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「俺、バイオリンの音、すっげー好き。知ってる? バイオリンの音色って、三蔵の声に似てんだよ?」

「あ?」

「低くて、よく響いて、どっか甘い感じがして。俺がガキん時バイオリン聴いて、機嫌良かったって言うんなら、それきっとバイオリンの音が、三蔵の声みたいだったからだよ。三蔵が傍にいられない時でも、バイオリンの音色聴いてると、三蔵の声に包まれてるみたいな気持ちになるから……」

「悟空」

三蔵の肩口に顔を埋めたまま、ぼぞぼぞと話すのでよくはわからないが、多分悟空はまだ泣いているのだろう。声が震えている。そして三蔵を抱き締める、力強い腕も。 そういう所は、ガキの頃とちっとも変らねぇ、と三蔵はしがみつくようにして自分を抱き締める悟空の背中にそっと腕を回し、日頃の彼からは想像もできない程の優しさで、ぽんぽんと叩いてやった。

「当たり前だ。この俺が弾いてんだからな」

「うん」

染み入るように優しい声音。 やっぱり三蔵の声と、バイオリンの音色はとってもよく似ている。

 「俺、本当はすっげぇ不安だったんだ」

しばらく抱き合ったままでいたふたりだったが、やがて悟空が三蔵の耳元で低く囁いた。

「悟空?」

「前のマスコミ騒動の時、俺の進学の内定が取り消されたの、三蔵がすっげぇ気にしてたじゃん。だから、本当は俺の事好きでもなんでもないけど、その事に負い目を感じてて、ンで俺の告白受け入れてくれたんじゃねーかって」

「悟空っ!」

思いもしなかった悟空の言葉に三蔵は頭にカッと血が上り、抱き締めた両手で今だ抱擁を解かない悟空の身体を押し遣り、その腕から逃れようとした。しかし悟空は己の腕の中から三蔵を解放しようとはせず、尚一層深く三蔵のやつれた身体を抱き込んだ。

「だから俺に抱かれるのも、イヤなんじゃないかって。男同士なのに、好きでもない奴に抱かれんのなんかイヤだろうし。それにもし俺達がそーゆー関係だって噂が流れたら、また面倒な事になって、三蔵音楽界にいられなくなっちゃうかもしんねーから」

「悟空っ」

「だから、三蔵ずっと俺の事、避けてんのかなって……」

「贖罪の為に、てめぇを受け入れたってか?」

三蔵が怒りに声を震わせる。そんな三蔵をゆっくりと腕の中から解放した悟空は、真摯な瞳で真っ直ぐに三蔵の紫暗の瞳を見つめる。もう二度とすれ違わないように。自分の心が過たずに三蔵に伝わるようにと、そう願いを込めて。

「それって、すっげぇ三蔵を侮辱した考え方だよね。ゴメン。でも俺、三蔵の事だと、何一つ自信なんかねぇんだもん」

いつまで経っても手の届かない憧れ。 掴んだかと思っても、するりとこの手をすり抜けていく。 自分は彼の前では、どこまでもガキで、『弟』で。

自分だけが三蔵を必要とし、愛し、求めているような気がいつもしていた。 本当は三蔵は自分の事なんか、なんとも思っていなくて。それどころか、足手纏いだと思っているかもしれない、と。 いつもどこかで不安を感じていた。

だから、そんな自信の無さ故に、三蔵の気持ちさえも疑ってしまったのだ。 そんな悟空の言葉に小さくため息をつくと、三蔵はくしゃくしゃ、と悟空の栗色の髪をその細く白い指で掻き混ぜながら言った。

「二度とは言わねーから、よく聞きやがれ」

どこまでも手のかかる小猿。 大人になったと思ってみても、でもまだまだ子供の、自分だけの馬鹿猿。 だけど、馬鹿は自分も同じなのだろう。 だから馬鹿を曝したついでに、今日だけは、もうひとつの本心を曝してもいいかもしれない。でないとまた馬鹿がふたり、同じすれ違い劇を演じる事になるかもしれないから。

