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ろうそくーー祈りーーー

 

「三蔵、いい加減許してあげたらどうですか」

「・・・てめえがそうやって甘やかすから、あの馬鹿猿がつけあがんだろーが」

八戒が淹れたコーヒーに見向きもせず、紫暗の瞳は新聞の活字を追う。眉間のしわがいつもより一本多いと思うのは、決して気のせいではないだろう。

「でも、悟空だって悪戯心でした訳じゃ・・・」

「ガキが部屋ン中で火遊びしてもいいと、てめえはそう教えてんのか」

剣呑な声に(弱りましたねえ)と、八戒はため息をついた。

考えてみれば、何も愛しい人を相手に恋敵のフォローをしてやる必要などないのだが、あの悟空の落ち込み振りをみたら流石に放っておく訳にもいかないだろう。

(ほんとうに、僕も人がいいですよね)

もし、八戒の心を読める誰かがいたら「どこがだ!!」と突っ込みをいれるところだろうが、幸か不幸か三蔵一行に読心能力をもつ者はいない。

 

すぱーん!!

乾いたハリセンの音と罵声が、夕食後の穏やかな宿屋の空気を破った。

「いてえよ、三蔵―」

「痛くて当然だ、この馬鹿猿!そんなに焼き猿になりてぇのか!!」

事は、悟空が部屋の中で五本のろうそくに火を灯しているのを三蔵に発見された事にはじまる。

十一月にもなれば、空気も乾燥している。その上宿屋は油っぽく古い木造だ。もし何かのはずみでろうそくが倒れたら出火する事まちがいない。今回は三蔵や悟浄も流石に宿での喫煙は控えていた。それなのに・・・。

「少し頭を冷やしてきやがれ!!!」

騒ぎを聞いた八戒と悟浄が駆けつけた時には、悟空は問答無用で三蔵の足蹴りと共に部屋から放り出されていた。えぐえぐと、泣きじゃくる悟空を自分達の部屋に連れていった八戒はそこで耳を垂れてうなだれる小猿から、事の真相を聞き出し、(これは僕にも責任があると、いう事なんでしょうかねえ)と、額に手を当ててため息をついた。

 

「悟空がしていたのは、『待降節』のろうそくなんですよ、三蔵」

八戒は、自分のコーヒーカップをテーブルに置くと、三蔵の向かい側の椅子に腰をおろす。

「ああ?」

聞きなれない言葉に三蔵は、思わず新聞から八戒へと視線をむける。

「『待降節』?」

「ええ、異教の行事らしいんですけれど・・・」

一口コーヒーを口に含んでから八戒は、悟空の『悪戯』の原因についての説明を始めた。

「なんでも神様の生誕を祝って、その生誕日の四週間ほど前から準備し、その日を待ち望むという習慣らしいのですが・・・。その中に『待降節のろうそく』というのがあって、生誕日の前の日曜日一週ごとに一本ずつろうそくに火を灯すらしいんです」

四週間前の日曜日にまず一本、そして三週間前に二本目を。

一週ごとにろうそくの灯りを増やしていき、来るべき聖誕祭を心から待ち望む。自分の唯一の救い主がうまれた尊い、大切な日を・・・。

「そして、その生誕日前日の夜に五本目のろうそくに火を灯すんです」

「・・・で、それとこれとどういう関係があるんだ?」

訳がわからん、と瞳で問いかけてくる三蔵に八戒はがっくりと肩を落とした。

「三蔵、明日が何月何日だか知っていますか?」

「んなもん、覚えてねえよ」

・・・たしかに三蔵がそういう事に無関心な事は充分知っているつもりではいたけれど。

「三蔵」

「あ?」

「明日、あなたの誕生日なんですよ」

「ああ?」

「悟空は、あなたの誕生日に合わせてその異教の習慣をまねていたんですよ」

そう、本人は決して認めたりはしないけれど。俺は誰も救わんと、きっと美しい眉をひそめて不機嫌そうに言うだろうけれど。

でも自分達に道を示してくれた、その存在によって自分達を救ってくれた、ただ一人の大切な人。その人の生まれた日を、自分もろうそくの灯りに祈りをこめて待ち望みたい・・・。

いつだったか、八戒からその異教の習慣の話を聞いた悟空はそう思った。そして誰にも気づかれずにこの四週間、日曜日が来るたびに小さな灯りを灯し続けていたのだ。

 

「ったく、ガラにもなく乙女チックなことすっからよ、小猿ちゃんはー」

いつもならくってかかる悟浄の慰めだか、おちょくりだか判らない言葉にも悟空は反撃ひとつせずベッドの上で膝を抱えて丸くなっている。時々漏れるくぐもった嗚咽に、流石の悟浄もそれ以上の悪態はつけない。

(俺にこれ以上どーせいっつーの。猿の慰め役は、八戒ってきまってるだろーが)

なれない保父さん役を持て余しながらも、かといってうちひしがれた小猿を放っておく事もできず、はあぁ、とため息を盛大に吐き出した時、

「おー、やっと飼い主さんご登場ってか」

ノックもなくいきなり開かれた扉の向こうに、金糸の最高僧が眉間にいつもよりも多くしわを刻んで立っていた。

「悟空に話がある。部屋かわれ」

尊大ないつもの三蔵のものいいに、それが人にものを頼む時の態度かねー、と内心思いながら

「へいへい、俺と八戒はお前達の部屋使うから、一晩中でも語りあかしてちょーだい」

やっぱりペットの面倒は飼い主の仕事だねー、と軽口をたたいて悟浄は、三蔵の目に触れないように椅子の上に無造作に置かれていたものをそっとポケットに仕舞い込むと、片手をひらひらさせながら三蔵の脇をぬけて部屋を出た。

