳だが。
「一層の事あの子が言葉を話せたら、悟浄の口から赤ちゃん言葉が聞けて、面白かったんですけどねぇ」
二年来の相方兼同居人の「ばぶばぶ言葉」を聞けないのが、心底残念といった八戒の呟きに、悟浄はガックリと肩を落として項垂れる。しかしそんな悟浄の気持ちを余所に、幼子は次から次へと自分の記憶を、依代に伝えていく。
この世に生を受ける事なく消えていった哀れなこの赤子は、父と母の魂からはぐれてしまったのだ。そして自分ひとりでは浄土に行く道すら判らず、この数年、現し世を途方に暮れて彷徨っていた。
「……ま、そんな時たまたまこのガキの横を、俺が通ったというらしーんだな、これが」
そして、そのまま悟浄に憑いてしまったという。
「なんで、悟浄に?」
「ンなもん、俺が知る訳ねーだろーが」
「波長が、合ったんだろう」
「波長?」
「そのガキは、生まれていれば女だった魂だ」
「あ、なるほど」
そしてそのまま悟浄と共にこの寺院に着て、より高い霊力をもつ三蔵に惹かれた。しかし三蔵に憑く事はせずに、彼の心に共鳴してしまったのだ。
「三蔵の心に、共鳴?」
「ああ、この子の母親が夫に向ける気持ちと、三蔵サマが猿に向ける気持ちが同じだったっつー訳だな」
自分がお腹の中にいた時、お母さんの想いがいつも伝わってきた。
誰よりも、お父さんを愛していたお母さん。彼女は心の中で、夫にいつもこう言っていた。
『貴方は、私の太陽よ』
「太陽?」
八戒が小首を傾げて、悟空を見る。子猿も幼子の予想外の言葉に、泣き過ぎて真っ赤に充血した目をパチパチさせる。「それって、さんぞーの事だろ? さんぞーは、俺の太陽なんだから」
五行山で初めて出逢った時、ずっと焦がれていた『太陽』が人の姿をして現れたのだと、本気で思った。金色の髪も、白い肌も、そして、その魂も。何もかもが眩しくて。以来悟空にとって、三蔵はキラキラ輝く『太陽』そのものだった。
「だったら、『父親』は悟空じゃなくて、三蔵という事になりませんか?」
「だーかーら、このガキは『三蔵の想い』に共鳴したんだよ」
三蔵自身の霊力の強さ故に彼に惹かれたこの小さな魂は、三蔵の心の中に己の母親の想いと同じものを見出した。自分の母が父を愛し、想った心と同じものを。そしてその想いが向けらていた相手が、悟空だったのだ。
父と母の魂を見失った赤子は、母と同じ想いを持つ三蔵を自分の『母』と認識してしまったのだ。そしてその想いを受け取る相手こそ、自分の『父親』だと。まだ見ぬ『父親』に会えたのが嬉しくて、この幼子が悟空の背後にぴたっと張り着いていた所を、三蔵に目撃されたという訳なのだが……。
「まあ、このガキが言うには親父ってのは年下のオトコってヤツでだったみたいだな」
「ああ、三蔵と悟空の関係と同じですね」
なるほど、と八戒が頷く。
「ンで、この旦那ってのがすっげー愛妻家で、メロメロに奥さんを愛しちゃってたそーで」
「そこんとこも、ふたりとピッタリですね」
「そうそう。……でな」
そこで勿体ぶって一度言葉をきった悟浄が、悟空と三蔵の存在を無視して勝手に話が進められていくことに、不愉快気に顔を顰めている麗しの最高僧を振り返って、にやり、と口の端を引き上げた。
「この奥さんってのが、誰かさんみたく素直じゃねー性格だったらしいんだが、いっつも心ン中でこう思ってたそーなんだわ」
「なんですか、悟浄?」
年下で一見頼りなさそうに見える夫だけど、本当は誰よりも強くて優しく心の大きな人。
