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初めての雪

「さんぞー、さんぞー!!」

暖房のきいた三蔵の執務室のソファーの上で、ごろごろと惰眠をむさぼっていたはずの悟空が、いつの間にか起き出して窓にへばりついていた。

「なあ、さんぞーってばっ!」

「うるせぇ、猿!!静かにしねぇなら、この部屋から出ていけっ!」

いつまでたっても、どれだけ徹夜で仕事をしても、なぜかまったく減らない卓上の書類の山に、美貌の最高僧はすこぶる機嫌が悪い。

いくら最高僧だからって、なんでもかんでも俺におしつけるんじゃねぇっ!!と、どれだけ三蔵が叫んだところで、普段は彼にぺこぺこしている僧侶達もそういう時だけは『柳に風』とばかりに、この年若い最高僧の声を無視する事に決め込んでいる。そしてさらに腹の立つ事に、故あって手許に置いている、「さんぞー」、もしくは「腹減った」しかボギャブラリーがないのでは?と疑いたくなるほどの脳みそ軽量のペットが、明けても暮れても三蔵に纏わりついてまったく仕事がはかどらない。ストレスが溜まって、一日に吸う煙草の量も増える一方。

今日も朝から三蔵の執務室に入り浸っては、仕事の邪魔をしてハリセンを何発も食らっていた悟空だが、やがて室内の暖かさに寝付いてしまい、これで静かになったと、ほっとため息をついたのもつかの間・・・。

「だってさー、ほら、あれっ!!」

僧侶達を縮み上がらせる三蔵の怒声も、小猿にはまったく効き目がないようで、悟空は三蔵の法衣の袖をぐいっと掴むと、窓の外を指差して愛する飼い主の意識を向けようとするが。

すぱん、すぱーんっ!!

「いってえっ!俺なんにもしてねえのに・・・」

綺麗に頭上にきまったハリセンに、悟空は大きな金色の瞳に涙を浮かべながらも、それでも、片手はしっかりと三蔵の法衣の裾を離さない。

「俺の仕事の邪魔をした上、人の着ているモン引っ張りやがって何もしてねえだとっ!?」

「だって、あれ・・・」

なおもしぶとく指差す方に、思わず三蔵が視線を向けてみると・・・。

「なんだ、雪か・・・」

三蔵の部屋から見下ろす事のできる中庭は、いつの間にか降り始めた今年一番の雪で、白く覆われつつあった。ここ二、三日急に冷え込むようになったと思ったら・・・。

少し眩しげに雪をみつめる三蔵の袖を、悟空がくいっと引いた。

「てめぇ!人の法衣を引っ張るなと・・・」

「『雪』?さんぞー、あれが『雪』なのか?」

「・・・なんだ、雪を見るのは初めてか?」

「・・・うん。つーか記憶にある限りでは。五行山には雪なんて降んなかったし」

悟空を拾ってこの寺院に連れてきてからのこの数年、長安は暖冬続きで雪は降らなかった。

「へー、これが『雪』なんだー」

三蔵の法衣の裾の握り締めたまま、悟空はうっとりと窓の外に白く降り積もる雪を眺める。

「なぁ、さんぞー。もっと近くでみてーよ。外、行ってもいいか?」

天気の悪い日に外で遊ぶ事を禁じられている小猿は、おずおずと飼い主の許可を求める。

「雪で着ているモンを、びしょびしょにしなけりゃな」

「うんっ!!」

悟空は、大きく頷くと一目散に部屋を飛び出して行く。

「・・・ふん、ガキだな」

三蔵はぽつりと呟くと、卓上の煙草に手を伸ばした。

 

 

仕事が一段落して、ほっと息をついた三蔵は、そこで初めて悟空が部屋に戻ってきていない事に気づいた。

雪遊びに夢中になって、時がたつのも忘れているのだろうか。しかし、普段ならそれでも夕飯の時間には、腹時計が知らせるのかきちんと帰ってくるはずなのに。

「ちっ、馬鹿猿が。手間かけさせやがって」

放っておこうかとも思ったが、悟空の『声』が聞こえる。

なに、ンな惨めったらしい声で呼ぶんだよ。

しぶしぶと、三蔵は腰を上げる。なにが悲しくてこんな雪の中、野外に出なければならないのか・・・。悟空が呼ぶ声をいつも無視できない自分の甘さを呪いながら、三蔵はペットを連れ戻しに暖かい部屋をでようとした時。

