ぬくもり
普段は寝相が悪い事この上ない悟空が、三蔵とひとつの布団で眠る時だけは大人しい。
・・・と言うか、三蔵を背後から抱き枕のようにしっかりと抱きしめて、決して離そうとしない。
「だってさー、さんぞー抱きしめていると、すっげー安心するし。それにこうしていれば、俺が寝ている間にさんぞーどっかに行ったりしねーから」
いつだったか、悟空が抱きしめた三蔵の髪に顔を埋めながら、そう言ったことがあった。
人に触れられる事を極度に嫌悪する三蔵が、悟空のぬくもりを心地よいと感じるようになったのは、いつからなのか。 人の肌が、こんなにも温かいという事を忘れてから・・・もうどの位たったのだろう。
「年末年始の法要なんて、面倒なだけですものね」
その大切な年越しの法要をすっぽかした最高僧は、養い子に肩を揉んでもらいながら、気持ちよさそうに呟いた。
「本当は、江流と温泉にでも行きたかったんですけどねぇ」
「お師匠様、たしか成道会(じょうどうえ)の時も同じ事仰ってましたよ」
「おや、そうでしたか?」
そう言えば、あの時は替え玉を置くと言って江流に叱られましたしたっけ。
のんびりと、穏やかな口調で独り言のように言う師匠に、江流は口元を綻ばす。 三蔵法師という僧侶としては最高位にありながら、決して型にはまらず常に自然態で生きている、江流の誰よりも敬愛する師。
あの時も光明三蔵は、替え玉に三蔵法師の法衣を着せて金冠を被らせれば「後ろ姿で遠目なら、別人だなんてわかりませんよ」などど、僧侶達が聞いたら卒倒間違い無しの問題発言を、そっと江流に耳打ちしたが可愛い養い子のお叱りを受けて、しぶしぶと法要の席へと消えて行ったのだ。
本当は、とても嬉しかった。お師匠様が「ふたりで、そっとお寺を脱け出しましょうか」なんて、少し悪戯っ子のような表情を浮かべて言ってくださったのが・・・。最高僧であるこの方が、敬虔な信者達に敬われるよりも自分と一緒にいたいとまるで駄々っ子のように、言ってくださったのが・・・。
けれど素直になれなかったのは、意地っ張りで実は照れ性な自分の性格ゆえ。
「この所忙しくて、江流とゆっくり話す時間もないんですから・・・。三蔵法師というのも、不自由なものですねぇ」
光明三蔵は、自分の肩に置かれた江流の手を優しくはずすと、身体を横にして、正座した小さな膝の上に自分の頭をそっと置いた。
「お、お師匠様っ!」
自分の膝を枕にする師匠に動揺する養い子に、光明三蔵は静かに呟いた。
「もう少ししたら、誰かが私を捕まえにくるでしょうからね。それまでは、あなたの膝を貸してくださいね、江流」
着物を通して伝わる、師のぬくもり。それは、まるで日溜りのような優しさだと、江流は思う。
他人との接触が苦手な自分が、唯一心地よいと感じるおだやかなぬくもり。頑なな自分をすっぽりと包み込む、春の日差しのようなあたたかさ。
「江流」
「・・・はい、お師匠様」
「いつか、ふたりでゆっくりと温泉行きましょうね」
それくらいの我侭は、聞いてくださいね。除夜の鐘を遠くに聞きながら、江流は師匠の言葉に小さく頷いた。
師匠を喪ってから、一層他人のぬくもりを嫌悪した自分。二度と、他人と触れ合う事などないと思っていた。
ただ・・・悟空は太陽の匂いがした。惜しみなく自分を包み込み、ぬくもりを与え、命のあたたかさを感じさせる。それはどこか、自分を慈しみ見守ってくれた、亡き師を思い出させる。
こんな馬鹿猿を、お師匠様と一緒にできるか 自分を背中から包み込む悟空の体温に、心地よくまどろみながら三蔵は心の中で悪態をつく。
お互いが必要としているから。こんなにも、ぬくもりが愛しいのだと。こんなにも、安心できるのだと。
あの頃たったひとりの存在を求めたように、いま自分を包むこの存在を求めている。 三蔵は決して認めようとは、しないけれど。
(ふん、冬の間は寒ぃからな。湯たんぽ代りだよ)
自分にそう言い訳をしながら三蔵は、ゆっくりと訪れる眠りに全てを委ねた。あたたかい人肌と、とくとくと伝わる悟空の鼓動を全身で感じながら。
おわり