「三蔵はまるで、悟空の愛情を試しているようですね」
「・・・試す?」
哀れむように自分を見つめる八戒に、だが意外にもと腹が立たず、三蔵は不思議そうに同じ言葉を繰り返す。
「ええ。どんなに酷い仕打ちをしても、それでも悟空が三蔵の事を求めてくれるかどうかを」
「俺は、そんな事考えた事もねえ」
「自覚してやっているとは、思いませんよ」
八戒は柔らかく微笑むと、すたすたと中庭に面した閉じられたままの窓に歩み寄り、窓ガラスを全開にして外気を部屋の中に送り込む。
「永遠が信じられないんです」
暫く心地良い外の空気を楽しんでいた八戒は、視線を窓の外に向けたまま三蔵に語りかける。
「永遠?」
「ええ。愛された記憶のない子供は、『永遠の愛』を求めるんです。無意識のうちにね。無条件にありのままの自分を愛してくれる人、その人の自分に対する『永遠の愛』を。そして、それを求めながらも信じられないんですよ、『愛される自分』が」
生れ落ちてすぐに、誰よりもあるがままの自分を愛してくれるはずの親に愛されなかったから。
自分は愛される資格のない人間だと、魂の奥深くに刻み込まれてしまった。
「それは俺への当て擦りか?」
「そう思うなら、そうとってくださって結構ですよ」
三蔵は不愉快そうに形のよい眉を顰めると、しかし、それ以上八戒に怒りの感情を向ける事なく、短くなったマルボロを卓上の灰皿に擦りつける。八戒の言葉に、それなりに思う所があるのかもしれない。
「三蔵」
八戒が、三蔵を振り返る。その深い緑の瞳は、真摯に紫暗の瞳を見据えていた。
「自分が『愛される』という事を、自分に許してあげてください。あなた自身が自分を『愛される資格のない人間』だと戒め続けている限り、あなたも、そして悟空も辛いはずです」
あなたが、悟空に愛されている。その事実をどうか受け入れてください。
そんな八戒の言葉に、三蔵は無言で背を向けると2本目の煙草に火をつけた・・・。
八戒が三蔵の元を訪れてから数日後の事、悟空がひっそりと三蔵の執務室に現れた。
三蔵のもとから飛び出して行った時の、投げ遣りな様子はなく、殊勝気に面会許可まで得てきたのだという。案内してきた小坊主にそう告げられた時は、流石の三蔵も大きく目を見開いたが。
「今更、何の用だ」
そんな様子は露ほども見せず、相変わらず冷ややかな三蔵の口調に、悟空は少し悲しげに金瞳を細めて自分の『飼い主』を見上げる。
「これ、三蔵に渡したくって・・・」
そう言って悟空はズボンのポケットの中から紫色の袱紗を取り出し、おずおずと三蔵に差し出す。ちらりとそれに視線を落とした三蔵は、暫し無言のまま悟空の手の中にあるものを見つめていたが、やがて興味なさそうにそれに手を伸ばした。
「三蔵にプレゼント。俺、自分で働いて貯めた金で買ったんだよ」
不安と期待の入り混じった視線を三蔵に向ける悟空を前に、三蔵の白い指が無造作に袱紗を開く。そして、その中から現れたものは。
美しい紫水晶の数珠。それも、透明度の高い珠のひとつひとつが、細かい細工を施した純金の座金の上に収まっている。
「悟空、これは・・・」
見るからに高価そうな「それ」に、三蔵は思わず悟空を見返す。
「もう大分前に、街に行った時。みつけたんだ。さんぞ、その前に使ってた数珠の糸、切れたって言ってたじゃん」
寺院内の宝物殿を探せばいくらでも『三蔵法師』に相応しい、高価な品がみつかるというのに。もともと仏具になど関心のない三蔵は、その辺に置いてあった、古びた安物の数珠をそのまま代わりに持ち歩いて、