「しゃんじょー・・・」

頭からつま先まで雪でぐっしょりと濡れた上、顔まで涙でぐしょぐしょにした小猿が、がたがたと震えながら扉の外に立っていた。唇も真っ青で、歯をがちがちさせている。

「この、馬鹿猿!ンなになるまで雪ン中にいんじゃねーよっ!」

飼い猿のあまりの姿に驚いた三蔵は、ぐいっと悟空の腕を掴むとずかずかと部屋を横切り、備え付けのシャワールームに押し込めた。本当は風呂の方が暖まるのだが、寺院の規則でこの時間風呂は沸かしていない。

「いいか、温まるまで出てくんじゃねーぞ」

まったく、俺に世話かけさせるんじゃねーとあれほど言ってんだろーが、と心の中で悪態をつきながらも、震えながら無言で頷く悟空のために厨房へと赴いた。

 

「ほら、飲め」

熱いシャワーを浴びて身体から湯気を出している悟空に、三蔵は厨房で用意させた熱いミルクを手渡す。

「しゃんじょー」

「人の名前をヘンな風に、呼ぶんじゃねえよっ!」

「じゃってー・・・」

・・・だってー、と言いたいのだろうが、シャワーでは冷えた身体は完全には温まってはいないようだ。まだ、舌が凍り付いているらしい。

(ほんと、馬鹿猿だな)

三蔵がため息をつきながら、ふっとそんな事を考えていると突然なにを思ったのか、手渡されたマグカップを机の上に置いた悟空がいきなり三蔵の腕を掴んで、ぐいっと自分に引き寄せた。

「てめっ、なにしやが・・・っ」

三蔵の怒声は、そのまま悟空の唇によって封じられた。

「・・・んっ」

驚いた三蔵が思わず声をあげようとすると、悟空の舌がするりと滑り込み、逃げようとする三蔵の身体を、悟空の両腕が捉えて放さない。悟空の熱い舌が、三蔵の口腔を翻弄する。

慣れない感覚に息のあがった三蔵が、ぐったりとその身体を悟空に凭れかけると、激しかったくちづけは穏やかな、優しいものへと変わる。三蔵の存在を確かめようとするかのような、そっと触れては離れるようなくちづけを額に、瞼に、頬にいくつも降らせる。

やがて、満足したのか悟空が三蔵の身体をゆっくりと自分の腕から解放すると・・・。

すぱんっ、すぱんっ、すぱーーんっ!!