「あとは、二人の問題ってかー」

しっかし、俺も悟空のこと乙女チックなんて言えんか。

「女泣かせの名前が泣くって、まったく」

ポケットに仕舞い込んだ小さなリボンつきのマルボロの存在を思って、悟浄はため息をついた。

 

二人きりになった部屋で、悟空は緊張に顔をひきつらせ一層身体を小さくさせる。三蔵を怒らせてしまった。いや、怒らせるのはいつもの事だけど。最愛の人のためにした事が裏目にでてしまって。それも、いつもの事かもしれないけれど。

(でも俺、本当に三蔵のたんじょーびが待ち遠しかったんだ。うまれてきてくれて、ありがとうって誰よりも先にそう言いたかったんだ・・・)

そんな悟空の想いも愛する人には届かず、怒らせるだけの結果に終わった事に悟空の心は再起不能状態だ。また、目の奥がじわぁっと熱くなる。

「悟空」

三蔵の呼びかけに憐れな小猿は、びくっと身震いして固まってしまう。

「悟空」

再度の呼びかけに悟空は、上目使いに三蔵を見上げた。おおきな金色の瞳がぐっしょりと濡れている。そんな悟空の様子をみて、三蔵の心にちくりと痛みが走る。

「さ、さんぞー、あの、俺・・・」

「で、いったい何願掛けしてたんだ」

「・・・え?」

凍りついた舌をなんとか動かそうとした悟空は、突然の理解不能な三蔵の言葉にまぬけ面をさらしてしまう。

「が、願掛けって・・・?」

「宿屋にろうそくなんか持ち込んで、なに願掛けしてたんだって聞いてるんだよ」

「あれは、願掛けじゃ・・・」

と、そこまで言いかけて悟空は口をつぐんだ。一瞬三蔵が何か勘違いしているのかと思ったが、さっきまで悟浄が自分に付き添っていた事を考えると、おそらくは八戒が事情を三蔵に説明してくれたのだろう。それなら、あのろうそくは三蔵の誕生日のためのイベントだと彼は知っているはずだ。知っていながら『願掛け』なんて言ってくるのだろう、この美しくて意地っぱりで、実は少し照れ屋な自分の最愛の飼い主は・・・。

そう思いながら、悟空は考えた。別に願掛けって訳ではないけれど、確かに小さな灯火に祈っていた。願っていた。それは・・・。

「・・・さんぞーと、これからもずーっと一緒にいたい。それから・・・」

ちらっと、三蔵の顔色をうかがいながら悟空はぼそっと呟いた。

「・・・三蔵が、いつか俺のものになってくれるようにって」

「・・・ふん、くだらねえな」

どかっと、悟空の横に腰掛けながら心底おもしろくなさそうに、三蔵が吐き捨てるように言う。流石にそれには悟空もむっとして、三蔵にくってかかる。

「くだらなくなんかねーよ!俺、本当に・・・」

「他力本願なのが、くだらねえってんだよ」

「え?」

三蔵は懐の煙草に手を伸ばしかけたが、『火遊び禁止』を思い出してちっと、舌打ちをする。

「それ、どーゆー事?」

「どんなに願ったって、自分が行動しなきゃ意味ねーんだよ。餌が欲しいからってじっと口開けて待っていたって、空から餌は降ってこねえんだ。欲しかったら、自分も動くことだ。それに・・・」

そこで、ちらっと悟空を横目で見ると三蔵は腕を組んで天井を見上げる。

「てめえは、んな願掛けなんかしなくても、俺の側を離れる気なんかねえんだろう?」

どんなに、三蔵が鬱陶しがっても邪険にしても決して離れようとはしない小猿。

「なら、それでいいだろうが」

その言葉を悟空は呆然と聞く。本当にいいのだろうか。望んでも、欲してこの手を伸ばしても。三蔵の言葉の真実を確かめようと、悟空はおずおずと三蔵の頬に手を伸ばす。

お前が望むのも勝手だが、俺が拒むのも俺の勝手だ・・・、とか三蔵の事だからまた言い出すんじゃないかなぁという悟空の心配をよそに、三蔵は黙って悟空の手を受け入れる。

手のひらに伝わる温もり。最愛の人が今生きている、という証。もっとそれを実感したくて、そっと三蔵の唇に接吻ける。ただ、ふれるだけ。羽毛のようにやわらかく。何度も、何度も。

「少しは気がすんだか、馬鹿猿」

お互いの息をすぐ間近に感じながら、三蔵が呟く。気付かないうちに悟空は、三蔵を抱きしめていた。まるでこわれものを扱うかのように。やさしく、大切に。

三蔵は何も言わずに悟空の好きなようにさせてやる。

とく、とくと伝わる心臓の鼓動に、悟空が小さな笑みを浮かべた。

「さんぞー」

「なんだ」

「俺さ、ぜってぇ三蔵から離れないよ。・・・ううん」

悟空は、三蔵の白い首筋にそっと自分の唇を押し当てて呟く。

「三蔵を離したりしないよ」

「・・・言われなくても判ってる。んな事」

「ん」

三蔵の言葉に悟空は抱きしめた腕の力を少しだけ強めて、愛する人の髪に顔を埋めた。自分の背中にゆっくりとまわされる、たったひとりの大切な人の腕のぬくもりを感じながら。

 

                                                                      おわり

 

『待降節』 クリスマスの四週間前の日曜日から始まる準備期間

 

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