「いくら質素を旨とする僧侶とはいえ。最高僧であられる三蔵様がそのように貧素な物を持たれては、寺院の体面が」
と石頭の僧侶達を嘆かせた。
「三蔵がそーゆーのに興味ねえの知ってっけど。それ初めて見た時、すぐに三蔵の顔浮かんで。三蔵持ったら似合うだろーなって」
仏具だから、全く不要とは言われないだろうし、お勤めの時にはいつも三蔵が身につけていてくれる。三蔵の任務に自分が着いて行けない時でも、これなら少しは三蔵と一緒にいるような気持ちになれるかもしれない。
そう思うと、どうしてもこれを三蔵にプレゼントしたくて仕方がなかった。
「だけど、俺、金持ってねーし。悟浄にも『ガキじゃねーんだから、好きな奴へのプレゼントくれえ、自分で稼いで買え』って言われて」
八戒の言う通り、悟空は数週間前から長安の町で働いていた。土方や危険物処理、挙句の果ては用心棒まがりの事まで。犯罪に関わらなくて金になる仕事なら、何でも引き受けた。もともと力だけには自信があったし、危険な仕事も生来の敏捷さが幸いしているのか、難なくこなしている。『キツイ、汚い、危険』と人が嫌がる仕事だけに賃金は桁外れに良い。だが、それでも悟空が必要としている金額を貯めるには、それこそ朝から晩まで働き通し。
「やっぱ、八戒達に少し借りればよかったかなぁ」
と、うんざり気味の悟空は何度そうぽつりと1人ごちては、慌ててもらした自分の本音に首をぶんぶんと横に振った事か。そんな事言ってたら、いつまでたってもガキのまんまだ。せめて愛する人への贈り物くらい、自分の稼いだ金で買いたいではないか。それがオトコの甲斐性ってモンじゃないのか!? 小猿は意気込んで胸の前でグーにした拳をじっと見つめながら思う。
愛する人への贈り物。
当たり前だが、悟空は小遣いというモノを貰っていない。飼い主の三蔵が僧侶という職業上、個人資産は持たず給料というモノを貰う事もない。日常必要なものは寺院から支給されるし、配給を望めない必需品(酒、煙草)は三仏神からのゴールドカードで賄っていた。
そんな三蔵にはペットに小遣いを遣るという発想がそもそもない。幼い頃から寺で育った三蔵自身、小遣いというものを貰った事がないし、拾った小動物には三食(いや、悟空の場合は三食ではとてもすまないが)与えていればそれで十分と思っているフシがある。悟空自身も今まで小遣いがないという事に不自由を感じた事はなかった。そう、数週間前、長安の町で「あれ」をみつけるまでは。
忙しい三蔵に纏わりて、怒りのハリセン攻撃を喰って執務室から放り出され、仕方なくぶらぶらと街を探索していた時に、それは悟空の視界に飛び込んできた。それを見たときすぐ三蔵の顔が思い浮かんだ。
(さんぞーに、あげたいよな)
思えば三蔵に拾われてから今日まで、三蔵に贈った物といえば野の草花とか、可愛い形のどんぐりとかお金のかからない物ばかりだった。もともと三蔵自身物に執着しないし、欲しがらない。それに「ふん、くだなねえな」と言いながらも三蔵は、悟空の『プレゼント』をそのままゴミ箱にぽいっ、という事はせずにペットが飾るままに執務室の机の上やベッドサイドに放置しておいてくれた。悟空はそれを『さんぞーが俺のプレゼントをちゃんと受け取ってくれた』と解釈して、充分満足していた。だから、『何かを買って贈る』という発想が今までなかったのだが。