悟空の腕の中で、ぐったりとしていたのが嘘のような、フルパワーのハリセンが容赦なく不埒な猿の頭にヒットする。「・・・ってーよぉ」

「・・・この猿、命が惜しくねぇとみえるな」

怒りと羞恥で、頬を朱に染めた三蔵がハリセン片手に、悟空の前に仁王立ちする。

「だって・・・、ミルクよりさんぞーの唇の方が、あったかくて美味そうだったからさぁ」

眩暈を起こしそうなほど恥ずかしい台詞を、臆面もなく口にした悟空は痛む頭を両腕でさすりながら、うーっと唸って三蔵を涙目で見上げる。

「それに・・・」

「ああ?」

「それに、さんぞーも俺が触れたら消えちまうのかと思って」

うなだれてぽつりと呟く小猿の姿に、三蔵は紫暗の瞳を細める。

「・・・はじめはさ、あんまり雪が綺麗で、さんぞーにも近くで見せてやろうと思ってさ」

まだ、地面に触れていない一番綺麗な、空から舞い落ちる雪に手を伸ばす。しかし、雪の結晶は悟空の熱い掌に触れるとあっという間に解けていく。

「何度も何度もやってみたけど、ダメだった。俺が触るとみんな消えちゃうんだ」

そうしているうちに、なぜだか三蔵の姿が雪と重なった。真っ白で綺麗で、そして凛としていて・・・、どこか儚げで。

「さんぞーも、俺が触ったら消えちゃうんじゃねーかと思ったら、なんだがすげー、悲しくなってきて・・・・」

「ンで、あんな惨めったらしい『声』で、俺を呼んだのか」

額に片手をあてて深くため息をつく最愛の飼い主を、悟空は涙でうるんだ大きな金色の瞳でみつめる。

「いつも俺が触んじゃねぇっつたって、てめえは俺に抱きついてくんだろーが。それで、一度でも俺が消えたか?猿が、感傷的になってんじゃねーよ」

「だって・・・」

いつだって求めるのは自分。欲して、手を伸ばすのも自分。

三蔵にとって、俺は厄介者のペットで、大食いの猿で・・・。 好きなのに。誰よりも大好きなのに。ただ自分ひとりが空回りしているみたいで、時々たまらなく不安になる。

「・・・これでも、信じられねーか?」

愛する人の声にはっとする悟空の頭に、三蔵の掌が軽く触れる。

「さ、さんぞー?」

「一番初めに、お前の手を取ったのは誰だ?」

「さんぞー」

「そんとき、俺は消えたりしなかったろーが」

「・・・うん」

悟空は、うなだれながらこくりと頷く。真っ白な雪は、触れるととても冷たかったけど、三蔵の掌は温かい。

「ったく、猿頭で考えるから、ンな馬鹿な発想になるんだよ。だいたい、てめえに触れられて俺が消えるなんて、ざけた事考えてんじゃねーよ」

「・・・うん」

掌を通して伝わる、三蔵のぬくもり。それを、もっと感じてみたくて・・・。

「ご、悟空っ!!」

悟空の頭の上に置かれた三蔵の手をそっと掴むと、小猿はその白い手に静かにくちづけた。

先ほどのキスのように、やさしく触れてはその感触を確かめようとする。そして悟空の唇が、三蔵の手首の脈の上に触れた瞬間。

すぱん、すぱん、すぱーーっん!!

「この馬鹿猿、図に乗るんじゃねーーっ!!」

三蔵のいささか上擦った怒鳴り声と共に、学習機能を持たない小猿の上にハリセンが炸裂した。

「・・・さんぞー」

恨みがましく最愛の飼い主を見上げる悟空は、まだ足りないとばかりに、げしげしと蹴りまで頂戴する。

「いてえってーーっ!さんぞーが消えたりしねか、もう一度確かめようと・・・」

「ンなもん、する必要ねぇっ!!」

金糸に見え隠れする、形の良い耳を赤く染めてペットを威嚇する三蔵を、涙を浮かべた金色の瞳で見上げながら、悟空は幸せそうに笑う。

「えへへ」

「気持ちわりいな、叩かれてヘンな笑いすんじゃねよ」

「だってさー」

さっき唇に感じた、三蔵の白い手。自分に差し伸べられた、悟空にとってこの世でただひとつの大切なもの。その脈からは、確かに三蔵が今生きて、ここに居るのだという、悟空の愛する人の『いのち』が伝わってきた。

「さんぞー」

「ンだよ、猿」

「俺さ、さんぞーの事大好きだかんな!」

「・・・なに、沸いてんだよ。打ち所が悪かったのか?」

「ちがうよーっ!俺、ずっと、ずっとさんぞーの側にいるかんな!!これからも、さんぞーの隣にいるのは、俺だからな!」「・・・勝手にしろ」

「うん!!」

悟空は、ぱぁっと満面の笑みを浮かべると三蔵にがしっと抱きついた。もがく三蔵をしっかりと抱き込んで、悟空は最愛の人のぬくもりを全身で感じる。

「さんぞー、大好き」

「・・・判ったから、腕緩めろ」

「やだ」

「・・・死ぬか?」

「だって、さんぞー、抱きごこちいいんだもん。もう少し、こうしていてえよ」

「・・・」

「さんぞー?」

「・・・少しだけだぞ?」

暖かな部屋と、三蔵のぬくもり。外は凍えるような寒さだったけど、三蔵の側はいつでも居心地がいい。

いつかは、自分もそんな存在になれるだろうか?三蔵が心も身体も安らげる、そんな存在に・・・。そんな事言ったら、きっと「なに、ざけた事ぬかしてんだよ。この馬鹿猿」とか言うだろうけど。

でも、いつかは・・・きっと。もっと俺が、大人になったら・・・。

 

音もなく降り積もる雪。明日やんだら、真っ白になったお気に入りの裏山を、三蔵と一緒に見に行けるかなぁ。悟空は最愛の人の鼓動を聞きながら、ふっとそんな事を考えた。

 

おわり

 

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