「てめぇを避けていたのは……抱かれたら、もう後戻りはできねぇからだ」

「え?」

突然の三蔵の言葉に、悟空は涙の跡の乾かぬ顔でぽかん、と三蔵の顔を見つめる。そんな悟空の反応に、急に羞恥心を感じた三蔵はいたたまれなくなって、ぷいっと顔を背けると、先程まではまるで血の通っていなかったかのような、蒼白い頬を真っ赤に染めて声の限りに絶叫した。

「あとンなって『なかった事にして欲しい』って言われても、今更無しにはできねえだろぉがっ!」

身体も、そして心も。 悟空を求める全てを、もう自分自身の意思では、止める事などできなくなってしまうから。だから……。

「それって……」

耳もうなじも、およそ目に付く所を真っ赤に染めた三蔵が、羞恥にぎゅっと唇を噛み締め、身の置き場のないように身体を小さく縮めた。 そんな三蔵の姿をぼんやりとみつめながら、悟空は最愛の人が自分にぶつけてきた言葉を、何度も反芻する。

自分は馬鹿だから、三蔵の言葉を都合のいいように解釈しているのかもしれない。そう思って、一語一句過たずに頭の中で再現しては、懸命に愛しい人の心を汲み取ろうと努める。 やがて出せた結論に恐る恐る、けれど隠し切れない期待の色を、その大きな満月を思わせる瞳に浮べながら、悟空はおずおずと三蔵に問い質す。

「もしかして俺達、すっげぇ馬鹿だったりする?」

「てめぇと一緒にされたくはねーがな」

悟空の言葉に、三蔵が珍しく小さく声をあげて、笑いながら呟いた。

「なんか、信じらんねーよぉ」

もう二度と三蔵の傍にいる事は許されないと思っていたのに。 三蔵が自分を受け入れてくれたのも、結局は自分の一人相撲にすぎなかったと。自分は三蔵に愛されてはいなかったのだと。そう思っていたのに。

まさか今になって、三蔵の気持ちを知る事が出来るなんて。馬鹿みたいなすれ違い劇を演じたあげくに、実は両想いだったなんて。

突然降って湧いたような幸せに、泣き笑いの顔でへなへなと脱力する悟空。そんな悟空の耳に、これまた夢かと思われるような三蔵の言葉が微かに届いた。

「だったら、確かめればいいだろうが」

「え?」

俯いたまま、いささかぶすったれたような声音で呟く三蔵に、悟空の痛い程の視線が向けられた。その視線を感じ、三蔵はこれ以上ない程に茹で上がってしまっている。

「それって……もしかして」

誘われているのだと、本当に三蔵が自分を受け入れてくれるのだと、そう解釈してもいいのだろうか?

「いいの?」

おずおずとまるで飼い主の機嫌を伺うペットのような悟空に、三蔵はサイドテーブルに無造作に置かれたままのスコアを丸めて、無粋な猿の頭に遠慮なくすぱんっと振り下ろした。

「痛ぇっ!」

「ンな事、聞くんじゃねえっ!」

「で、でも、三蔵、体調悪ぃのにっ!」

「嫌なら別にいいんだよっ!」

おろおろと慌てふためく悟空の頭上に、再び凶器と化したスコアをお見舞いすると、そのまま三蔵はふて腐れたようにくるり、と悟空に背を向けると、そのまま再びもそもそと頭まで毛布を被ってしまった。

「ヤじゃないっ! 全然ヤじゃないっ!」

臍を曲げてしまった三蔵程、手に負えないものはない。 せっかく愛しい人の本心がわかったと言うのに。ようやく互いの気持ちが通じ合えたというのに。

悟空は布団の中で蓑虫のように丸まってしまった三蔵の痩躯を、布団ごとぎゅっと強く抱き締めた。布団の中から辛うじて見える輝く黄金の髪からは、ほんのりと甘い三蔵の匂いがする。

「……すっげぇ、三蔵の事、欲しかったよ」

布団ごと抱き締めたまま、悟空は三蔵の耳元近くで切なさを滲ませて呟いた。 欲しくて、欲しくて、たまらなくその全てが欲しくて。 でも大切過ぎて、無理強いしたくなくて、手を出す事もできなかった。だけど……。

「でも、三蔵が許してくれるなら……俺、もう止まんねーよ?」

 

                                                                                                                                                                    つづく

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