あの数珠を見付けた時、どうしてもそれを三蔵に贈りたいと思った。しかし、それは飴玉ひとつ買う金さえもたない悟空にとっては天文学的な金額に思えた。
がっくりと項垂れる小猿が知り合って二年ほどになる友人と、喧嘩友達の2人に何気なく相談したところ、八戒は
「少しならお金貸しましょうか?」
と言ってくれた。思わず差し伸べられた手に縋ろうとした悟空を引き止めたのが、悟浄の一言だった。
「おめーも男なら、好きな奴へのプレゼント代くれぇ、自分で稼いだらどうなんだ? もう18になんだろーが。俺なんかその年ン頃には、自分1人の腕で生きてきたんだぜ。少しは自立しねぇといつまでたっても、三蔵サマにガキ扱いされたまんまだぜ」
この一言、小猿の頭に直下型爆弾並の威力をもたらした。
そういえば、確かにその通りだ。三蔵が光明三蔵という後ろ盾を失い、一人で形見の経文を探す苛酷な旅に出たのは、今の悟空よりも幼い頃だった。悟浄はもとより、肉親がいなくて孤児院で育ったという八戒も、詳しい事は知らないが自分の年には世間に出て、苦労したのは予想がつく。
それに引き換え自分は―――三蔵は傍にいるという事を抜かせば、居心地悪い事この上ない寺院とはいえ、兎に角雨露凌げて食事にも事欠かない。それも悟空自身の稼ぎではなく、全ては『三蔵のペット』という立場で、三蔵に扶養されているのだ。
(こ、このままじゃ、いつまでたっても年下のペットの猿で、さんぞーに一人前の男として見てもらえないじゃんっ!!)
俄かに芽生えた「男のプライド」。本当に経済的に自立して「もう扶養の必要無し」と寺院から放逐されて愛する三蔵と離れ離れになるのは御免だが。せめて愛する人への贈り物くらい、自分の稼ぎで手に入れようじゃないかっ!
こうして小猿は、悟浄から紹介された仕事をこなす毎日を送り始めたのだ。が・・・。
「金が貯まる前に、俺切れそうだったよ・・・」
仕事に追われて、ろくに三蔵の顔を見る事も出来ない日々。帰れば疲れて睡魔が襲い、三蔵が仕事を終えて帰ってくるまでとても起きて待っている事が出来ない。
もう限界だった。そんな矢先のあの出来事。
「働いて、金稼ぐって大変なんだよな。すっげー疲れてもうクタクタだった。なんか、さんぞーもずっとこんなだったんだなぁって。三蔵が忙しいって事判っているつもりだったけど。なんか、やっとホントに大変なんだなぁって実感した」
「・・・悟空」
「街はさ、結構妖怪も多いんだ。だから、俺の事『異端』とか言う奴なんかいねぇし、みんな優しかったよ」
・・・そうだろう。異種間の交わりが禁じられているとはいえ、人間と妖怪がそれでも共存して生きているこの時代。悟空が妖怪の子というだけで、これほどまでに謂れ無き侮蔑を受けてきたのは、ひとえに「ここ」が外界から遮断され古い価値観に支配された「寺院」だったからに過ぎない。
『僧侶』の自分ではなく、ごく普通の環境の人間なり妖怪なりに拾われていたならば、しなくてもいい苦労を悟空はずっとしてきたのだ、と三蔵は思う。
「仕事が終わると、みんなで集まって酒盛りみたいな事するんだ。俺は、未成年だから、呑めねぇって言ったんだけど。少しくれぇなら大丈夫だって」
「呑んだのか?」
「ホント、ちょっとだけだよぉ」
ぷぅっと頬を膨らませながら、それでも『飼い主』のご機嫌を伺うかのように悟空が上目使いに言う。こんな風に悟空と話すのはどれくらい久し振りだろう。
