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アニマル・コンパニオン2

 

 三蔵が、悟空を手許において五年になる。

その間この健康優良児の見本のような少年が病気になるという事は、ほとんどなかった。よく寝、よく食べ、よく遊んで・・・。これだけ健康的に日々を過ごしていれば、病気のほうが逃げていくだろう。三蔵は常々そう思っていた。

その悟空が、倒れたのだ。しかも、病名は『栄養失調』。

「いよいよ、末法の世が来たに違いない」と、寺院の僧達がひそひそと物陰で語り合ったとしても、決して大げさでも何でもない。

孫悟空。この五年の間、寺院の食費の大半は彼の為に費やされたというほどの、万年欠食児童なのだから・・・。

 

「おい、猿。食え」

日頃は三蔵の部屋の片隅で万年床の悟空が、今日は特別に三蔵のベッドに寝る事を許された。それだけでも異例の事だというのに、なんと、悟空の最愛の人が枕許に座って椀に入った粥を差し出している。

もしや、これは三蔵が看病をしていると、そういう事ではないだろうか・・・。

病床の小猿は、ぼんやりとそう考える。

「だいたい、てめえなんで三日も飲まず食わずで過ごしたんだ。俺の留守中は、俺付きの受安にてめえの世話は言いつけておいたはずだ」

受安は内気だが、この寺院内では異端として恐れられている悟空にやさしく接している、数少ない小坊主だ。だからこそ、自分が三仏神の命で暫く寺院を留守にする今回も、悟空の世話を言いつけていったのだ。

その受安から三蔵は、悟空はこの三日間一切なにも口にしていないと聞かされた。三蔵が一週間振りに寺院に戻ると、いつもは『匂いをかぎつけて』目には見えないしっぽをふりながら飼い主の出迎えにすっ飛んで来る小猿の姿が、なぜか見当たらない。不審に思いながら自分の部屋に足を踏み入れた瞬間三蔵のみたものは、いつも自分が使っている椅子の足元にうずくまっている悟空の姿だった。

「・・・さんぞー、おかえり」

青ざめた唇をかすかに動かしてそう呟くと、ぱたんっと悟空は倒れて気を失った。

前代未聞の出来事に天変地異の前触れか、と慌てふためく僧侶達になんとか呼びに行かせた医者の診立ては、前記の通り。そして受安の証言だ。三蔵が不審がるのも仕方がない。

「兎に角、それ食ったら寝ろ。そうすりゃ明日の朝には、起きれるようにもなるだろう」

三蔵はいささか乱暴に、粥の湯気の立ち上る椀と箸を悟空の小さな手に押し付ける。悟空は暫し手の中におさまった温かな椀を、おおきな金色の瞳でじっとみつめていたが、ふいに、つっと目をそらした。

「悟空?」

「いらない」

「ああ?」

「俺、食いたくない」

・・・『食いたくない』。

この言葉をこの小猿の口から聞く日が来ようとは・・・。流石の最高僧・玄奘三蔵法師も、思ってもみなかった。

「・・・、おい猿。てめえ、なんか悪いモン拾い食いしたんじゃねぇのか?」

・・・それ以外考えられない。

「そんなんじゃない!」

「だったらてめえが、飯を食わねえなんて言うはずねえだろうが!!」

「そうじゃないんだって!とにかく、食わない。ぜってぇ、食わない!!」

「この・・・っ」

強情な悟空に切れかけた三蔵の、反射的に振り上げたハリセンを持つ手が空中で止まった。いかに三蔵が『鬼畜生臭坊主』と呼ばれようと、流石に病人相手に暴力は振るえない。

条件反射で身体を縮こませて来るべきショックに耐えようとする悟空を前に、三蔵は振り上げたハリセンを下ろすという、かつてない行動をとるはめになる。

(ちっ、この馬鹿猿が)

「・・・さんぞー?」

いつまで待っても訪れない衝撃に、悟空が恐る恐る上目使いに三蔵をみる。

(これだから、ガキはめんどくせぇんだよ)