彼が傍にいるだけで、それだけで心が安らいだ。満たされた。自分の頬をそっと包む大きな手のひらの感触が、心地良くて。あたたかい肌のぬくもりが、とても恋しかった。素直に『愛している』とは言えないけれど。
だけど、心から愛してる。必要としている。いつまでも一緒にいたい。
これからも、ずっとずっと傍にいて欲しい―――。
「なっ!!」
悟浄の口から出てきた言葉に、三蔵が思わず叫びかける。
「それって、悟浄。つまりは、三蔵も悟空に対していつも心の中でそーゆー風に思っている、という事なんですね」
「そーゆー事じゃない?」
「てめっ、何いい加減な事ぬかしてやがるっ!」
「俺が言ったんじゃねーって。このガキが、そー言ってんだからさ」
「……さんぞ」
羞恥で頭に血が昇った三蔵の耳に、ふいに届いた悟空の声。はっ、と振り返った三蔵の紫暗の瞳に映ったものは、すっかりその存在を忘れていたが、感激のあまり大きな金色の瞳を零れんばかりに見開いて、ふるふると身体を震わせる一匹の小猿。
ヤバイ、と思った時はすでに遅い。
「さんぞ―――っ!」
そう叫んだかと思う間もなく、悟空は三蔵の華奢な身体をいきなり押し倒して、その上に圧し掛かってきた。固い床に勢いよく倒されたにも関わらず思ったよりも衝撃が少ないのは、常に三蔵の身を第一に考える悟空の愛の賜物か。
よもや人目のある所で押し倒されるとは夢にも思わなかった三蔵は、現実逃避にそんな事をぼんやりと考えるが。悟空はそんな愛する人を己の腕にしっかと抱き締めると、極上の笑顔を浮かべて三蔵の白く滑らかな頬に、すりすりと自分の頬を寄せる。
「俺、嬉しい! さんぞ、俺の事そんなに愛してくれてたんだねっ!」
「ンな訳ねえだろうが、この馬鹿猿っ!」
頬から首筋から、耳まで。およそ目につく所全てを真っ赤に染めて叫ぶ三蔵の声は、悲しいかな、浮かれまくって天に昇ってしまったお猿の耳には、これっぽっちも届かない。
一応、それなりに愛されているとは思っていたけど。だからこそ、その身体を許してくれたのだとは思っていたけど。
でも、でも。自分が傍にいると、安心して心が満たされるなんて。これからも、ずっと傍にいて欲しいなんて。三蔵がそんな風に自分の事を想っていてくれたなんて。
「も、も、俺、すっげー幸せっ! ずっとさんぞの傍にいるからな。ぜってー離れないから、安心していいよっ!」
「だから、猿! 人の話を聞け!」
あくまでも己の心を認めようはせずに足掻く三蔵に、八戒がにこやかにとどめを刺す。
「でもこの子の母親が父親に向ける想いと、あなたが悟空に向ける想いが同じだからこそ、この子は悟空を『父親』と勘違いしたんでしょ?」
「そうそう、これで猿の浮気疑惑も晴れた訳だし。いーじゃん、三蔵サマ?」
「てめー等、勝手な事ほざいてんじゃ……、あっ、やめ、ごくうっ!」
のん気にふざけた事をのたまう二人組に、きつい視線を送ろうとした三蔵は、法衣の裾を割って侵入してきた悟空の手に、思わず甲高い悲鳴を上げた。ジーンズ越しにゆっくりと三蔵の下肢を撫でながら、残る片手で腰紐をするり、と解く。何とか悟空を止めようと、小猿の身体の下でもがく三蔵の抵抗など、無にも等しい。
おそろしい程手際よく三蔵の法衣を剥いていく悟空に、ある種の感動を覚えながら、八戒はいきなり目の前で展開されようとしている、三蔵と悟空の情事に固まりかけている悟浄に、そっと声をかけた。
「……悟浄。僕達お邪魔みいたいですから、席外しましょうか?」
「だな、……って、このガキどーすんだよっ? 三蔵に祓ってもらわねーと」
「でもそんな余裕ないみたいですよ、三蔵」