「俺さ、いつの間にか『三蔵の為に働いてるんだ!』って、自己満足してたのかもしれない」
いままでの『日常』が戻ってきたかのように、それまではしゃいでいた悟空が、急に少し沈んだ表情で、ぽつんと呟いた。あの時、なんで、そんな風に三蔵が自分の事を責めるのか。なんで、こんなに三蔵の為に頑張っている自分をわかってくれないのか。そう思ったらカッと頭に血が昇って、後先考えずに捨て台詞を吐いて飛び出してしまったけれど。
ただ自分1人で空回りしているだけで、三蔵がほんとに望んでいる事が何か、わかってなかったのかもしれない。
「あの日さ。仕事が押してて、昼間も休み無しで働いたんだ。ンでメチャクチャ疲れてさ。よれよれになって帰ったら、三蔵も帰ってきてたろ? 三蔵の顔見て、すっげーホッとしたんだ」
あんまりホッとし過ぎて、いつものように盛大に喜ぶ事も出来ずに呆けてしまったおかげで、三蔵に余計な不信感を抱かせてしまったが・・・。
もしかしたら、三蔵にも疲れて帰ってきた時に部屋を温めて待ている『誰か』が必要だったのかもしれない。いつも世話を焼いては「うぜえんだよ」と言われてきたが。それでも、自分にとって『三蔵の居た部屋』が疲れた身体をすっぽりと包み込んでくれたように。たとえ三蔵が「そんな事はねえ」と否定したとしても、それでも公務に疲れ果てた三蔵に必要だったのは、あんな風に刺々しい自分では無かった筈だ。
「三蔵が俺の事『必要ねぇ』って言ったの、すげえショックだった」
ぽつぽつと、悟空の口からは思いつくままに言葉が零れていく。この数週間、三蔵から離れて初めて知った出来事や、己の心の動きを、三蔵に何とか上手く伝えたくて。
「でも俺、なんにも知らなかったのな。何にも知らないってコトにすら気づかないくらい、ほんとガキだったのな」
確かに寺院は住みにくい処ではあったけれど、それでも『三蔵』という後ろ盾のいた悟空は、同い年の身寄りのない子供に比べれば、ずっと幸せな生活を送ってきたのだ。
寒村から出稼ぎにきていた男は、数年前の寒波の時に食う物にも事欠いて、娘を売ったと言っていた。娘を身売りさせた金で、残った家族が何とか餓えを凌いだと。
ひょんな事から知り合った悟空よりも年下の少年もまた、商家の下働きとして、家畜同様の扱いを受けていた。そんな現実も知らずに、自分はただ三蔵の傍で、何も知ろうともせずに遊んでいたのだ。愛する人の傍で、それ以外の物を見ようともせずに。
三蔵は自分の事について多くを語る方ではないから、詳しくは知らないが、彼の幼少期もかなり過酷なものだという事は、ぼんやりとは理解しているつもりでいた。しかし『外の世界』の現実を知ってしまえば、恐らくは悟空が想像していた以上に厳しい半生を自分の愛する人は送ってきたのだろう。
「こんなんじゃ、三蔵に必要ねぇって言われても仕方ねぇって・・・」
三蔵を守りたいと、三蔵の役に立つ人間になりたいと、ずっとそう願ってきたけれど。実際には三蔵に甘えてばかりで、自分の足でしっかりと立つ事も出来ないような男を、三蔵が必要としてくれる訳がない。だから・・・。
「もし、三蔵が嫌だってゆーんなら、俺、寺の外に住む。今度こそ自分の力で生きていけるようになる」
そう言って自分を見つめてくる大きな金色の瞳の曇りのなさに、三蔵は今度こそ本当に、悟空が自分のもとから巣立っていったのを感じた。