ふうっ、と三蔵の形の良い唇からため息がもれる。

「あ、あのさんぞー、俺・・・」

「理由は何だ?」

「え?」

「てめえが、飯を食いたがらねえ理由だよ。んな、腹の虫を大騒ぎさせながら、腹減ってねえとは言わせねえ」

「・・・う・・・」

そう、さっきから必死に粥の椀から目を背けている悟空の意思に反して、小猿の腹の虫は盛大に『腹減ったコール』をしている。空腹でない訳がないのだ。

「俺の納得いく説明をしろ。めーわくなんだよ、だいたい。いつも俺に世話かけさせんなっつてるだろーが」

その瞬間、悟空の小さな身体がぴくりと動く。

「俺、じゃま?」

「ああ?」

「さんぞー、俺のこと、捨てたい?」

大きな金色の瞳が、みるみるうちに涙で雲っていく。ぽたっと大粒の涙が小さな手の甲を濡らす。

「おい、悟空?」

三蔵の声に、珍しく戸惑いの色が混じった。

 

 

「あー、八戒。あれ、すっげえ可愛い!!」

悟空の視線の先をたどってみると、幼い少女が子犬を抱いている。子犬は、生後二、三ヶ月というところだろうか。確かに可愛い盛りである。

三蔵が追いすがる悟空を蹴り飛ばして寺院を後にしてから四日ほどして、八戒と悟浄が遊びにきた。

悟浄は三蔵がいないと知ると、「猿の子守りなんざ、ごめんだね」といって一人『イケてるおネエチャン』を求めて別行動を決め込んだ。そこで八戒と悟空は、ふたりで久しぶりに長安の町を散策する事にした。

「あの子犬、あの子が飼ってんだよな。可愛がってんだろーな」

その大きな瞳をきらきらさせて、悟空はその光景に見入っている。

「そうですね。でもあの子犬、大型犬みたいですね」

「なに、八戒。大型犬だと、何かあんの?」

この物知りな友人の声に含まれるものを敏感に感じ取って、悟空は八戒を見上げる。

「いえ、大型犬だと今は可愛がられても、大きくなると捨てられてしまう事もありますから・・」

悟空は、八戒の言葉に大きく目を見開く。

「なんで!?なんで大きくなると捨てられるんだよ?」

「子犬の頃は小さくて可愛らしいですけれど、大きくなると世話が大変になったり、食費がかかったり・・・。あとは、躾が悪かったりすると飼い主に飛びかかったりして。犬のほうは愛情表現のつもりでも大型犬の力では、飼い主が怪我することもありますから・・・。悟空?」

視線を落とすと、悟空は顔を強張らせて真っ青になっている。

「悟空?どこか、具合でも悪いんですか?」

「・・・八戒。大きくなったら、みんな捨てられんの?」

ぼそっと、悟空が呟く。いつもの彼からは考えられないほど、声に力がない。

「え?ああ、皆が皆成長したら捨てられるわけじゃ、ありませんよ。ただ、残念ですがそういう飼い主もいるという事ですよ。飼ったからには、最後まで責任をもつべきなんですけれどねえ」

しかし、八戒の言葉は悟空の耳には届かない。

『大きくなって力が強くなったペットは、飼い主に迷惑がられて捨てられる』

あわれな小猿の頭には、そうインプットされてしまったのだ。

 

「・・・だから、飯食わなきゃ大きくなんないんだろ?大きくなったら、俺さんぞーに捨てられちゃうから・・・」

えぐえぐと泣きじゃくりながら語る悟空に、三蔵は軽い眩暈をおぼえて片手で額をささえる。この胃袋猿が三日間の絶食していた理由が、まさかそんな事だったとは・・・。

「正真正銘、馬鹿猿だな」

「なんでだよ!!俺、真剣に考えたんだぞ!!」

そう、今は年齢のわりに童顔で背も低いが、『成長期』というものがくればぐんっと身体が大きくなると、八戒が前に教えてくれた。三蔵が今の自分と同じ年の頃、それほど食べなかったにもかかわらずあれだけ身長が伸びたのだから、自分はきっと三蔵よりもずっと大きくなるだろう。(と、悟空は信じている)

腕力だったら、今でも三蔵より強い。その上今でさえ食費がかかって、寺院の僧侶達は日々三蔵に苦情を言っているのだ。もう悟空からしてみれば、自分は『捨てられるペット』の資格充分なのだ。だからせめてこれ以上は大きくならないようにと・・・。