「やっ、ごくっ! 八戒達が、いる…・・・あぁっ!」
せめてギャラリーの前での行為だけでも、何とか阻止しようと足掻く三蔵だが。すっかりアンダーシャツを脱がされて、悟空に白い首筋を痛い程きつく吸われ、その刺激に大きく上半身を仰け反らせて、制止の声は悲鳴に変る。
「お、おい、猿。お楽しみの最中、申し訳ねーんだが。先にこのガキを三蔵に何とかしてもらえないかなー、なんて」
「うるさいっ! 悟浄、邪魔! その子、女の子なんだろっ? しばらく一緒にいればいいじゃん。俺、今忙しいのっ!」
「……おい、ごく……」
常にない強気の悟空の目は、すでに欲情して三蔵しか映さない。ヘタに中断させて三蔵から引き離そうものなら、金鈷外れモードで半殺しの目に合うかもしれない……。
そんな悟浄の心のうちを見抜いたように、八戒がぽん、と悟浄の肩を叩いて、今しがた思っていた事と同じ事を告げてくる。
「悟浄、諦めた方がいいですよ。ここで邪魔したら、ホントに悟空に殺されちゃいますよ。ひとまずは、帰りましょうか?」
「って、八戒サン……」
「それとも、ここでデバガメする気ですか? 僕は止めませんけど、そうなると今度は後で三蔵に殺されますよ」
「……」
確かに悟空との関係を知っているというだけで、いつ命の危険に晒されても可笑しくはない自分の立場だ。ここでふたりの情事を目撃したら、確実に明日の朝日は拝めまい。
「……おい猿、せめて明日三蔵が起き上がれる程度に、しといてくれよ」
三蔵の白い胸に咲いた、ピンクの小さな突起を愛しげに指のひらで愛撫する悟空の耳には、そんな哀れな悟浄の声も、「頑張ってくださいね」とエールを送って、悟浄を連れて部屋から出て行った八戒達の遠ざかる足音も届きはしない。ただ聞こえるのは、鼓膜を揺する愛しい人の甘い声だけ。
「さんぞ、いっぱい、いっぱい愛してあげるね」
「いらん、この手を離……やぁっ」
ゆるゆると、下肢の熱に愛撫を加える悟空の手に、三蔵は早くも息を乱して、金色の髪をぱさぱさと音をたてさせて、緩く頭を振る。
「照れなくても、いいって。だって俺、さんぞに愛されてんだもんね」
「ば……か」
耳元でそっと囁く悟空の声に、ぶるり、と身体を震わせて、三蔵は吐息交じりに小猿に悪態をつく。そんな愛する人を愛しげに見下ろして、悟空はそっと三蔵の前髪をかき上げた。
「馬鹿でも、いいよ。ずーっと三蔵の傍にいるからね。これからも、死ぬまで。死んでも、傍にいるからね」
自分という存在が、この常に神経を張り詰めて生きている人の、少しでも安らぎの場になれるのなら。未だに過去の傷跡から血を流している、この誰よりも強くて、そして脆い魂の癒しとなる事ができるのなら。
絶対に離れない。そして何よりも、自分がこの黄金の魂の傍らで生きる事を、望んでいるから。
そんなありったけの想いを込めて、悟空は三蔵の白い額に刻まれた紅い刻印に唇を寄せて囁いた。
「あいしてる」
「……ん」
額に触れる唇の優しさに、つい三蔵はこくり、と小さく頷いてしまう。そんな三蔵の仕草にたまらない程の愛しさを覚えた悟空は、無数の小さなキスを三蔵の白い頬に降らせると、ゆっくりと三蔵の肌を暴いていった……。
翌日歯止めの利かなかった悟空のおかげで、すっかりベッドの上の住人と化した三蔵と、そんな愛しい恋人の世話を、相好を崩していそいそとやくお猿の幸福の陰に、当分赤子の霊と仲良くする事を余儀なくされた悟浄の存在があった事は……。
何だかんだといって、幸せなこのふたりの脳裏からは、完全に抹消されていた……とか。
おわり