『三蔵』という、今までの小さな世界から、飛び立っていく小猿。外の世界の優しさも、厳しい現実も、この猿はこの大きな瞳でつぶさに見て周り、それを受け入れていくのだろう。更に大きな世界に向かっていく糧とする為に。
「・・・ただ、時々でいいから、三蔵に会いたい。顔見てえよ」
自分の想いに気をとられていた三蔵は、耳に届いた悟空の言葉に、はっとする。
「いつか三蔵ンとこに戻ってくる時まで、全然三蔵に会えねーのは、やっぱ、耐えらんないからさ」
真摯な瞳で自分を見上げる悟空を、三蔵は何か不思議なものを見るような気分で見つめ返した。
「・・・どうして、てめぇは俺の手から一度離れて、それでももう一度戻ってこようとするんだ?」
「え?」
巣立って行った子供が、再び親のもとに戻る事ないのに。この手から飛び立って行った悟空が、もう一度自分のもとに帰ってくる事など、あるはずないのに。
「三蔵の言ってる意味、よくわかんねぇけど・・・」
悟空は困ったような表情を浮かべながら、それでもキッパリと三蔵に告げた。
「だって、俺が居たいのは、いつだって三蔵の傍なんだよ?」
嫌いになったから、三蔵のもとから出て行くのではない。これからも、ずっと三蔵と一緒に生きていきたいから。だから、いつまでも『養い子』のままでいてはいけない。
もっと色々な物を見て、感じて。三蔵に庇護されるのではなく、一緒に肩を並べて立つ事のできる男にならなくちゃいけないから。その為に、今はどんなに辛くても自分は三蔵から『親離れ』しなければいけないのだ。今度こそ本当に、三蔵に『一人の男』として認めてもらうために・・・。
一度は自分の手を離れた子供が、今度は自身の意志でもう1度自分の手を取ろうというのか。
三蔵は、目の前の『養い子』の顔をぼんやりと見つめながら思う。
広い世界を垣間見て、そしてまた新しい世界への一歩を踏み出しながら、それでも尚この猿は『自分の世界』は『三蔵』なのだと、自分を、己の『世界』に選んだと言うのか・・・。
八戒の言うように、自分は『永遠』なんて信じないけれど。もしかしたら、この猿は本当に『永遠』なんて戯言を現実のものにしてしまうかもしれない。
そんな事はありえないと思いながらも、心の奥底でそれを願っている自分がいる事を、三蔵は苦々しく思いながらも否定は出来なかった。
「さんぞ?」
難しい顔をしたまま黙り込んでしまった三蔵を、悟空は不安げな表情で見上げる。
やはりダメなのか。独立して、被保護者でなくなった自分には、もう三蔵の傍に行く事は許されないのか。結局すべては自分の一人相撲で、三蔵は、自分の手から飛び立っていったペットには、もはや欠片ほどの関心もないのだろうか。
そう思った途端に、悟空の大きな金色の瞳がじわっと潤んで、顔がくしゃっと歪む。
「猿?」
「ダメなのか? 俺、もう三蔵に会いにきちゃ、いけないのか? いつかちゃんと一人前の大人になった時、三蔵ンところに戻ってきちゃ、ダメなのか?」
自分の口から出た言葉に堪らなくなって、悟空はぽろぽろと涙を零しながら、えぐえぐとしゃくり上げる。先ほどまでの『大人の覚悟』はどこに行ったのか。馴染みの深い自分の馬鹿猿の姿に、三蔵は、小さく口元に笑みを浮かべる。
「びーびー泣くんじゃねーよ。みっともねぇ」
「だってえぇぇ・・・」
涙でぐちゃぐちゃになったマヌケ面の猿は、いつものように三蔵の腰ににしがみ付いて、『飼い主』から容赦の無いハリセンの嵐に見舞われる。
すぱん、すぱぱぱぱ―――んっ!!