「・・・飯食えないと死んじゃうけど、さんぞーに捨てられたら、俺ホントに死んじゃう」

いつも、側にいたい。みつめていたい。三蔵の側で生きる事が、自分が『生きる』という事だから。今更三蔵のいない人生なんて、そんなのいらない。

うなだれて、しゃくりあげる小猿を前に、三蔵は盛大にため息をつく。

「さんぞー?」

「いいか、馬鹿猿。よく聞け」

三蔵は懐からマルボロを取り出すと、そっとくわえて火をつける。

「俺がてめえを拾ったのは、てめえがあんまり喧しかったからだ。別に俺はてめえに可愛さ求めて拾った訳じゃねえし、はなっから可愛がるつもりなんざぁねえ」

「・・・うん・・・」

「だったら、てめえが小さかろうが、でかかろうが関係ぇねえだろう」

「・・・そうなの?」

まあるい頬をぐっしょりと濡らした小猿が、おずおずと最愛の飼い主を見上げる。

「俺としては、自分よりもでかいペットなんざぁ御免だが・・・」

ふうっと、細く煙を吐き出すと三蔵は視線を悟空からそらす。

「でかくなったもんは、仕方ねーだろ。」

飼い主の義務だかんな。

「・・・じゃ、さんぞー。俺の事捨てない?俺、さんぞーの側にいてもいい?」

大きな金色が、三蔵の顔を覗き込む。

「・・・ただし、二度とこんな騒ぎおこすんじゃねえぞ。俺にはぜってぇ、世話かけさせんな」

そんな事、無理だとわかっているけれど。きっとこの小猿はこれからも度々騒ぎを起こしては、自分のハリセンと罵声を浴びるのだろうけれど。

(まあ、一応言っとかなきゃな)

だいたい、大人しくて少食の悟空なんて、悟空らしくない。悟空は、太陽の下で泣いて、笑って、食べて、寝て。それが、一番『悟空らしい』のだ。

そう認めるのも、癪にさわるが・・・。

「うん、うん!!俺ぜってー、さんぞーにメーワクかけねえ!!これからは、お供え物もくすねたりしねえし・・・」

そんな三蔵の心の内も知らず、小猿は延々と『もう二度とやらない悪戯リスト』をあげ続ける。

「ああ、もう、うるせぇ!!」

すぱん すぱーん!!

途端に元気になった悟空の喧しさに、切れた三蔵がハリセンを振り上げる。

「いってぇ、俺、病人なんだよー」

手に粥の椀を持ったままの悟空は、身を守る術をもたずに見事ハリセンの餌食となる。

「だまれ!それだけ騒いで、何が病人だ!!さっさと食って、寝ちまえ。俺はまだ仕事が残ってんだよ。いつまでも猿の相手してられっか!!」

「えー!!さんぞー、ずっと付いててくれんじゃないの!?」

「ざけんな、馬鹿猿!!」

再び、三蔵がハリセンを握る。

「わ、わかったよ。食べて、おとなしくしてっからさ」

今日は、いっしょにここで寝てもいい?上目使いに、小猿が尋ねる。

甘えるんじゃねえ、とか、うぜえんだよとか言うだろうけど。三蔵の温もりを全身で感じて眠りたい。側にいるんだと、ここが自分の居場所なのだと・・・。それを実感したいから・・。

声にならない願いが、また三蔵に届く。

(ちっ、黙ってても、うるせえ猿だな)

なんだ、かんだといっていつも悟空の望みを受け入れている自分。認めたくはないが、所詮自分は悟空には甘いのだろう。

(おもしろくねぇ)

「・・・寝相が悪かったら、夜中でも放り出すぞ」

「え、それじゃ・・・」

悟空の顔に、ぱあっと真夏の向日葵のような笑みが浮かぶ。

「わかったら、食え!俺に同じ事を言わせんじゃねえよ!!」

すぱーん!!

腹立ち紛れなのか、照れ隠しなのか。本日二度目のハリセンをペットにお見舞いすると、三蔵は目に涙を浮かべて『うーうー』と唸る小猿には目もくれずに、ずかずかと足音とたてて部屋から出ていった。

 

おわり

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