「・・・うぅぅ・・・」
「汚ねー面で、引っ付くんじゃねーよ。馬鹿猿」
久し振りに浴びるフルパワーのハリセンの威力に、さしもの石頭の悟空も撃沈する。
「・・・さんぞおぉぉ・・・」
痛む頭を両腕の押さえて、恨めしげに自分を見上げる、涙目の金瞳。そんなまだ幼さを残した面立ちの猿に、三蔵はわざと素っ気無く仏頂面で吐き捨てるように言う。
「・・・てめぇが、どこに面出そうが俺の知った事じゃねーが。少なくとも、俺は当分ここにはいなぇぞ」
「・・・えっ?」
三蔵の言葉に、涙で潤んだ金色の瞳がこれ以上ないくらいに大きく見開かれた。
「三仏神からの仕事だ。西へ行く」
「いつ、帰ってくんの?」
「わからん」
「わからんって」
「生きて帰ってこれるかも、わからんな」
「三蔵っ!!」
悟空が悲鳴じみた声で叫ぶ。そんな悟空にくるりと背を向けると、三蔵は小さく息を吐き出すと静かに言った。
「・・・三仏神は、てめぇにも西に行くよう言っている」
「俺も? 三蔵と1緒に・・・?」
「だが、強要じゃねえ。てめえが行きたくなければ、行かなきゃいい。てめぇが自分で決めろ」
「・・・俺も行く」
「『仕事』なんだろ? よくわかんねーけど、三蔵の『仕事』に俺も必要とされてんだろ?」
「俺は別に必要じゃねーがな」
感情のこもらない、素っ気無い返事。けれど悟空はその中に、言葉の額面通りではない、何かを感じる。本当にダメなら、三蔵ははっきりとそう言う。だから、今の返事は言外に悟空の同行を認めてくれたのだろう。
それに、今回は三蔵の許可が問題なのではない。自分自身が、どうしたいかなのだ。悟空はそれを本能的に感じ取って、何のためらいもなくキッパリと三蔵の紫暗の瞳を見つめ返して言った。
「俺、行く。今度は、いつもみたいに三蔵についてくペットじゃなくて、三蔵の『養い子』でもなくて・・・」
一人の男として、三蔵と行動を共にしたい。三蔵に甘えっぱなしではなく、今度こそ少しでも愛する人の役に立てるようにする為に。自分に責任を持って。
だから、一緒に行く。自分がまた一歩前進する為にも。
「・・・勝手にしろ」
少しの間自分から離れている間に、やはり少し大人になった悟空。
彼は知らないだろうが、これから自分達の進む道は恐らく想像以上に厳しいものだろう。その過酷な日々の中で、この猿はもっともっと大きく成長していくのだろうか。そして、自分は・・・?
「三蔵・・・」
そんな三蔵の思考を遮って、悟空の指先がおずおずと三蔵に触れる。
「ちょっとだけ、抱きしめても、いい?」
「・・・何湧いてんだ、この馬鹿猿」
「だって、ずっと三蔵に会ってなかった! ずっと三蔵に触れてなかった! ・・・だから・・・」
三蔵は、ふうっとため息をつくと、身体の力を抜いて目を閉じた。それを承諾と受け取って、悟空はそっと三蔵を抱きしめる。久し振りに腕の中に閉じ込めた、最愛の人のぬくもり。
「・・・すっげー、会いたかった」
餓えていた。乾いていた。離れていた間、ずっと求めていた誰よりも愛する金色に輝く太陽。こうして彼の存在を感じるだけで、こんなにも満たされてしまう自分がいる。
これからは、後を追いかけるのではなく、対等に歩んでいけるようになりたい。いや、ぜってー、なるんだ。
でも、今だけは、こうして何も考えずにただ三蔵のぬくもりを感じていたい。
ぎゅっと強く自分を抱きしめる悟空の背中に、三蔵はそっと腕をまわす。
大空に飛び立って、そしてまた自分のもとに戻ってきた小猿。どうして、こいつはここまで俺を求めるんだろう。どうして、俺はそんな悟空の真っ直ぐな眼差しに、こんなにも満たされるのだろう。
『永遠』なんて信じられないクセに。誰が自分の傍から離れていこうが、気にもならないクセに。
どうして悟空が俺を『世界』に選んだ事に、自分の意思で俺の傍にいる事を望んだ事に、こんなにも満たされるのだろう。そんな自分を、俺は受け入れても、いいのだろうか。悟空の存在に癒される自分を、認めてもいいのだろうか・・・?
もう、すぐに過酷な旅が始まる。
でも、少しの間くらいは、こうしていてもかまわんだろう。
そう思いながら、そっと自分の唇に触れてくる悟空の唇を、三蔵は黙って受け入れた。
おわり